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わたしの出会った判事たち  -3-

紫色の風呂敷の人(2)

控室にはソファーがひとつあった。そこはなぜか男性専用だった。お茶くみの道具があり、オンナ委員はオトコ委員が入って来るとさっと立ち上がりお茶をいれる。

もちろん、男性委員にも女性以上に男女平等思想をもっている人もいた。
「オトコが調停を仕切っているのはおかしい。控室で女性委員が男性委員にお茶を出しているのは時代錯誤です」
と言う男性委員もいた。
しかし、女性委員の中にも、職場で女性が男性にお茶を出すのは当然と思っている人がいる。

何しろ、ほとんどが戦前の教育を受けた世代の人たちだ。うっかりした事は言えない。

午前の仕事が長引いて昼食を食べる時間もろくにないのに、人にお茶を入れる余裕なんかわたしにはない。
誰も通らない五階の廊下の片隅のベンチでお弁当を一人で食べた。

孤独を道連れにする強さがないと仕事はできない。どんな仕事でも。

そんな人がもう一人いた。彼女も控室には行かなかった。
「お茶くみする時間があったら午後の仕事の準備をしたいね」
ベンチでお弁当を食べながら彼女とそんな会話をこっそりかわした。

判事はどこからかお茶くみ習慣を耳にしたらしい。
「女性委員はお茶くみするために採用したのではありませんからね。男性の方、女性委員を奥さんの代わりだと思わないでくださいよ」
何かの勉強会の後の雑談で笑って言った。

皆笑った。それぞれ笑いの思いは違っていただろう。

控室で民事調停の男性委員が「最近の女性調停委員はお茶くみをやりたがらない。世も末だ」と聞こえよがしに言った。わたしは午後の仕事の準備をしていたのだ。わたしは黙ってその場を離れた。

判事さんは分かっているのだ。それが心強かった。今日も廊下を歩いている判事さん。いつものように紫色の風呂敷包。いつものように猫背気味。

判事は裁判所の中の風景のような人だった。彼がいて家庭裁判所がある。そんな感じだった。

「風呂敷包の中は何だろう」
「書類がぎっしり入っていて、家でも仕事をしているんだよ」
「札束だったりして」
など冗談交じりにうわさされていた。

ある日、裁判所に向かって歩いていると、判事が紫色の風呂敷包を胸に抱えて歩いて来るのに出会った。
「おはようございます」
判事は軽く会釈し、
「いやあ、今が朝か昼かも分からないんですよ。忙しくて」
「たいへんですね」
「いやあ、皆さん方が一生懸命やってくださるから何とかやっていけます。ところで、少しは慣れましたか」
「はい」
「どんどん発言してください。若手なんですから」
小さくなってゆく背広の背中をわたしはしばし見つめていた。

ソファもお茶くみ道具もわたしが就任して十年ほど後、突然消えた。
調停協会初めての『女性会長』がアンケートを取り、九十%の人が廃止を望んだ結果である。

声なき声は「お茶が飲みたければ自分で好みの飲物を持参すればいい。自販機で買えばいい。女性委員がすることではない」が圧倒的だったのだ。

時代が変わるときは、「突然、風景が変わるのだ」と、わたしは感慨を持って思い出す。

こんなささやかな変革の意識を支えてくれたのはS判事の存在である。 


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