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戯曲 交響曲第一番「HIROSHOMA」あるいはペテン師とゴーストライター

あんり3

序幕

スクリーンに、NHK杯フギャア―スケート選手権で、「ヴァイオリンのためのソナチネ」の音楽で華麗に舞う高橋大輔の映像が流れる。四分ほどの映像が流れて第一幕があがる。

第一幕

秋、晩秋である。公園に聳え立っている木の葉から枯葉が舞い散っている。その枯葉を踏んで二人は歩いてくる。そのとき大河内隆は三十三歳。彼の風体は、世界を見下すような、あるいは世界を転覆させようとするような傲慢さを漂わせているが、しかしその内部は繊細な神経の持ち主であることを印象させる。一方の新崎守は、そのとき二十五歳。いまだ家庭教師のアルバイトをかけ持ちして暮らしている大学生といった容貌で、あたりを警戒するような視線をなげかけて発する声も小さい。聞き返されるたびにその声がさらに小さくなる。外面からそんな軟弱な風体にみえるが、その内部には我が道を歩いている強固な芯を持っている印象をあたえる。初見する二人の印象は、傲慢と謙虚、大胆と臆病、強硬と軟弱、攻撃と受身、一見そう見えるが、実はその内部は逆かもしれない。そんな人物像をつくりだす。

大河内──おれはね、秋が好きなんだよ。もうすぐ冬将軍がやってくる直前の秋、木立の葉っぱが赤く黄色く染まって、はらはらと舞い落ちていく、その枯葉をかさこそと蹴散らして歩いていると、おれのなかから自然に詩が湧きたってくるんだな、わたしの足が蹴り立てるって、
(詩を歌うように朗唱する)
わたしの足が蹴りたてる 落ち葉の音楽にあわせて、
時はまさに秋だった
苦しい思いでバシージニアの森をさまよっていたとき
一本の樹の根本に 兵士の墓があることに気がついた
致命傷を受けて撤退の途中で葬られたのだ
真昼どきの小休止となり、やがて出発の号令がくだる
もはや一瞬のときも無駄にできぬ
それでもこの標(しるし)だけは残される
板の上に走り書きして 墓のそばの木に釘づけされる
大胆、慎重、誠実、そして愛情豊かな私の戦友

いつまでもいつまでも、わたしは思いにふける
それからまたさまよいはじめる
変転めまぐるしいあまたの季節と
人生のあまたの場面がつづいたが、
折にふれ、おもいがけなく
ひとりでいても、街のなかの雑踏にまぎれていても
わたしの前にみえてくる、あの名も知らぬ兵士の墓が
みえてくる、バージニアの森の粗末に走り書きした板が
大胆、慎重、誠実、そして愛情豊かな私の戦友

新崎──わおー、すごいですね、いい詩ですね、それはだれの詩なんですか。
大河内──ホイットマンだよ、ウォルト・ホイットマン。
新崎──すみません、自分はまったく文学には弱いですよ、そんな詩人がいるなんて知りませんでした。
大河内──リンカーンが大統領だった南北戦争時代に生きた詩人なんだ、この詩はね、彼がその南北戦争の現場に、怪我した兵士たちを救い出す看護兵となって参戦したときにみた光景を歌っているんだな、この詩をすらすら朗唱できるのは、おれは一度、劇団に入ろうとしたことがあるんだ、それで、審査員の前で、演技たっぷりに、このホイットマンの詩をろうろうと朗唱してやろうと思って、完璧に自分のセリフにしてその劇団のスタジオでおこなわれた面接試験に臨んだんだ、ところがいよいよおれの出番が近づいてきたとき、持病が噴きだして、それでその面接はおじゃんになった。
新崎──持病ですか?
大河内──うん、持病なんだ、おれが生まれたときからかかえている持病。
新崎──どんな持病なんですか、あ、こんなことを訊くのは失礼ですよね、すみません。
大河内──いや、かまわないよ、耳鳴りなんだ、半端ではない耳鳴りがおそいかかってくるんだ、おれの頭をたたきわるみたいにね、そのときこの猛烈なる発作におそわれたもんだから、もうホイットマンどころじゃない、おれの出番がくる前に、頭をかかえて七転八倒だよ、そこで沈没してしまったんだな、極度に緊張するとこの持病がおそいかかってくる、こんな持病もちには舞台俳優なんてとてもむりだなってそこで観念したけどね、そんな過去をもった詩だけど、おれはこの詩が好きでね、落ち込んでいるときとか、おれの意志が砕けそうになったときとか、夜の公園でろうろうと朗唱するんだ、するとまた新しい力が湧き出てくる、この詩はおれの精神を屹立されるっていうか、おれの魂を確立させようとする詩なんだよ。
新崎──いい詩ですね、ぼくも読んでみます、ウォルト・ホイットマンですか。
大河内──そう、ウォルト・ホイットマン、この日本じゃ彼の詩を読む人なんてもういなくなったじゃないかな、しかしアメリカでは、そびえたつ偉大な詩人なんだ、いまでも映画や小説に彼の詩がたびたび引用されている、ホイットマンはアメリカの詩人だけど、ギリシャを歌った詩もある、インドを歌った詩もある、日本を歌った詩もある、彼は地球人の詩人なんだよ、おれもまたそんな作曲家になりたんだな、日本人の作曲家ではなく地球人の作曲家にね、ちょっと大風呂敷をひろげすぎたかな。
新崎──いや、ちっとも大風呂敷だとは思いませんよ、音楽って国境をこえて広がっていきますからね、わたしもまた地球人の作曲家になりたいですよ。
大河内──ところでさ、あらためて君にお礼するよ、君が今日ここにやってるのは半信半疑だったんだ。
新崎──すっぽかすと思ったんですか。
大河内──きらきらと輝く才能をもった前途有望なる作曲家だからな、紹介されてから君のリサーチしたんだよ、いまは大学の講師をしているんだって?
新崎──まあ、そういう生活をしてます。
大河内──大学を卒業したばかりなのに講師になってるなんて、君が飛びぬけた才能をもっているってことだよな、おれがいま求めているのはその飛び抜けた才能ってことなんだ。
新崎──飛び抜けたかどうかわかりませんが、そこそこの講師をしています。
大河内──しかし給料なんてよくないよな、それだけでは食べていけないだろう?
新崎──ええ、食べてはいけません、かろうじて生きているというところですかね、経済的には。
大河内──それでも、毎年スイスにいっているみたいだね、
新崎──プロをめざしている高校生や大学生の研修がレマン湖のほとりであって、学生時代からその研修合宿の講師というか、伴奏者としてスイスにいってます。
大河内──その話も聞いたよ、なんでもヴァィオリンやチェロを弾く研修生たちは、君が伴奏してくれると、自分の音楽が高く飛翔していくって、いいよな、そんな若い音楽家たちを引き連れて、毎年スイスにいけるなんて。
新崎──そうですね、さっきの話じゃないですけど、地球の裏側に飛んでいくんですから、地球人という感覚になりますね。
大河内──その伴奏の話、なんでも小学校の三年生のとき、音楽の先生が、新崎君、あたしの伴奏してくれないってたのまれたんだって。
新崎──そんな話までリサーチしたんですか。
大河内──この話、君のハートにふれる話だと思ったよ。
新崎──ハートにですか、そうですね、ある意味では、ぼくの一つの原点かもしれませんね、フルートの音色のような美しい先生で、放課後の音楽室にふたりでこもって、先生の吹くフルートの伴奏をするんですよ、アルルの女のメヌエットとか、モーツアルのフルートの協奏曲とか、いまでもそんな曲を聞くと、音楽教室でのふたりだけの濃密な時間が、そう、ハートですね、ハートがあつくなりますよ。
大河内──それは君と美しい音楽の先生がセックスしていたからなんだろうな。
新崎──セックスですか。
大河内──そう、合奏っていうのは、互いの楽器を猛烈に愛撫しあってエクスタシイの頂点に駆け上がっていくようなもんじゃないか。
新崎──小学三年生にはまだセックスはむりですよね。
大河内──いや、無理じゃないよ、君はいまその美しい先生とすごした官能的な濃密な時間を、思い出すたびに勃起しているんじゃないのかな、おい、おい、赤くなっているところをみると図星なんだろうな、君はそのときその美しい先生とセックスし、音楽とセックスしていた。
新崎──ものすごい比喩をしますね、音楽とセックスですか。
大河内──君は小学三年のときに、もう音楽とセックスして、射精までしていたんじゃないのかな、君の音楽を創造する射精だよ、なんでも、六年生のときには交響曲を作曲して先生たちを驚かせたみたいだね、小学六年生のガキが一ページに二十段とか三十段もある楽譜に、一音一音、音符を書き込んでいくなんて、とんでもないことだよ。
新崎──「さすらい人の幻想曲」というビアノの大曲があるんですよ、シューベルトの、その曲にはまっちゃって、それで楽譜がほしくてほしくて、小学四年生のガキが銀座までいってその楽譜を買ってきたんです、その楽譜のページをめくるたびに楽譜がどんどん黒くなって、それこそページ全部が音符で真っ黒になっていくんですが、そんなことに興奮していく、ちょっと気味の悪い子どもだったんですね。
大河内──君はもう小学生のときから作曲家になろうって悟ってたわけだろう。
新崎──そうですね、ぼくが歩いていく道はそこしかないと思っていましたね。
大河内──それで、いま君は、大学の講師稼業をやってるけど、このまま大学にのこって、やがて教授になっていくっていう道を歩こうとしているのかな。
新崎──自分は、いまそこまで考えていません。
大河内──そうだよな、そんな人生設計をしてもらいたくないな、地球人の作曲家だよ、君はそうなるようにこの地球に誕生したんだ。
新崎──うれしい言葉をいただきますね。
大河内──おれたちは若い、若いってことは、おれたちの前方は無限の可能性というものが広がっているわけだからね、君のような力をもった人は、大学教授の道じゃなくて、作曲家として生きてほしいね。
新崎──そうですね、そんな道を歩くことが、自分の理想でもあります。
大河内 ──ところでさ、おれは君にどんな風に紹介されたのかな。
新崎──詳しくは聞いていません、ゲームソフトとか、コマーシャルの音楽を書いている人で、それで今度は映画の仕事のすることになったって程度のことしか。
大河内──おれのことをちょっと話してもいいかな。
新崎──ああ、もちろんですよ、あなたのことをもっと知りたくなりました。

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