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人生の一コマと重なる『韓ドラ』

いろいろな方の記事に韓流ドラマが見られ、いろいろな楽しみ方があるのだなあと思いました。俳優の名、脚本家の名、原作者の傾向、とか丁寧に調べている方など、良く勉強しているなと感心しました。

私はただ画面の美しさやテーマミュージックに聞きほれているだけですが、そのドラマを放映していた時の自分の人生と重なるのです。

『チャングムの誓い』が放映されていたころ、母を施設に入れました。その日、どうしても京都に行く仕事があり、1人で京都に行きました。

運よく、お寺の宿泊施設に泊まれたのです。多分、キャンセルがあったのでしょう。20畳ぐらいの大きな古い和室に1人ぽつんと座って、テレビを見ていました。『チャングムの誓い』のテーマミュージックを聞きながら、ああ、母は今頃、1人で施設に入るのだなあと思って胸が痛くなりました。チャングムの悲しみが痛いほど伝わってきたことが忘れられません。

『冬のソナタ』がブームのころ、娘二人はまだ家にいました。土曜日、夜遅く居間から美しい曲が流れて来たので目を覚ましてしまいました。寝ぼけ眼をこすりながら居間に行くと娘二人がボロボロ泣いていました。それが『冬のソナタ』。私はドラマの内容より曲に魅了されたのです。世の中にこんな美しい曲があるのか……と。

それから数年後、長女に誘われ新宿のなんとかという劇場で韓国劇団演じる舞台版『冬のソナタ』を観ました。娘と並んで生の劇を観たのはあれが初めてで最後です。パンフレットも買いました。長女が外国で働いていた時、私はそのパンフレットを眺めては、思い出に浸りました。

『悲しくて・愛』、とうとう終わりました。あれを見ていたころ、私は離婚届を机の上に置いていたのです!(^^)!。絶望的な気持ちになっていたのです。夫がいるだけでストレス凄い、命が削られる!楽しく穏やかに生きるためには別居するしかない、と思ったのです。

でも書類を書いているうちに疲れ切ってしまいました。証人に娘になってもらう?今さら娘に心配かけたくない。とにかく遅すぎた……。新たに本籍を作る?両親が生存中なら両親の住所を本籍地にしたけれど、両親はいない。80過ぎた兄や姉に頼み込むのはちょっと……。

何もかも遅すぎた~で、めんどくさくなってやめました。

ドラマの中でヒロインが「その時、いろいろあって、そこから逃げ出すために、それだけのために結婚した。結局、自業自得なんです」というセリフが胸に染み入りました。

(ま、すべては自業自得よね、でもこのドラマのオトコほどひどくはないから、まだ、ましか)ということにしました。
離婚届けを机の上に置いたままにしていたら夫が観たのでしょう。態度ががらりと変わったのです。あれこれ言い返さなくなった。多少素直になった。癇癪を起こさなくなった……本性は変わらないでしょうが、表面的でも変わってくれれば少しはストレスが減ります。
離婚届け片手に「あなたが出て行かないなら私が出て行くから1千万円出して」と言いました。で、もっと、おとなしくなりました~
ドラマのおかげです。

そして昨日から始まった『朱蒙』。途中で関東では真夜中放映になり見られなくなったのです。詳しい理由は忘れました。すると、京都の長兄が毎回ビデオに撮ってくれて送ってくれました。その長兄はもういません。『朱蒙』を見ていると、録画して送ってくれた兄を思い出すのです。
(今はブルーレイレコーダーで自分で録画できます!)

そして仕事で少し関わった素敵な男性が(今、顔も覚えていないから素敵だったかどうかわかりません)私が、「『朱蒙』見ているけれど前半の何本か観ていない」と言うと、どこで手に入れたのか、その巻のビデオを送ってくれたのです。私だけに、ではなく誰にもとても優しい世話焼きの人でした。話してとても楽しい人だった……そんなこと思い出しながら、今日、『朱蒙』観ました。これが私のドラマの楽しみ方、なんです~

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