串光倫典

1975年うまれの専業農家。 兵庫県姫路市在住。4親等に農業してる親戚いないけど新規…

串光倫典

1975年うまれの専業農家。 兵庫県姫路市在住。4親等に農業してる親戚いないけど新規就農。 2006年~農業研修 2007年~農家スタッフ 2013年~帰省して独立

最近の記事

有機農業の偏見 その3

ずいぶん間が開きました。 飽きてきたのもあるし、ネタが尽きてきたのもあるが、最も大きいのは怪我したから。 蓄積と刺激の強いことがあり、腰骨を折ってて1ヶ月ばかりろくに仕事になりませんでした。 最初の3日は何をしても何をしなくてもただ痛い。整骨院に行き痛みがとれず、整形外科に行きレントゲンをとり骨折判明。2週間ほどでそこそこ歩けるようになり、3週間で基本的な痛みがなくなり、4週間で日常生活は困らなくなりました。 暇だからnote 更新すればいいのに、だらだら過ごしてまし

    • 有機農業の偏見 その2

      その1では「運動」について書いた。 その延長には主義主張とそれから繋がる政治が出てくる。 学生運動の延長でやってると、そのままの思考で有機農業運動してる方々がたくさんいた。ゆえに仲良くできないんよね彼らは。 社会党の思考、共産党の思考、極左の思考、中には右翼思想の人もいた。 それらは正直、栽培技術と収量には関係ないんだが、取引先とかかわるとめんどうなことがたまにある。 まあ、モノとカネで済めばいいんだけどね。 KのN氏は極左だから、酒宴の席で酔いがまわったときにJA

      • 有機農業の偏見 その1

        有機栽培でやってると色々な偏見があった。 もっとも、私も有機栽培するまでは偏見する側の人間だった。 で、中の人になると偏見が生まれる理由がわかる。 ・運動する人 KのN夫妻もそうでしたが、学生運動してその末に有機栽培している人が一定数いた。 1960~70年代に大学生だったひとたちね。 それで有機農業するのはいいけど、昔話が多かった。年齢もあるだろうけど、若い頃の話になると止まらなくなる。  どーでもええねん、わしは。 学生運動からの流れで農業やると当時のセクトで

        • パートナーがいるとありがたい

          ちょっと年度とは関係ない話。 色恋とも異なります。 KのNさんは困り事があるとAさんにいつも相談してました。Aさんは隣村の元村議会議員。 村議を二期やったけど、面白くないから三期目は出ずに自営業の電気工事屋さんをしてました。 Kでなにか起こるととりあえずAさんに相談。 初年度だと、畑の立ち退きがあったので、事務所として使っていたプレハブを移動。Aさんがユニック車を借りてきて、助手を連れてきてプレハブを運び、ブロックやH鋼を持ってきてプレハブを再設置。使っていた6トンの

        有機農業の偏見 その3

          有機農業法人社員2009~トライアル&エラー

          私の研修が始まった2006年ごろ、常時野菜を持ってくる農家さんは5軒くらいでした。 2007年から小祝政明さんのBLOF勉強会(当時、こんな通称は無かった)を半年に一度、2日に渡り開催していたので、学びにきた農家さんで縁ある方とは取り引きが始まりました。 他方、離れていく農家さんもいました。 理由は色々あるでしょうが、ここで部外者になった私が故人について語ることは憚られるのでやめておきます。 生産量と品質が向上した農家がほとんどでした。少なくとも「悪くなった」という声

          有機農業法人社員2009~トライアル&エラー

          有機農業法人社員2009~出張

          この頃はK社の扱う農産物はいろいろあった。 私が働き始めたころは2つの町の有機JAS認証農産物で、軟弱野菜、根菜、いも類、果菜類だったが、2009年ごろにはお米と柑橘類も扱っていた。会社は県境の町で山奥だったが、海辺から柑橘類。もっと遠くの島からタマネギなどが届いていた。 どちらの農家も決して若くはない。50代~70代。体調を崩したり、ぎっくり腰になったり、入院したり。 お米の注文があるのだが、そのお米の農家さんは手がないので、パートのおばちゃんたち全員と私で50キロく

          有機農業法人社員2009~出張

          有機農業法人社員2009~後輩の研修生たち

          2006年にKの5人目の研修生になったが、先輩の研修生その2は縁が切れたが近所で独立。研修生その3はそもそも後継者なので戻る。 元トラックドライバーの方も独自に独立。 あとは農業をしていない。 Nさんの次男は研修生のような期間はなかった。後にNさんが引退したあとは社長をしていたらしいが、詳しくは知らない。 彼がたまたま知り合ったフリーターの若者二人組がいた。研修生でやってきたが、一人は一月たたずに辞めた。もう一人は一年近くいたが辞めた。 やってきた研修生はいろいろだ

          有機農業法人社員2009~後輩の研修生たち

          有機農業法人社員2009~この頃の平均的な1日

          単なる研修生から段階を踏んで、農業生産法人の社員となり、農場長格となったこのころ、どんな1日だったか思い出す。夏場と冬場でやることは異なるので、夏場で考える。 朝五時には事務所へ。FAXを確認し出荷するものをチェック。葉物野菜が何グラムで何袋かをざっくり計算し、メールで作業者に収穫する野菜とそのハウスの畝で何キロ必要か知らせる。 この頃はせいぜい一つの葉物で20キロも収穫しないので、朝に指示して持ってきてもらって間に合っていた。 ホワイトボードに「どこに出す」「どの野菜

          有機農業法人社員2009~この頃の平均的な1日

          有機農業法人社員2009

          実は西暦を出しているが、正しいかどうかは分からない。記憶は曖昧、メモもBlogもないのだから。 このごろKが法人になった。 諸事情は詳しく知らないが、恐らく出資の関係だろう。東京でコンサルタント会社にいて、農学部出身のN夫妻の長男さんが社長に。Nさんは会長、奥さんは会計、私は正社員になった。 町内の行政書士に依頼して定款などを定め法人登記した。 まあパートアルバイト含めたら10名以上、提携農家が10名以上、売り上げも数千万だったらしいし。 社員として出資もした。配当な

          有機農業法人社員2009

          有機農業専属スタッフ2008~里芋その3

          里芋は大量に育った。推定反収6トン。 順調に出荷していったが、圃場は準高原。秋風が吹くと寒くなってきた。 ここでKの致命的な欠点が2つ。 倉庫や納屋がない。 Nさんの後でどうとでもなるという考え。 里芋がこのままだと寒さで凍みて腐ってしまうので、土を掘ってその中に里芋を入れて生け垣にすると言ってきた。そんなもん手で掘れるレベルではないのでユンボで。それもKには機械がないから外注で畑に穴をほってもらう。 3メートル四方2メートル弱の深さ。それをいくつか掘った。 そこ

          有機農業専属スタッフ2008~里芋その3

          有機農業専属スタッフ2008~里芋その2

          里芋の成長は順調だった。 日照りでカラカラになることもなく、虫が大量発生してだめになることもなく。 しかしながら、どう考えてもチッソ成分が多すぎる。とはいえ仕方ない。ない成分は足せるが、入れてしまったものを抜くことはできない。 秋を迎えた。 里芋そろそろ収穫よね。 つーか、どうやるのだ? 町内のベテラン農家Sさんが昔は里芋をやっていたが、もう作らないからと根切り機を借りた。 でもね。それだけ。ぼちぼち試しどり。Nさんが持って帰り試食してきた。 むちゃくちゃ旨いと

          有機農業専属スタッフ2008~里芋その2

          有機農業専属スタッフ2008~里芋その1

          葉物と果菜類ばかり作っていたが、里芋を作ることになった。 面積は3反。新しく借りた畑。前年は他の方がキャベツを植えていた。 土壌分析して施肥設計した。物理性を高めるために堆肥をいれなあかんとなり、私の初年度いた畑の地主さんに電話をした。研修生その3の親父さんね。 ここは畑もしていたが本業はブロイラー(食用若鶏肉)で、いわゆる鶏糞(厩肥)ではなく、有機物をまぜた堆肥を作っていた。ブロイラーの主な売り先は九州地盤の生協グループで、その関係からか、そこの生協と契約してる野菜農

          有機農業専属スタッフ2008~里芋その1

          有機農業専属スタッフ2008~お家

          農業研修する前、大学院修了してから極めて山奥の一軒家に住んでいた。 家賃は10000円だったかな? トイレは汲み取り、風呂は湯船に灯油で追い焚き、エアコンなし、陽当たり悪し。畳は浮いていて、使える部屋はひとつくらい。洗濯機とコーヒーメーカーを使うとブレーカー落ちたが、まあ仕方ない。そういう契約にしていた。 4年くらい住んで、農業研修始まったが、畑まで山道を10キロくらい。ある日、Nさんから「引っ越したら?」と言われて、畑から2キロの空き家を借りた。20000円。平屋で6部

          有機農業専属スタッフ2008~お家

          有機農業専属スタッフ2008~その2・有機JAS

          Kでは有機JAS認証という制度ができた初年度から認証をとっていた。よって私たちも認証の学びに行ってた。 認証農家はNさんだが、スタッフも学んでおかないとミスしかねない。 独立した今は関係ない。無農薬野菜・無化学肥料でやってるが、有機JAS認証はとらないから。 熊本県の中山間部地域だと消費地が遠い。 Kも四国や神戸や大阪の生協に野菜を出していた。もともと有機野菜を育てたかったのもあるだろうが、有機JAS認証という農水省のおすみつきがあるのと無いのでは値段の根拠が異なる。

          有機農業専属スタッフ2008~その2・有機JAS

          有機農業専属スタッフ時代2008~その1

          3年目になり、また研修生が二人きた。 2年目のその6と私がそれぞれ指導することに。 私は専属スタッフとなり、ようやく手当が二桁万円になった。 ・ドクターソイルの使い方 ・施肥設計の仕方 ・ソイルブロックの作り方 ・播種と育苗 ・施肥作業と苗の定植 栽培に関してはだいたいマニュアルのようなパターンができた。 これらをマスターしたら、とりあえず有機栽培の軟弱野菜は育てられる。 この年からビニルハウスが増えたのと、露地のキュウリ栽培がスタート。 キュウリは私についた研

          有機農業専属スタッフ時代2008~その1

          有機農業実習生時代2007~果菜類

          Kでは葉物野菜がメインだったが、真夏は果菜類を育てた。それは独立した今、私も同じことしてる。 違いはKの圃場は標高が300~500メートル強の準高原だったのと、いまのうちは100メートルほど。 本当はNさんは夏場にホウレン草を育てたかった。値段が高いから。これは私がKに在籍してる間はできなかった。独立した私は真夏にホウレン草なんか作らない。無駄だから。 よって果菜類。私が初めて取り組ませてもらったのはミニトマト。ミニトマトだが、私はプチトマトだと思っていた。しかも、分類

          有機農業実習生時代2007~果菜類