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18歳、銀杏BOYZ

結局のところ、僕は18歳の夏に初めて銀杏BOYZのライブに行った時のことが忘れられずにここまで来てしまったんだと思う。根暗でネガティヴなくせに焦燥感とでたらめな情熱だけは一丁前に持っていた少年の僕にとって、峯田のメロディ、歌詞、そしてメッセージは致死量だった。

あの頃は、多摩川沿いの学生街にあるやたらでかいワンルームが僕らにとっての溜まり場だった。大学から2時間近く離れた実家に僕は一切寄り付かず、アルバイトも友達作りもサボりながら、ろくに授業にもいかず本ばかりを読んでいた。家主のバイト先でまかないを食べ、彼が自宅に女を呼ぶ時は近くのでかい公園でしばらく過ごし、それから3人で映画を見たり音楽を聴いたりしながら眠る毎日が続いた。家主はムカつくほどモテたが、僕は貧乏で根暗なので死ぬほど世の中に嫌われていた。

家主のように、こじれた僕のことをたまに気にかけてくれる人がいたけど、そんな人のことさえも何度も裏切りながら生きながらえていた。18歳の僕が生きる世界は広いように見えても居心地はとても悪くて、いつもここにいるべきじゃないような気がして、何のために受験勉強をしたり親に迷惑をかけたりしながらここまで生きてきたのか、シンプルにわからなかった。惰性で何度も死にたいと思った。惰性で人は死にたくなるものなのだと、幼いながらに初めて自覚した。多分、辛かったんだと思う。

初めて峯田の生声を聴いたのは何かのフェスだったような気がする。なぜ銀杏BOYZを聴こうと思ったのか、今ではよく覚えていない。

大学のキツネみたいな顔をしたサブカル気取りの女から「なんか、銀杏BOYZとか聴いてそうだよね笑」と笑われたことだけは覚えている。それが皮肉だということはなんとなく伝わったし、同時にそれが皮肉になり得るバンドとは一体どんなものなのか、純粋に興味も湧いた。それがはじまりだったのなら、キツネ女にも感謝するべきなのかもしれない。

コロナ前の上も下もないようなもみくちゃな客席の中で、やたら香水臭いおっさんの肩に寄りかかりながら、5メートル先で坊主姿にギターを携える峯田のギラギラした姿を眺めていたのをよく覚えている。

「あなたがこれから間違ったことをしてしまって、たとえば誰かの命を奪ってしまったとして、でも俺は、あなたがあなたのままでいるのなら、あなたがずっとそのままでいるなら、俺はあなたのやり方をこの歌で肯定したい」


『BABY BABY』の前のMCだった。YouTubeに動画が残っていたので、それも何度も聴き直した。この歌を書いた18歳の峯田には、抱きしめたい人なんていなかった。好きな人なんていなかった。僕だってそうだった。でたらめな日々を送る自分のことを好きになる人なんて想像もできなかった。

だから、この歌が好きになった。シンプルで、大切な理由だ。抱きしめてくれ、かけがえのない愛しい人よ。そんな人がどこかにいてほしい、いつか、誰かが僕を抱きしめてほしい。そう考えるようになって、初めて誰かを、自分を肯定できるようになった気がする。

あれから僕は銀杏BOYZを毎晩のように聴いている。でも銀杏BOYZを聴いているからといって、純愛ができるとは限らないし、きれいな心のままではいられないと思う。実際、あれから僕は人に愛してもらえるようになって、恋人も何度かできたけれど、結局どれも成就することはなかった。先月も遠距離恋愛の彼女に振られてしまい、もう一度僕はひとりになってしまった。どす黒い心に覆われて、そんな自分のためだけに銀杏BOYZを今は聴いている。

Twitterとかで銀杏BOYZや峯田を追い続ける童貞らしくてウブな男を持ちあげるツイートを見ることもあるけど、僕はそういう連中のことがかなりきらいだ。物事のきれいな部分しか見ようとしない人のことは好きになれない。銀杏BOYZ聴いてるやつはすげえとか、銀杏BOYZは誰のための音楽だとか、そんなことは心底どうでもいいよ。

わざわざ揉め事を引き起こしたいわけじゃないので、こういうことはTwitterではなく深夜2時に書き殴ったnoteの端っこにとどめておいた方が良いと思う。こんな拗れた人間の文章をここまで読んだ貴方にだけ、僕の真意が伝わればいいと思う。

僕には自分の音楽なんてないけれど、この言葉で貴方を肯定したい。こんな自意識を引き延ばしたような文章を、ただここまで読んでくれてありがとう。

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