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経済成長の背景(Background of Growing Economy)

1960~1980頃の日本が好調な経済成長をしてきた背景には次の三点がありました。一つ目は独特の国民が育った歴史、二つ目は経済に集中できた環境、三つ目は産業を支えた豊かな人材です。
一点目は封建時代のユニークな歴史です。江戸時代は人口約3,400万人のうちの一握りの武士(国民の約7%)が社会を運営していましたから、武士階級の子弟が教育を受けるのは当然の社会でした。一般の人の子供たちも寺子屋で、論語などの中国の古典や精神的な支えでもある武士道の教えを背景にした教育を受けていました。教育のお陰で武士階級ではなくても正直で親切な責任感の強い人が育って、町人文化の花を咲かせていました。当時のヨーロッパと比べても、日本の文化は決して低くはありませんでした。
封建時代は身分制度が厳しい時代でしたから、一般の民衆はおかれた立場に我慢することは当たり前でした。職人や商人は家族や隣人を守るために、誠心誠意、責任感を持って丁寧な仕事をすることを心がけていました。また「情けは人の為ならず」といわれるように他人に親切することが当たり前の社会でした。
徳川将軍の幕藩体制の下、大小約300あった藩は一つひとつが大名と呼ばれる殿様が統治する国でした。近代化を目指した明治維新政府によって、廃藩置県が行われて藩はなくなりましたが家の制度は残りました。戦後の新しい憲法によって家の制度はなくなりましたが、未だに一部の年配の方の意識の底に長男を他の子供たちと分けてとらえる気持ちが抜けきれていないことがあるようにみえるのは残念なことです。
二点目はアメリカに軍事的な安全保障を頼ることができた環境です。日米間の条約のお陰で、日本は経済活動に集中できたといえます。順調な経済成長期には輸出産業の拡大に伴って両国間で経済摩擦がたびたび起きましたが、その都度政府間交渉で乗り切ってきました。しかし、時代が昭和から平成に代わると、軍事的な安全保障を他国に頼るだけではすまなくなってきました。平成時代の日本は経済状況に関わりなく、軍事的な安全保障に参加する時代になったのです。国としての活発な経済活動は重要ですが、経済に専念できる環境ではなくなりました。最近の日本を取り巻く環境の変化は、東アジアにおいてもヨーロッパや中近東の状況をみても明らかです。
古代ローマ時代から2000年以上軍隊活動をしてきた国と、近代化から200年に満たない日本の軍事では対応に違いがあるのは当然です。十分な予算があれば兵器を買いそろえてハードの能力を先進国並みに整えることは可能でしょう。しかし、軍事力の運営というソフトの能力の向上はお金で買うことはできません。運営能力は着実に基本を繰り返し実践することで身に付けるもので、教養を身に付けるのと同じように相当の努力が必要です。
組織の運営はモノと違ってカタチは見えませんが、組織の運営は技術の一つです。組織運営の技術は、教養を身につけるのとは違い、時間をかけて学べば誰でも習得することができます。組織の運営を謙虚に検証して改善点があるとすれば、速やかに手法の修正に取り組まなくてはいけません。3周遅れを取り戻すためには、組織の運営というソフトの技術を学び、運営能力のアップを推し進める必要があります。特に、組織運営の技術の主な要素である基本業務の見直しと交渉力の強化は重要です。
三点目は豊富な人材です。日本は鉱物などの自然資源には恵まれていませんが、人的資源に恵まれていました。産業の要望に応えた「人つくり」の政策は、持続的で好調な経済を支える多くの質の高い人材を輩出してきました。「人つくり」政策は安定的な経済発展を可能にしてきましたが、一方では「みんなで一緒に」の教育が均一な人を育ててきたともいえます。現在の同調圧力の働きやすい社会は「みんなで一緒に」の教育がよきにつけ悪しきにつけ大きく影響しているようです。
「人つくり」は社会が子供を育てるところから始まります。江戸時代に日本を訪れたヨーロッパの人が日本は子供の天国だと伝えたように、子供たちを大切に育てる文化がありました。人は国の財産であり社会の支えですから、世界で通用する人を育て続けなければいけません。「人つくり」は日本が先進国であり続けるために最も重要な課題だということは論を待ちません。
飛行機は空気の流れを利用するために、風上に向かった滑走路から飛び立ちます。さぁ、胸を張り向かい風を受けて舞い上がろうではありませんか。

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