見出し画像

竹取村のかぐや姫  七の章

七の章

 
石作皇子


 
 かぐや姫に求婚した五人の皇子も、とうとう残るは一人になってしまった。五人のなかで一番地位の低い皇子であったが、しかし頭のきれるロマンにあふれた石作皇子(いしづくりのおうじ)が。いったいこの最後の皇子はどうなったのだろうか。
 この皇子も姫の館からもどると、身辺の整理をし、自分が不在の間にもその役目が勤まるよう重々に備え、四人の従臣たちをひきつれて海路太宰府にむかった。その当時、外国との貿易の最大の拠点が太宰府だったからだが、幸運なことに皇子の一行が太宰府に着いたとき、たまたま唐にむかうという貿易船が停泊していた。
 ひどく高い運賃を要求されたが、しかし渡りに船とばかりにその船にのったが、さすが何回となく海を渡っている貿易船は、これといった難事にもあわずに一月ほどで《差異群》という港町に到着した。その港は当時アジア一栄えていて、突堤がいくも海に突き出し、そこに何百という大小の船が停泊していた。港のにぎわい。町の喧騒。なにもかも桁違いの大きさに皇子は度肝を抜かれた。この国にくらべたら日本などいう国は、なにやら箱庭ごときものだなと思わせるばかりだった。
 しかしこの巨大な国に圧倒されながらも、皇子は自分の進む道がわかっていたから、着々とその計画を進めていった。まず皇子がしたことは天竺に渡った人物を見つけ出すことだった。唐の国は広くまた人口も多大だったから、天竺に渡った人物を見出すなど、砂漠に落とした針を探しにいくようなものだった。しかし修行のために仏陀の国に渡った僧はきっといたはずだと皇子はあきらめずに何十という寺をまわっていくと、慶という城砦に巌楽寺という寺があり、そこに張儀という名の僧がいるが、その方がどうやら天竺にいかれたはずだという情報をえるのだ。
 皇子は十数日もかけてその城にいってみると、その寺はさらに十里ほどの山奥にあるという。さらに二日をかけてその山にたどりついてみると、なるほどその寺はあるにはあったが、なにやら廃寺のようなたたずまい。いったい僧なる人がそこにいるのだろうかと堂内に入っていくと、もう八十は越えたと思われる僧が一人そこに座っていた。その方こそ張儀その人だったのだ。
 皇子はさっそくたずねた。
「張儀さま、天竺にはお釈迦様がいつも座られた石があり、お釈迦様がなくなると、その石は悲しみのあまり一夜で真っ白になったと聞きますが、そのような石は、たしかにあるのでございましょうか」
 すると張儀は深くうなずき、その真っ白な石はちゃんと天竺にあるとこたえるのだ。それを聞いて皇子はやはりあのかぐや姫は、おれに真実の課題を与えたのだと思ったものだ。そこで皇子はさらに、
「ところで、張儀さまはどのぐらいの月日をかけて、天竺往還の旅をなされたのでしょうか」
 とたずねると、張儀は、さてさて何年かかったものか、わしがこの村を出たときはあんたのように若かったが、戻ってきた頃には歯もぼろぼろ、黒髪も真っ白になっておったわなあ、といった。それを聞いて皇子はあわてて、
「私には三年という月日しかありませぬ。三年という月日で戻ってくる方法はないものでしょうか」
 張儀はフンと鼻でせせら笑ったが、しかし皇子は必死にくいさがるように、
「どうか、私をあなたの弟子にして下さい。私にあなたのあふれるばかりの知恵をさずけて下さい。あなたの知恵があるならば、私は三年でやり遂げてみせます」
 と懇願した。
 結局、皇子がその寺に二週も投宿したのは、張儀の何十年もかけた遠征の旅の話を聞き尽すには、それだけの日数を要したからだった。張儀その人にも言葉があふれでてくるのか、まるで大河のようにとうとうと語っていく。そしてその一章一章が終わるたびにこういうのだ。
「自力ではとうていかなわぬ旅であったわな。他力があってはじめてその事がなせるということだわ。あんたも天竺に渡りたかったら、まず自力を捨てなきゃならんのだよ。他力にすがるために自力を捨てなきゃならん。そうでなければ、とうていあの国までいってこれんだろうよ」
 難解な言葉だったが、皇子にも次第にその言葉の意味がわかっていった。つまりこういうことなのだ。この世界は広い。しかしどんな世界にも人々は生きており、人々の暮らしている村がある。その人々とともに暮らし、その人々の力を借りて、はじめて天竺の国にたどりつけるのだ、と。
 皇子はなるほどそうであろうと思った。しかしそんなことをしていたら、それこそ何十年とかかってしまう。自分には三年という月日しかないのだ。とうていそんな旅はできない。幸い自分にはたっぷりの資金がある。その資金で遠征隊を組めば、二、三年の月日で天竺往還の旅が可能だと踏んで、差異にもどると早速遠征隊を組織した。
 こうして皇子は二十人の男たちを雇い、天幕やら什器の備品をそなえると一路天竺を目指して旅だった。
 砂と岩だけの荒地だった。地平線までつづく荒地だった。晴れた日ばかりではない。ときには砂嵐が一週間も荒れ狂う。ときには稲妻がその閃光を遠征隊を直撃するように走らせる。さかまく川を渡れずに何日も露営をしたこともあった。大河を渡るとまた荒地だった。砂と岩だけの荒地をひたすら歩いていく。
 そうしたある日、皇子の寝ている天幕の外で、
「皇子さま、皇子さま、申し訳ございません、申し訳ございません……」
 という声がする。なにごとかと天幕の外にでると、最も若い家臣、平良将(たいらのよしまさ)がそこで泣き伏しているではないか。
「どうしたのだ、いったいなにがあったのだ?」
「中原さまがおりませぬ。片桐さまも、毛利さまもおりませぬ。彼らは現地で採用しました人間たちを引き運れて、何処かに逃亡しました」
 中原も、片桐も、毛利も、皇子が信頼していた家臣であった。だからこそ日本から連れてきたのだ。その三人が逃亡したというのだ。驚愕した皇子はその一帯にはられていた天幕を次々に開いていったが、なかはいずれも空っぽだった。
「どういうことだ、どうしたというのだ。彼らはどこか食料でも調達にいったのではないのか」
「そうではございません。中原さまは以前からたびたび、こんな旅はこりごりだ、このような旅をつづけて日本に戻れるわけはない。一緒に逃げ出そうと私にも申しておりました。しかし私はがんとして退け、もし中原さまがそのような挙にでたら私はあなたを切りますとこたえました。すると中原さまは冗談冗談と笑いましたが、それはとても冗談にみえず、それからずっと中原さまたちの挙動を警戒していたのでございますが、昨夜は前後不覚に眠りこみ、気がついたらこのざまです。私がいけなかったのでございます」
 といっては良将はおいおいと泣くのだ。皇子は呆然としていたが、やっと自分をとりもどすと、
「それは私のいうべきことだ。私もまた眠りこけてしまった。自分の愚かさをのろうばかりだ。もうよい。泣くな。そなたが泣けば私まで泣きたくなる」
 そして皇子はなにか自分を試すように良将にたずねた。
「良将よ、そなたも、もう帰りたいか。日本の国に戻りたいか。父上や母上が待つ国に戻りたいか」
 若者はしばらく思案していたが、やがて意を決したかのように、
「皇子さまはたとえ私が戻りたいといっても天竺にいかれるのでしょう。皇子さまはそういう方でございます。どうしてそんな皇子さまを一人をおいて日本の国に戻れましょうか。私はどこまで皇子さまについていく覚悟で日本を出てきたのです」
 皇子はそれで自分の行く道も決まった。
「うれしい言葉をもらった。このどん底のなかで、まるで生命の水に出会ったような言葉だ。そなたはもはや私の家来ではない。そなたはたったいま私の弟になったのだ」
 こうして二人は、新たな決意で再び天竺への旅を続けるのだった。
 砂漢だった。また砂漠だった。果てしなく続く砂漠だった。体のなかまで砂塵がつもっていくばかりだった。そうしてやっと村にたどりつき、そこで食料を手にいれると、また砂漢。明けても暮れても砂漢。砂漢は地平線まで続いている。
 それは何か月もたったときだった。四頭の馬を引きつれていく二人の背後から、あやしげな騎馬の群れが現れては消え、消えては現れていく。
「あいつらはいったい何者でしょうか」
 と良将はたずねと、皇子は、
「どうやらやつらが噂に聞く、砂漢の鼠という盗賊団のようだな」
「どういたしましょうか。二、三十騎おります。早足で彼らをまきましょうか」
「いいや、彼らはそれを待っているのだ。おれたちが逃げ出したら、やつらの餌食になるだけだ。このまま何事もないかのように進むのだ。そうすればやつらがしびれをきらして襲撃してくる。そのときやつらに向かって突っ込んでいく。彼らを取り仕切っている棟梁がいるはずだ。そいつだけをねらう。そいつを叩き斬る。それで事は決するはすだ。ここで日本男児の力をみせてくれよう」
「はい、わかりました」
 その一隊はぴたりと背後について、二人の様子をうかがっていた。たった二人とはいえなにやらえらく強そうだ。下手に攻撃をしかけたら返り討ちにあうかもしれないといったような追跡の仕方だ。そんな警戒からその群は、距離を縮めてきたり、大きく隊列を広げたりとさかんに二人の出方をうかがい、扇動する。しかし皇子はその手にのらなかった。
 とうとう盗賊団はしびれをきらしたのか、ボスらしき人物が手を高くかかげて叫んだ。
「#$&*!!」
 皇子は命令を下した男をしっかりとみた。その男こそ首領なのだ。
 盗賊団はわあっと喚声をあげ、砂塵をまきあげて襲いかかってきたが、そのとき皇子もまた鋭く叫んだ。
「いくぞ、良将。おれについてこい!」
 と二人はくるりと馬を反転させると、襲撃してきたその一団に突っ込んでいった。
 これには盗賊団は仰天したにちがいない。彼らはいつも逃げ出す獲物を背後から襲いかかっていたのだ。それがこの二人は刀をふりあげて真っ向から襲いかかってくるではないか。彼らはぎょっとなって真正面から突っ込んでくる二人を避けた。皇子がめざすのは、盗賊団の頭領ただ一人だった。皇子はその男めがけて馬を矢のように走らせる。そしてその首領の乗った馬に激突せんばかりに突っ込んでいくと、皇子は振り上げていた刀を、首領の胴めがけてずばっと振り下ろした。首領は血潮を噴き出してどっと落下した。
 皇子はくるりと馬をかえすと、次なる標的を定めると激しく追跡し、またも一刀のもとに屠る。さらに次なる獲物はと馬をかえすと、もうそのころには司令塔を失った盗賊団は、散り散りに逃げ出していくのだった。
 彼らは砂丘に消えていくが、さて良将はどこにと見渡したが、その姿がない。良将の馬だけがぽつんと立っている。不吉な思いにとらわれ、その馬のもとにかけつけると、そこには良将が噴き出す血を砂漢に吸い取らせていたのだ。皇子は色をなして馬からとびおりると、良将を抱きかかえ、
「良将、良将! ああ、なんということだ。良将、こんなところで命を捨てるな。お前はおれと天竺にいくのだろう。ならぬぞ、ならぬぞ、こんなところで果てては!」
 その叫びが聞こえたのか、意識を取り戻した良将は、虫の息でなにごとか話そうとする。
「なんといった。なにをいいたいのだ!」
 皇子が良将の口許に耳をつけると、良将は、
「手を、私の手を皇子さまの胸に」
 と消え入るばかりの声でいっているのだ。
「手を、お前の手を、私の胸にか」
 皇子はその通りにした。するとそれまで苦痛にゆがんでいた良将の顔が、なにかふうっとある安らぎが訪れたかのように柔和になり、切れ切れに言葉を継いでいく。
「私の魂は、いま、皇子さまの心臓に入っていきました。これで私も皇子さまとともに天竺の国にいけます。仏の御石にふれることができます」
 それが良将の最後の言葉だった。
 皇子は虚脱したまま馬を歩かせていた。どこに向かっているのか、なんのために馬を進めているのかさえもわからない。果てしなく続く砂漠、この砂漢こそ自分の心そのものだと思った。なにもない、なにも生みださぬ虚無の砂漢。おれの心そのものだった。砂漢をようやく抜けると小さな町に出た。皇子はその町の片隅にある居酒屋に入り、酒を頼んだ。酒はまた新しい悲しみを吹き出してくる。良将を失った悲しみはたとえようもなく深く大きかったのだ。
 そのときやはりその店で、一人杯を傾けていた風体のあやしき人物が、皇子のかたわらにやってくると、なんと皇子の土瓶から勝手に自分の杯につぎ、それをぐいとあおると、からからと笑った。
「その顔は、ただ酒を飲むのはけしからんとでている。しかし、お若いの。私はそなたの酒を飲む権利というものがあるのだよ。私はそなたの流す涙に心うたれ詩をつくった。いまからその詩をそなたの前で吟じるのだからな」
 というとその風体あやしき人物は、その詩を朗々と吟じるのだった。
 
 落日の居酒屋の片隅で、
 一人杯を傾ける若き旅人。
 一献傾けては涙を流し、
 涙を流してはまた一献。
 その酒は悲しみに飲ませているのか。
 若さに歴史などというものはない。
 しかしこの若者の歴史は、
 落日がもたらす影のように深い。
 いったいこの旅人はどこからきて、
 どこに向かっていくというのか。
 
 皇子はその詩を聞いて号泣するのだ。かぎりなく悲しくつらいのだ。そんな皇子にさらに興味をひかれたその人物は、
「お若い方。私の詩に心打たれたのなら、私にそなたの悲しみの歴史というものを語ってくれぬか」
 たった一人で荒野をさまよっていた皇子は、人に飢え、言葉に飢えていた。だからその人物に堰を切ったように自らの歴史を語った。日本という国のことを、天竺に向かって旅だったことを、良将を失った悲しみを。皇子の言葉はたどたどしい。しかしそのたどたどしい話に耳をかたむていたその人物は、皇子が語り終えたとき皇子にこういった。
「ごらんの通り、私は荒野をさまよう浪人の身。職を求めて国から国へと渡り歩くが、なかなか私を雇い入れる国などないのだ。だからどんどん世界の果てに向かっていく。もしかしたら私を雇い入れる国は、世界の果てにある最も小さき国かもしれんなあ。きっとそこは天竺に一番近い国だろうよ。そうすればそなたの目的にも一番近くなる。どうだろうか、お若い旅人よ。私と一緒に旅をせぬか」
  運命の出会いというものだった。この不思議な人物にすっかり魅了された皇子は行動をともにするのだった。何日も馬にゆられては隣の国ヘ。また何日も馬を走らせては新しい国へと。こうして幾つもの国を渡り歩いていったが、この風体あやしき人物が、実は大変高名なる人だということがわかっていくのだ。
 この人物が町にはいると、すぐに役人たちが飛んできて豪華な建物につれていき、そこに宿泊せよと告げるのだ。そしてなんとその国の王が訪れる。王は深々とこのぼろきれをまとっただけの人物に頭をさげて、
「これは、これは、王績先生。わが国によく足をお運びになられました。早速歓迎の宴をひらくことにいたします」
 というと、その夕刻には盛大な宴を設けられ、その宴たけなわになるとさらに王は、
「王績先生。わが国も今さまざまな改革をなして、強国に並び立つような力をつけねばならぬと思っているのでございますが、ひとつ御指南していただけないでしょうか。十分なご報酬をいたします」
 と切り出すのだ。
 しかし王績といったらてんでそんな誘いに乗らずに、相変わらずぼろをまとったままの姿で、その国の安宿か民家に居候になって過ごす。そうして一月もすると、
「尻がもぞもぞしてきた。友よ、そろそろこの国を発とう」
 というと、もう翌日にはその国を出てしまうのだ。そういうことが訪れる国のさきざきで続くので、皇子はたずねてみた。
「先生は職を求めて諸国を放浪なさるといわれたが、どこの国の王からも知恵と力をかしてほしいと熱望され、高位高給でお迎えしたいと懇願された。しかしそのたびに断られるのは、いったいなにが不足なのでしょうか」
 すると王績は、
「仕える身にとっては、なによりもその国の王の器を見極めることが必要なのだよ。絶望に満ちたこの世を救いださんとする人間は、それだけの大きな器をもった王に仕える必要があるのではないのかなあ」
「しかしそのような大きな器をもった王がいるのでしょうか。どこまでいっても、どんなに諸国をめぐっても、いままで出会ったような王と似たりよったりではないのでしょうか。そうなればどこまでいっても先生は浪人のまま。浪人のままこの荒野で果ててしまわれるのではありませんか」
「小さな器の下で苦しむなら、この荒野のなかで塵となって果てたほうがどんなに幸福だろう。そう思わないかね」
 と王績はさばさばとした調子でそういった。
 こうして一年近くも諸国を放浪すると、ある小さな城塞を持つ町にたどりついた。すると兵士たちがとんできて、二人を牢獄かと思われるような一室に連行した。それまでどんな町でもそのような出迎えをうけたことはなかった。王績と名を告げると、役人たちはひれ伏し、すぐに王のもとに連れていった。しかしこの町ではそうではなかった。
 しばしその牢獄のような部屋で待つと、警備隊の指揮官らしき人物があらわれ、二人にこういった。
「そなたは王績と名乗ったが、まことに王績先生であられるのか。王績なる先生はいつも一人で諸国を放浪されていると聞いているが、いまそなたは怪しき人物を従えてわが国にはいってこられた。このところわが国には密偵どもが繰り返し潜入し、内部から撹乱しようとする。失礼ながらその疑いを持つがゆえに、先生がまことに王績先生であるかを試さねばならぬ。かつて先生は一度に七人もの敵を打ち倒したといわれる。そなたがまことにそのような武勇をもっておるのか、いまからわが国の武人がお相手いたすことにする」
 すると王績は頭をかいて、
「これは困ったことだ。それは若き日のこと。今は酒と放浪ですっかりその肉体も滅んでしまった。とてもそのような試練には立ち向かえぬなあ」
 そのとき、かたわらに立っていた皇子が、その指揮官をきっとにらみつけて、
「いま先生はご謙遜でそういわれたまでのこと。逆にそちにこうおたずねになったのであるぞ。自分の相手になるだけの人物が、果たしてこの国にいるのかと。真実そのような者がいるのかどうか、まず私がお試し申そう。もしその者が私を打ち倒したならば、先生はよろこんでお相手をするだろう。そうなさってどうだ」
「よろしい。そういたしましょう」
 と指揮官はこたえると、二人を広場に連れ出し、そして屈強な兵士を呼び出した。
 大男だった。もともと皇子は小柄だったから、その兵士は皇子の三倍の大きさだった。それはだれの目にも、勝敗は戦わずしてわかっているようにみえた。
 決闘がはじまった。しかしその決闘ははじまったと思ったら、もう終わっていた。人々が一度の瞬きをしたあとに見たのは、片腕を切り落とされ、血を噴き出して、のたうちまわっている大男の姿だった。皇子の刀が、鞘から離れると同時に、兵士の片腕を切り落していたのだ。
 二人目は、長身の兵士だった。その兵士は剣をびゅんびゅんと振り回して、皇子に切りこんでくる。皇子は風の様にひらりひらりと身をひるがえしていたが、一瞬のつきをついて踏み込むと、鋭く皇子の刀が一閃した。するとまたもやその兵士の腕が切り落とされていたのだ。広場を埋めた兵士たちにさらに驚きとどよめきがわき起こった。
 三人目の兵士が、皇子の前に立ったとき、城塞の二階にあるテラスといった所でこの様子をみていた若者が、凛とした声を響かせた。
「もうよい。それまでにせよ。その方は間違いなく王績先生であられる。こちらにおつれせよ」
 その人物こそこの国の君き王、希布(きふ)だった。それまで訪れた国の王たちはいずれも年をとっていた。しかしこの国の王は、皇子と同じくらいか、あるいは皇子よりも年下かと思われるばかりの若さだった。しかし若いからといって幼さなど微塵もない。何か澄んだ視線をきらりと向けるその奥に、英明さと強い意志をひからせている。皇子はもしかしたら王績が、世界の果てにある最も小さな国と語ったのは、この国のことかもしれないと思った。
 王績が皇子にしばしば語った。秦という国が、諸国を次々に制圧して巨大な帝国をつくりあげていく。しかし世界の果てにある小さな国は、執拗に繰り返えされるこの帝国の攻撃をことごとく打ち破り、いまでも自由と独立を守り抜いている。その小さな国の生き方こそ美しいと。そのある小さな国とはまさにこの国のことではないのか。
 その夜、二人を歓迎する宴がはられたが、しかしテーブルの上にのったは二品の皿だけ。それも芋類を煮たものといった質素さだった。それはこの国が戦乱で痛めつけられ、貧窮の底にいることを語っていることだった。
 その宴の最中に、なにやらいかにも緊急な事態が勃発したと思わせるように、一人の役人が部屋に駆け込んできて、
「ただいま東方の砦より早馬が到着しました。その報告をこの場でしてよろしいでしょうか」
「かまわぬ、いたせ」
「はい。ただいま東方の砦の前を、十五万の大軍が城塞を目指して行軍していると報告してまいりました」
 宴の座は一気に緊迫した。するとまた別の役人が、あわてふためくように駆け込んできて報告した。
「ただいま西方の砦からも早馬が到着しました。その報告によりますと、西の砦の近辺を、二十万の大軍がこの城塞に向かっているとのことでございます」
 もはや宴どころではなくなった。希布は立ち上がって、申し訳なそうに、
「王先生、そして日本国の皇子。宴の最中まこと無礼なことでありますが、いまお聞きの通り三十五万の大軍がこの城塞に迫っております。これまでもたびたび秦国の攻撃をうけましたが、その度に撃破してまいりました。しかし今度ばかりはそうはいかぬと思われます。三十五万の大軍を迎え撃つわが軍の兵は三千にすぎませぬ。まるで象が蟻を踏みつぶすような戦闘が明日から展開されるでしょう。このような戦いに王績先生と日本国の皇子を巻き込んでならぬと考えます。安全な地までわが国の兵士に護衛させますので、いまただちにお旅だちくだされ」
 しばらく思案する風だった王績が王にこたえた。
「フーム。護衛の兵をつけてくださるのでございますか」
「はい。そうさせていただきます」
「それはいかほどの兵でありましょうか」
「屈強な兵士二十人ほどでお守りいたしましょう」
「二十人、たったそれだけで私が守れるのでしょうか」
「では百の兵ではどうでしょうか」
「この国の兵は、三千だとお聞きいたした。それならば私を守るために一千の兵をつけて下さらんか。敵は三十五万といわれたではありませんか。それならば、少なくとも一千の兵に守られて、この地から逃げ出したいのですがね」
 と驚くべき数を要求するのだ。その場にいた高官たちは思わず怒りにふるえて立ち上った。若い王も突き刺すような視線を王績にむける。しかし王績はその視線をがっしと受けとめて、厳しく見つめかえした。なにかからみあったその視線に火花が飛び散るばかりだった。それはそのとき、王績がこの若い王を試したのだ。果たしてこの王が、自分の思い描いた通りの器の主であるかどうかを。やがて王はいった。
「わかりました。一千の兵をくりだして、王績先生を安全なる地に送り届けましょう」
「さすがに新たな国をつくりださんとする王であられる。それでは私たちはすぐに立ち去ることにしましょう。戦乱が怖いのでなあ」
 数刻後に王績と皇子は完全武装した一千の兵に守られて城塞をでた。三十五万の大軍が攻め寄せてくる。しかしこの国には三千の兵しかいない。それなのに一千の兵を外に出してしまう。いったい何を考えているのか。しかし皇子にはすでにわかっていたのだ。だからその城を出るとすぐにいった。
「一千の兵を二つにわけて、その一つを私に預けて下さいませんか。遊軍となって敵の背後を襲うのは、むしろ異なった地点から襲撃するのが効果的だと思われます。先生の率いる兵が南にひそむならば、私の兵は北の地に身をひそめます」
 すると王績も即座に、
「さすがにわが友だ。そなたのいう通りだ。五百の兵をそなたに預けることにしよう。北から南から、夜闇に軍を隠してくりかえし襲えば、たちまち大軍は瓦解していくだろう。どうせ烏合の衆なのだ。三十五万などという数に少しも驚くことはないのだよ」
 翌日三十五万の大軍が、ぐるりとその城塞を取り囲んで盛んな攻撃をしかけてきた。しかしよく鍛えられた精鋭は、その攻撃をことごとく撃破して、一歩もその城塞に踏み込ませなかった。
 その夜だった。夥しい天幕が張られ、三十五万の兵士たちが軍装を解いて眠りについている。そこに北から南から王績と皇子の率いる一隊が背後から襲いかかったのだ。もう三十五万の大軍は大混乱、あちこちでパニックをひきおこした。もともとこの大軍の兵士たちは、諸国の民を強制的にかり集めただけの、即席の兵士にすぎなかったのだ。兵士たちの大多数は戦闘などしたくなかった。統制を失った三十五万の兵士たちは、もう蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
 王績と皇子が率いる一千の軍が、国中の大歓声をあびて城塞に帰還してきた。若き王はつかつかと王績のもとにいくと、
「王績先生、私の気持ちはもうすでにわかっておられますね」
「英明なる王よ。よくわかっております」
「私はあのとき決断したのです。先生にこの国の宰相になっていただこうと」
「それもよくわかっております」
 長い長い放浪の旅を続けた王績は、とうとう大きな器をもった王と出会ったのだ。王績がこの国の宰柑となると、まず相次ぐ戦争ですっかり疲弊した民の力をつけることにした。国力というものは武力によってつくられるものではないことを、すでにその時代に王績は見抜いていたのだ。国力とは民の力によってつくられる。民が豊かになればおのずと国の力はついていく。そういう政策を全面にかかげたのだ。それにはまず民衆が飢えないように農業を起こさなければならなかった。農具や工具やさらには武器をつくる工業もまた盛んにしなければならなかった。そして諸国との貿易だ。そこからさまざまな商業をいきいきと躍動させていかねばならなかった。
 王績が繰り出したこのような政策が着々と結実していった六年目。まるで茶碗の水が溢れ出ていくかのように、鍛え磨きあげた軍を隣国に出発させた。大帝国、秦国の野望はつねにこの国にとって脅威だったのだ。あの三十五万の大軍が無残に打ち砕かれたにもかかわらず、その後いくたびも新たな軍を編成して攻撃してきた。よほど秦国にとって犀の国を攻め滅ぼしたかったにちがいない。この国が真の独立と自由と繁栄を得るためには、秦国そのものを討たねばならなかったのだ。
 王績率いる軍はたちまち隣国を落とした。そしてさらにまたその隣の国へと進軍していく。まるで飛び石を渡るかのように一つ一つの国を落していくと、一気に大帝国を打ち砕かんと秦の国に攻め上がっていくのだった。しかしもうそのときすでに勝負があったのだ。崩壊の速度をはやめていた落日の秦国は、犀国の大軍が到着する前に、秦の王も取り巻く高宮たちもあたふたと何処かに逃亡してしまっていたのだ。
 それは王績と皇子がこの国に住み着いてから八年目のことだった。国に戻ると勝利を祝う宴が一週間も続いた。その祝宴が終わった翌日、皇子はついに切り出した。
「王先生。どうやらお別れの日がきたようです。もう私は立ち去らねばなりません。どうかお許し下さい」
 すると王績もまた、
「その言葉を聞く日が間近だということがわかっていた。しかしとうとうその言葉を私は耳にしたのだなあ。感謝するぞ。そなたの働きがなかったら、私にこのような栄光の陽はささなかっただろう。そなたの心のなかには、いつも天竺があり、日本の国があり、そしてそこにそなたの帰りを待っている人がいることを知っていた。それなのに私はずるずると引き止めてしまった。申し訳なく思う。私を許してくれ」
「いいえ。これは私が選んだ道です。私は先生のもとではじめて人間はいかに生きるべきかということを学びました。私は先生と出会ってはじめて人間となれたのです」
「そなたに去られるのは痛恨の極みだ。しかしもう送り出さねばならぬ。そなたが無事に天竺にたどりつけるように十分な資金と、屈強にして忠実な兵からなる一個の大隊を用意する。せめてもの私のつぐないだ。受け取ってくれ」
「いいえ、そのようなお手配は無用です。私は一人でまいります。かつて先生がたった一人で諸国を放浪なされたように、私もまたたった一人で天竺にむかいます。私はもはやなにものも恐れません。たった一人で世界に立ちむかえるだけの人間に成長しております」
 皇子はその朝一人旅立った。だれにも見送られず、こっそりと旅立ったと思ったが、その姿を城塞の砦でみていた一人の人物がいた。その人物は空にむかって朗々と吟じるのだった。
 
 強く、清く、美しい友が、
 いま天竺にむけて旅立つ。
 幾つもの荒野を抜けなければならぬ。
 幾つもの山顛を越えなければならぬ。
 天竺ヘ、天竺ヘ。
 汝の国に待つ人がいるからだ。
 その人のもとに届けなければならぬものがあるからだ。
 汝の人生をすべて捧げるその美しい人に、
 私もまた会ってみたいものだなあ。
 
 と朗々と吟じられる詩を背に、皇子はたった一人で天竺をめざしたのだった。
 荒野だった。地の果てまて続くと思われる荒野だった。その荒野を抜けると大河があらわれた。ごうごうと渦を巻いて流れていく大河は、人など塵ほどの意味もないといっているようだった。皇子はどうしたものかと川をさかのぼっていくと、そこにちゃんと村があるのだ。
 不思議なもので、どんな辺境の地にも、どんな荒れ果てた地にも、村落があり人々の生活があった。皇子はその村に入り、村の人々とともに暮らした。一か月、二か月とたつと村人は皇子に心をひらき、その大河を渡る舟をだしてくれる。大河を渡るとまた荒野だった。その荒野を星が指しめす針路をたよりに歩いていくとまた村にたどりつく。言葉は通じない。しかし村人と生活をともにしてしていけば、心はたちまち通じるのだった。
 かつて張儀という僧にたずねたとき、天竺には自分だけでいけるものではない。大地に点在している村人の力を借りて、はじめて天竺にたどり着けるのだと語ったが、その意味が皇子にもわかるようになっていた。
 こうして皇子は村を転々と渡り歩いていくと、大地そのものを締めくくるような白い嶺がみえてきた。遠くから眺望したその嶺々は、なにか絵のなかにおさまる優雅な姿をしていたが、近づくにつれてそれはまさにこの世をしめきる巨大な壁となって現れるのだった。
 皇子は壁にとりついてみた。しかし夏とはいえそこは雪と氷の世界だった。人間が立ち入ることを厳しく拒んでいる。今まで砂漢や荒地や草原を歩いてきた。それはいわば水平の面を歩くだけだったが、いま皇子の前にたちはだかったのは天に屹立する壁だった。今度は垂直によじ登らねばならないのだ。皇子はその天に向かって屹立する山嶺に茫然とするばかりだった。
 どうしたものかとその大山脈の麓を彷徨していると、からんからんと鈴を鳴らし何百という山羊の群を引き連れた放牧の民に出会うのだ。皇子は彼らにさかんに身振りをつかって窮状を訴えると、彼らもまたさかんに身振りをつかって答える。皇子の人格というものを即座に見抜いた放牧の民は、
「わしらについてきなさい。なんとかなるだろうよ」
 と言っていることが皇子にわかった。
 皇子は言葉というものに天才的な才能をもっていたのだろう。彼はどんな異なった部族の人と出会っても、半年生活をともにしたら、その部族の言葉を完全に理解してしまうのだ。皇子がかくもさまざまな国や町や村を渡り歩くことができたのは、言葉を理解する天賦の才能をもっていたからだった。
 その放牧の民と半年も暮らしていると、ある日、その民の頭領が皇子にいった。
「わしらはこれからこの山をおりて、麓の村に帰らねばならん。しかし、その前に、あんたを預ける村に立ち寄っていくことにするよ。あんたは神の山を越えていく人だからな。その村はな《神の山をこえる部族》というんだよ。その村のもっとも屈強な若者が毎年、神の山を越えて、向こうの国にいくからだがな。お前をあずけるにぴったりの村だろうが」
 こうして皇子は、その「神の山を越える部族」という名の村に引き渡された。その部族と半年も暮らしていると、また言葉が完全にわかるようになった。そんなある日、その部族の長が皇子にたずねた。
「お前は、神の山を越えたいのかね」
「はい。そのためにはるか遠い日本という国からやってきたのです」
「わしらの村では毎年、この村でもっとも賢い、もっとも強い若者が、神の山を越えることになっておる。しかし前の年に送り出した若者はついに帰ってこなかった。その前の年に送り出した若者も帰ってこなかった。それは神の山の怒りにふれたからなのだ。神の山はわしらの村をまだ許してはいないのだ。だからお前もいまは神の山はこえてはならぬ。三年待つのだ。三年たったら、わしらはお前を神の山に送り出してあげよう」
 その三年がたった。皇子はその三年間に、その巨大な山脈を越える技術をいっぱい学でいた。
 真っ青に晴れわたった日に、皇子は部族全員に見送られて神の山に向かった。教えられた通りの道を歩いていった。すでにその大山脈に入ることのできる道は、この部族の人々によって切り開かれていたのだ。道標がたっているわけではない。山道があるわけではない。しかし人が通れるという道はあるのだ。皇子は最初、この大山脈を越えるには、天に屹立する頂上を乗り越えていくのだと思っていた。しかしそうではなかった。嶺々には裾があった。その裾を巻きながら通り抜けていくのだ。
 とはいえ高度は四千メートル、五千メートル、六千メートと上がっていく。空気がどんどん薄くなっていく。すぐに息があがる。疲労が深い。その歩みは亀のように遅くなる。急斜面を上ったり下ったり、ときには絶壁をよじ登らねばならなかった。しかしとうとう皇子は、神の嶺の裾をこえて、反対側にある別の世界に抜け出した。
 今度は下りだった。ぐんぐんと高度を下げていく。岩だらけだった山の肌に次第に草がとりつきはじめている。斜面一面に花が咲いていた。蛇行する川にそって進んでいく。大気もだんだん厚くなっていった。そうして嶺をこえてはじめての村にでた。その村で皇子は何日も眠り続けたのは、その嶺をこえることがどんなに体力を消耗することかを語っていることだ。その村の人々が皇子を手厚くもてなしたのは、その嶺をこえてきた人は神の使いであると思われていたからなのだ。その村で体力をとりもどした皇子は、また次の村に向かって歩く。新しい村でまた人々と暮らしていく。こうして皇子はとうとう仏陀が生まれた国に入っていったのだ。
 皇子が田舎道を歩いていくと、青い壺を頭にのせた若い女が歩いてきた。水を運んでいるのだろうか。褐色の肌をした娘はとても美しく、皇子は思わずその娘にたずねた。
「そなたにおたずねするが、お釈迦さまが修行なされたという白い石がこの地にあると聞いているが、そなたはご存じでないだろうか」
 すると娘はにこにこ笑ってうなずくと、皇子を一本の背の高い木立のもとにつれていった。そこに石があった。さんさんとふり注ぐ陽の光をうけて白くひかっている。それこそ釈迦の死を悲しんで、一夜にして真っ白になってしまったという伝説を、一瞬にして信じさせてしまうばかりの霊気をその石はあたりに放っていた。皇子は走りよるとその石に抱きつき、
「良将よ、ついにおれは仏の石にたどりついたぞ」
 と泣き、
「王先生、私はいま白い石を抱きしめています」
 といっては泣いた。
 皇子にはすぐにしなければならぬことがあった。この石を切り取って、姫に届ける椀を作らねばならないのだ。そこで岩や石に仏陀の像を彫り込む彫刻師を捜し出すと、その者に椀を作らせた。それは小さな椀だった。掌にのるほどの椀だった。しかし太陽にかざすと、その白い椀はきらきらと七色の光を放った。皇子はとうとう姫との約束を果たす椀を手にしたのだ。
 夏の到来を待って、皇子は帰還についた。また神の山を越えるのだ。そこにはまた苦難が待ち伏せていた。夏だというのに猛烈な吹雪に見舞われたのだ。その吹雪は何日も続き彼の足の指がすべて凍傷で黒ずんた。彼はその指をすべて切り落とした。凍傷にかかった指は腐る前にすべて切り落とすことを「神の山をこえる部族」で学んでいたことだった。
 這うようにしてたどりついた「神の山をこえる部族」で、皇子はさらに二年もの月日を過さなければならなかった。指を切り落とした足が、再び大地を歩けるようになるには、それだけの月日を必要としたのだ。
 春がめぐってくると、皇子はその村を出発した。一歩一歩差異の港に向かって歩き続ける。その一歩一歩は、なにやらカタツムリの歩みのように思われた。しかし一歩、また一歩を踏みだすことによってしか、差異の港には戻れないのだ。
 皇子の通る国はどこも戦乱のなかにあった。皇子はまたもやその戦乱にまきこまれた。戦闘に破れ捕虜となり、牢に半年も投獄された。その牢を脱走したが再びつかまり、もはやこれまでの生命かと観念したとき、思いもかけず敵の兵士に救い出された。その兵士は皇子の背に向かって叫んだ。
「いけ、友よ。歩き続けよ、友よ。そなたの国にたどりつくまで、歩き続けよ!」
 不思議な人格であり、人生だった。皇子は敵の兵士たちにも愛されるのだ。皇子はまた荒野を歩く。いけどもいけども荒野だった。渇きと飢えが皇子をその地に打ち倒さんとする。しかしまた何処からともなく旅人や村人や兵士があらわれ皇子を助けるのだ。皇子には次第に彼らは仏の指ではないのかと思われたのだった。そしてこう思った。おれが歩いているのではない。仏によって歩かされているのだ。おれが生きているのではない。仏によって生かされているのだと。それは張儀という僧がいった言葉だった。張儀はいった。「自力だけではとうてい天竺に渡れぬ。他力にすがってはじめて大竺にいけるのだ」と。その他力とは仏のことではないのか。他力にすがるとは仏を信じるということではないのか。いや、仏を自らのなかに育てていくことではないのか。
 こうして皇子は、この大陸に上陸した差異の港にもどってきた。そしていよいよ日本ヘ。しかし皇子はそこでも二度も頓挫する。皇子の乗った船が二度も坐礁するのだ。しかし皇子にとってそれは頓挫などではない。自分は仏という大きな掌の上を歩いているのだ。その掌に守られているのだ。皇子は少しもあせらなかった。そしてとうとう三度目のチャンスがめぐってきた。
 大海を渡ったその船は、やがて穏やかな瀬戸内海に入った。そして二日後、平穏な海をすべるように進んだ船は、ついに難波の港に着岸したのだ。
 皇子はまっすぐに竹採りの村に向かった。山を越え、峠を越えていく。あの大陸の自然にくらべると、この国の山や緑はなんと繊細で柔らかいのだろう。草々が、緑の若葉が、川のせせらぎが、皇子の胸に染み入るばかりだった。
 ああ、とうとう竹採りの村が見えてきた。ついに夢に見た竹採り村に帰ってきた。しかし村に入ってみると、村はどこか以前の姿ではなかった。かつてこの村はとても貧しい村だった。ただ竹やぶばかりがもうもうと生い茂るばかりの村だった。しかしいま広い通りが村をつらぬき、その両側に豊かな田園が広がり、家々のたたずまいも裕福そうだった。
 皇子はかつての記憶をたよりに、姫の御殿をさがしたが、そのような建物がどこにもなかった。辺りをぐるぐる見回ってみるがさっぱり見当たらない。そこで畑でいそがしく鍬をおろしている若者にたずねた。
「あ、これこれ、そこの若者。そなたにお伺いするが、このあたりにたしかかぐや姫の御殿があったのだが、間違いであろうか」
 するとその若者は、
「お坊さま、いったいそれはいつごろの話でしょうか」
 皇子はあの大陸を横断したときのままの姿だった。その風体といったら、もうぼろきれをまとっているだけのようなものだった。そんな姿から坊主にされてしまったのかと皇子は苦笑したが、村の若者の目にはそう映ったのではなかった。この皇子の顔に刻みこまれている深い知性や、何かをなし遂げた人だけが放つ強い意志の光というものをみてとって、この人はきっと偉いお坊さまにちがいないと思ったのだ。
「いつ頃のことといわれても困るが、遠い昔の話ということになるのかな」
「それでは、うちの婆さんがおりますから、呼んでまいりましょう」
 若者がつれてきた腰のまがった老婆に、皇子は同じことをたずねた。すると老婆は、こちらにきなされと皇子を山道に先導すると、林のなかに崩れた石垣を残す地に連れていった。そして老婆はそこを指さすと、
「お坊さま、ほれ、あそこでごぜえますよ。あそこにお坊さまのいわれるかぐや姫の御殿はたしかに立っておりましたんですよ。しかしもう何十年も前に、火事で焼け落ちてしまいましたでごぜえます」
「火事で、火事で焼け落ちてしまったのか」
「はい、そうなりました」
「そこに、かぐやなる姫が住んでおられたが、その方は今はどうなされているのだろうな」
「おや、お坊さまは、かぐや姫のことをご存じでごぜえますか。遠い遠い昔のことでごぜえますねえ。今の若い者は、こんな話をしても少しも信じようとせんが、しかしほんとうにあったことでごぜえますからね。お姫さまは、美しい満月の夜に、お月さまからきた雲にのって、お帰りになってしまわれたんでごぜえますよ」
「月に、月の国にか」
「そうでごぜえます。あの方はもともとお月さまの国の人だったんでごぜえますよ」
 不思議な話だった。しかし皇子はこの不思議な話を、なぜかすべて信じることができるような気がした。だからこう訊いたのだ。
「その姫は、この国のだれかと結婚なされたのだろうか」
「いいえ、だれとも結婚なされずに、それはきれいなきれいな船にのってお月さまに帰っていかれたんでごぜえますよ。遠い遠い昔の話でごぜえますねえ」
 老婆の指さした場所にいくと、たしかにそこにはかつて広大な建物が立っていたことを語るように、あちこちに大きな土台石が草のなかに埋もれていた。皇子は瓦解した石垣の前に立つと、背にくくりつけていた風呂敷から、天竺からもちかえった白い椀を取り出すと、その瓦礫の上にのせた。そして腰にまきつけていた布もほどくと、その布から竹の包みを取り出した。その包みを開いた。一枚の紙片がはいっていた。その紙片とは、皇子が姫の館を去るときに、口約束だけでは信じられぬと、爺さんに無理やり書かせたあの念書といったものだった。その紙片にはこう書かれていた。
「三年間、姫はどこにも嫁ぎませぬ。あなたさまのお帰りをお待ちしています」と。その紙片を皇子は肌身はなさずもっていたのだ。それを白く輝く椀の横におくと、
「姫よ、今もどりましたぞ。遅れに遅れたが、私はとうとう姫との約束を果たしましたぞ」
 と号泣するのだった。
 なんと皇子がこの国を旅立ってから四十年の月日が流れていたのだ。


 
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?