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『源氏物語』・権力者に利用された歴史

見方はいろいろあるだろうが、『源氏物語』は果てしない権力批判の物語であると思う。「権力礼賛」のお話ではないことは確かだ。
「男性=権力者」だった時代、物語は男性批判にならざるを得ない。

それなのに『源氏物語』ほど男性権力者に愛された物語はない。
書写し、画に描き、掛け軸にし、薫香の名前にし、贈り物として使った。

下剋上で成り上がった中世の権力者たちは、競って貴族や学者を招いて源氏講座を催した。自分の系図を皇室に結び付け、自分を貴種に仕立て、教養という衣で飾った。

江戸時代になると大名の姫君たちの花嫁道具として、源氏物語に素材を採った模様の衣装、家具、ひな人形にも取り入れられる。
徳川将軍たちは新年には必ず学者を招いて『源氏物語』講読を行った。
『源氏物語』は権力の象徴だった。

権力にも男にも冷めた目をもっていた紫式部には想像を絶する成り行きだっただろう。

近代、日本に軍国主義が頭をもたげると、日本人の優越性を知らしめる道具として喧伝されたり、
源氏物語のなかの「大和魂」という言葉は戦意高揚の道具とされた。
この言葉の意味は、「官僚としての処世術、知恵、世渡りの術」である。
古語辞典を開けばどこにも「戦争推進の精神」をあらわす意味などない。

かと思うと、軟弱で戦意を弱めるということで軍部に睨まれ、読むことさえ憚られ、芝居も劇も禁止された。

最近、一躍、古典の人気作品となり、厖大な数の一般向け解説書が出版され、公民館からは「源氏の講座を」と依頼される。

テレビドラマが始まるや、本屋には漫画から面白おかしい解説書まで平積になっている。

80年以上も前、一億火の玉となって太平洋戦争に突入したときの状況とあまり変わらないのではないか。
「そんなに難しく考えなくても」と思われるかも知れないが、私はそう感じるのだ。

なぜ『平家物語』ではないのか。
なぜ『枕草子』『方丈記』『徒然草』ではないのか。
なぜ学者でもないフツーの人が『源氏』に興味をもつのか。

登場人物が皇族だからだ。
宮中を舞台にした皇族のスキャンダル、これほどフツーの人の心をとらえるものはない。
私もそんな記事は週刊誌のタイトルだけでも興味津々だ。

週刊誌を彩る皇族ファッション、小室さんと真子さんがどうしたこうした。週刊誌の目玉だ。

源平争乱で勝ちを手にした『源氏』という名、それも人の心を惹く名だ。
もしも『源氏物語』が『源氏物語』という名前でなく『皇子の恋の冒険』あるいは『藤原物語』だったらこれほどもてはやされなかったのではないか。

執筆しているとき、紫式部は貴族政権が滅びることを知らなかった。
しかし、彼女は自分の生きている世界が遅かれ早かれ滅びると予感していたのではないか。だから最終章はあんなに暗いのだ。

本屋で山積みになっている本を見ながらふとそんなことを思った。






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