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来月で36歳を迎える人間、35歳の病に伏している。

題名の35歳だから発症する病とは違うが精神疾患とは難儀なものだ。
自分が精神科に初めて通院したのは2015年の秋。
精神科に通院する前から不眠症に悩まされ生活リズムも朝方、昼型、夜型、様々な状態の波に襲われていたのは覚えている。
2015年の秋迄は非正規のアルバイトと派遣で心と時間を殺してほぼオンラインゲームに没頭していた。

浪人もせずに上手く軌道に乗っていたならば1988年の2月生まれなので2010年(22歳)の4月には正社員で就職して2018年(30歳)辺りから転職等を検討していた時期になっていたのかもしれない。
30歳まで転職もせず一つの会社にそれが出来る人間は少数なのかもしれないが・・・

「青春や青年時代を謳歌できた人間の定義とはなんだろう?」
成人式に出席して、大学も浪人せず内定も無事に合格して30歳を迎えられた方々に声援だけ送る事しかできない自分が此処に居る・・・
嫌味や悪意を持って言っているわけでは無いが2008年(20歳)の時、成人式に出席できる学生時代と勇気が自分には無くなっていた。高校は転校し、大学も浪人。アルバイトも転々としてインターネットが無ければもう未練も何もないような青年時代だったと感じる。
あの頃のSNS環境だと某掲示板やニコニコ動画で時間を使用し少しだけでも
良いから現実逃避を行っていたのだろうか。オンライゲームもその一つだったのは理解している。
ある人間は思考しても苦しい環境と目を背けて思考停止をしないと魂が燃え尽きてこの世から逝去するしか無かったのじゃないか。

文章を書いてて虚しくはなるが、来月で35歳を終える年齢で思うところは
、35歳は選択の年齢なのだろうか?
35歳の心の響きと36歳の心の響きは別物にしか思えないくらい焦燥感を覚えている。
2月24日から36歳なので今月が進路、厳密には自分が真摯に取り組める事を明瞭化させなければもうこの世に未練は無い。

無敵の人では無いが味方も敵もいない虚無の人間は自分だろうか。
あと何回うなだれた毎日を過ごすのだろうか。以上



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