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那須 さおり「現代の天使」

1.悩みに寄り添う女性

「夫婦関係の悩みを誰に相談したらよいか分からない」

そんな悩みを抱えている人は多い。

夫婦というプライベートな問題だけに親や知人にも相談できず、ひとりで悩み、その結果、離婚を決断してしまう人たちも多いようだ。

しかし、そうした悩みに真摯に向き合い、アドバイスを行っているのが、大阪府在住の那須さおりさんだ。

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那須さんは、夫婦コミュニケーションアドバイザーとして活動する一方で、2019年からはママ専用のオンラインサロンなすカフェオンラインサロンを開設。

子育て中の母親たちの悩み相談にも乗っている。

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こうした支援活動は、すべて那須さんの実体験に基づいたものだという。


2.母と同じ道へ

那須さんは、熊本県天草市で4人きょうだいの長女として生まれた。

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小さい頃は、保育士になることを夢見ていたが、祖父から「お前には看護師が向いていると思うよ」と助言を受け、母と同じ看護師を目指すようになった。

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「14歳の夏休みに、母が勤務する病院に隣接した高齢者施設へボランティアに行ったんです。施設のおじいちゃんやおばあちゃんたちと話すのがすごく楽しくって。私にだけ、『ここでは、わざとボケているふりをしてるんだよ』と教えてくれる人もいたんです。そこから毎年、ボランティアに行くようになりました。ときどき、母が回診の助手で施設にやってきてたんですが、そのときに働いている姿を見て『母のようになりたい』と憧れを抱くようになりました」

中学卒業後は、いち早く看護師の資格を取得するために、鹿児島県にある私立高校へ進学。

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5年間の寮生活を送りながら、看護師を目指した。

病院奨学金制度を利用していたため、卒業後は学校が指定した兵庫県の病院で4年間勤務した。

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急性期病棟で働いているうちに、「本格的に救急医療へ携わりたい」と考えるようになり、今度は別の病院に務め始めた。

救急医療と言えば、生死と向き合う現場のため、精神的な負担も大きく、ときには目を背けたくなるような場面に遭遇することだってあるだろう。

それでも那須さんは、あえてそうした場所へ飛び込み、ひたすら学びを続けた。

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「心臓の専門病院だったんですけど、あえて救命に配属してもらいました。救命できるかどうかって、医者だけの判断ではないんですよね。ここで、チーム医療の大切さを学びました」


3.もっと看護を学びたい

驚くべきことに、那須さんは看護師として働いている間、勤め先には内緒で、訪問入浴や訪問看護、老人病院での夜勤など看護に関するさまざまなアルバイトにも従事していたようだ。

それは決してお金のためではなく、自身の学びのためだ。

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「『ここに行ったらどんな感じなんだろう、こういう場面ではどのように看護するんだろう』と自分がとにかく体験してみたかったんです。特に自宅での支援が中心となる訪問入浴や訪問看護なんて未知の世界でしたから。好奇心が小さい頃からすごくって、考えるよりも自分で体験しちゃうんですよね。その度に転職するわけには行きませんから、アルバイトという形で働き続けました」

働いているうちに「小児医療を学びたい」という想いを抱き始め、アルバイト先の病院で同じ当直になった副院長に相談したところ、その医師が勤務する病院で採用の機会に恵まれ、NICU(新生児特定集中治療室)で勤務を始めた。

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ところが、働き始めて1年半で那須さんはその職場を去ることになる。

その理由のひとつが、両親との約束だった。

兵庫県三田市の病院で働いたあと地元へ帰る約束だったが、そのまま関西で働き続けている那須さんを父親が連れ戻しに来たようだ。

「15歳からずっと熊本を離れていたから、親元へ置いておきたかったんでしょうね」と当時を振り返る。

「9年間、関西で働いてきて一番神経を削られたのが、NICUだったんですね。1年半で10キロくらい痩せたんです。例えば0.1ccの薬のミスで赤ちゃんは亡くってしまうんです。超未熟児や仮死状態など毎日いろいろな新生児の対応に追われていて、自分も限界にきてたんだと思います」

熊本へ戻った那須さんは、「救急があるところで働きたい」と地元の地域医療センターで外来と救急外来を掛け持ちして働いた。

2年ほど働いたあと、病院で知り合った2歳下の医師と結婚し、約11年間続けてきた看護師の仕事に幕を下ろした。


4.こんなはずじやなかった

専業主婦として子育てに専念し、楽しい育児ライフが待っているものと思っていた。

ところが、夫は夜中に帰宅し、早朝になると再び仕事へ出かけるという毎日で、出産後からワンオペ育児が続き、夫婦関係はどんどん悪化していったようだ。

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「ママ友はいても、愚痴を話すことを遠慮していました。どうやって死のうかといつも考えていました。でも、出産後1年ほど経って、わたしが育児のことを知らないからこんなに大変なんだと気づいたんです」

そこで、セミナーを受講したり本を読んだりして子育てを学び始め、育児インストラクターの資格を取得。

2013年から自分の体験を伝えるために始めたブログは大きな共感を呼び、次第に、悩める母親たちの相談にも乗るようになり、サークル活動をスタートさせた。

40人ほどの規模となり活動は活発化したが、夫の転勤により、5年前から大阪へ転居。

子育てに関する悩みは改善されたかに見えたが、那須さんの心の底にはいつもイライラが残っていた。

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原因を探っていくと、それは夫との関係にあったことに気づいた。

それまで、育児に携わることができない夫に対して常に上から目線で話しかけており、そうした気持ちと裏腹に寂しかった自分がいることを認識したようだ。

そこで、約4年を掛けて夫婦関係を見直し、修復を図っていった。


5.孤独なママをゼロにしたい

那須さんには、現在3人の子どもがいるが2番目の子どもには染色体異常による障害がある。

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この子の保育園入園に伴って、2017年から起業し、子育て中のお母さんに対してコーチングにてサポート行っている。

「最初は、育児コンサルをしていたけど、その子どもを見ていないのにアドバイスはできないなと感じるようになって、お母さんの心のコーチングを始めたんです。子育てなどに対して正解を求めているお母さんって多いんですが、正解はないから自分で決めて選んで行動していけるように伴走しています。あと、私自身がそうだったんですが、『あれしなさい』『これしなさい』など、子どもに干渉しすぎてしまうお母さんって多いんですよ。子どもをコントロールしたい、言うことを聞かせたいという感情は否定できませんが、コーチングを通じて、自分の人生と子どもの人生は別だということを意識することで、物事の見え方が変わってきたんですよね」

そして、こうした自身の体験をもとに、「孤独に子育てをするママをゼロにしたい」と、2019年から始めたのが「なすカフェオンライン」というわけだ。

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母親同士の横の繋がりを強めるため、子育て中の母親であれば、誰でも無料で入会することができる。

グループセラピーと発達凸凹ちゃんママ専用コースという2つのプランを設け、現在もサロン内で意見交換や活発な交流が行われているようだ。

振り返ってみると、那須さんはいつも誰かのために動いてきた。

高校時代は、当時流行っていたルーズソックスを学校で履くことができるように、校則を変えるため生徒会長になって実現させた。

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最後に働いていた熊本の病院では『田舎の病院だからこそ救命が大切なんです』と力説し、救急チームを立ち上げて年に一度の救命講習を継続開催できるようにした。

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「小さい頃から、いつも誰かの役に立ちたい。せっかくなら、自分が学んだことをみんなで共有したら喜ばれるのではないかと思っていました」

そう語るように、知識や経験を自分だけのものにせず、皆と共有しようとする考えには頭が下がる。

夫婦関係や育児で悩んでいたときだって「これ解決したら、みんなと共有できるし、誰かの参考になるかも」と自らの体験を知恵に変えられる思っていたというから、なんて聡明な女性なのだろう。

でも、そうした活動は大きくなればなるほど、横やりが入ることだってある。

「中学時代のボランティア体験や看護師時代のアルバイトなど、『あんたがやってることは綺麗なところしか見せていない、ただの偽善やん』と言われることがありました。偽善者って言われることが怖くなって、そこからボランティアなどができなくなってしまったんです」

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弱みを見せる那須さんだが、夫の希望で、なんと来春から家族でオーストラリアに留学することを決意したという。


6.あの女性に近づきたい

タイムリミットが迫る日本の生活のなかで、何ができるかを考えたとき、やはり頭に浮かんだのはボランティア活動だった。

「家庭訪問型の子育て支援事業を始める予定です。ボランティアが家庭に訪問して、お母さんの話を伺ったり一緒に家事をしたりと地域での活動を活発化させたいと思っています」

そんな那須さんには憧れの存在がいる。

それは、19世紀の半ばに看護という職業を創設したナイチンゲールだ。

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「母のようになりたい」と思って入学した看護学校で、ナイチンゲールについて学び、ナイチンゲールの看護に魅了され、目指すようになった。

本業とアルバイトを掛け持ちしていたのも、ナイチンゲールに近づきたい一心だったのだろう。

天職だと思っていた看護師を辞めたあとも、「人の役に立ちたい、目の前で苦しんでいる人を助けたい」という思いは変わらない。

活動自体は変わっても、那須さんの信念は少しも揺らいではいないのだ。

むしろ、多様な活動を通じて、ますますその想いは強くなっているように感じる。

およそ100年前にナイチンゲールは、「看護は新しく生まれた芸術であり科学である」と明言した。

それまで「看護師は女性なら誰でもできる仕事」と簡単に考えられていた看護の仕事を発展させ、現代に至る看護の基礎を築いた。

そしてナイチンゲールは、その著書『看護覚え書』のなかで、看護という仕事は、怪我をした人や病気になった人に、単に薬を与えることではなく、その人の身体内部に宿る自然治癒力が発動しやすいように、生活のあらゆる側面を通して援助し、その人の生命力に力を与え、生きる力を引き出すことであると訴えている。

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まさに、那須さんがやり続けていたのは、真の意味での「看護」なのだろう。

彼女のように誰かにエネルギーを与えることができる人こそ、これからの時代に必要な人材のはずだ。

ナイチンゲールはこうも言い残している。

「天使とは、美しい花を振り撒く者ではなく、苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ」と。

現代の天使は、今後どこへ舞い降りるのだろうか。


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