私以外日本全滅(サモソンチミ)

サモソンチミは世界最高のガールズグループだと思う。ムエタイに鍛えられたクラテー・アールサヤームの圧倒的なダンスの切れ味。ルークトゥン(タイ歌謡曲)に裏打ちされたメンバーの確かな歌唱力。K-POPを咀嚼したフォーメーションとビジュアル戦略の妙。レディ・ガガと山本リンダを足して二で割ったとしか思えないバイトゥーイの猥雑さ。性格の良い浜崎あゆみのようなルークターンの可愛らしさ。
目を見張る点はいくつもあるが、なにより曲が良い。圧倒的に、衝撃的に良い。土着性と通俗性、あるいはこぶしを効かせた節回しとダンスミュージックの見事な融合。
彼女たちの音楽は、オリエンタリズムを逆手に取った、かつての日本の良質な音楽を想起させる。例えばサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」、細野晴臣のトロピカル三部作、筒美京平ディスコ期の優れた作品群(「真夏の出来事」「シンデレラ・ハネムーン」「夏色のナンシー」)。(どうでもいいが「サザエさんのエンディングテーマ」はまごうことなきモータウン・サウンドだ)
しかし、サモソンチミ(ルークトゥン)の魅力は、懐かしさ、だけではない。懐かしさとともに、我々日本人が到達し得なかったビジョンを垣間見せてくれる。
思えば、90年代は細分化と蛸壺化の時代だった。みんなが好き勝手に自分のジャンルに引きこもったその結果、ヒップホップやダンスミュージックと融合する理由を無くした歌謡曲は、死んだ。その時代、その時々の流行りのリズムを取り入れてこそ歌謡曲なのであって、そうでなければただの演歌なのだ。言うまでもなく、笠置シヅ子や美空ひばり等、偉大な先人たちは、その時々の最先端のリズムを取り入れていた。笠置シヅ子や美空ひばりが現役ならば、当然のようにヒップホップやハウスミュージックを取り入れたはずなのだ。しかし、90年代の歌謡曲勢は、ヒップホップとハウスミュージックの荒波に恐れをなし、敵前逃亡して、死に絶えたのだ。
一方、タイの歌謡曲は、20年の月日を経て、ヒップホップやダンスミュージックを飲み込んで、EDMルークトゥンとでも言うべき独自の進化を遂げている。言うなればルークトゥンは、我々が到達し得なかった世界、「未来から来た歌謡曲」なのだ。

ここまで書いて、Kはスマホをタッチする手を止めた。誰に向けて、何のために書かれた文章なのか。
今日は日曜日。先週からの大雨の関係で、朝8時から避難所に勤務していた。
引継ぎを受けたとき、すでに雨は上がっていた。そのとき避難者は3人。1時間もしないうちに、全員帰宅した。災害警戒本部に避難者異動のメールを送ると、やることがなくなった。それでも本部からは一向に避難所閉鎖の連絡が来ない。地盤が緩んでいて少しの雨でも危険だとかニュースで言っていたので、自治体のアリバイ作りとして避難所を閉鎖できないということだろう。スマホのメモ機能に、誰も読むあてのない文章を書いてすごした。18時に後任がやって来た。

引継ぎを終えると、Kはバスに乗って本庁の職場に向かった。今までの大雨が嘘みたいに夕日が赤い。明日、月曜日から一週間、新型コロナウイルス感染症対策室に派遣に行かされるので、元の職場の仕事を整理する必要があった。
代わりにやってくれる人はいなかった。Kの職場には主任、係長、課長補佐、主幹、課長がいるが、係員はKの一人だけだった。船頭多くいて兵隊が一人しかいない、地方市役所の典型的な職場だった。Kは40歳になっても今だに一番下っ端だった。
コロナ禍で閉鎖した公の施設の指定管理料の補正予算要求書を財政課に提出するだけだが、思いのほか時間がかかった。見積書や基礎資料はすでにできていたが、事務事業評価シートやら収支計算見積書やらその他諸々の付属書類に手間取って、仕上がったのは午前3時だった。それから他都市照会とかどうでもいい仕事を終わらせて、起案書をイントラシステムでアップロードした。一週間分の引継書を書いて、主任と係長にメールで送った。すべて終わったのは午前4時だった。Kは職場で仮眠を取った。

翌日から新型コロナウイルス感染症対策室のワクチン推進係に配置された。先週、ワクチンコールセンターのバイトが市民に暴言を吐いて、その内容が地元新聞で取り上げられて、ネット界隈で炎上して、市長が謝罪して、という一連の流れがあって、市長の一声でバイトは封詰め作業に専念し、正規職員が電話対応をすることになったため、K以下15名が市役所の各部署から、めちゃくちゃ密なコールセンターにかき集められたのだった。
ワクチン調達の遅れから、ただでさえクレーム地獄のところ、先週の件も相まって、電話が鳴り止まない状態だった。
K以下15名に課せられたミッションはただ2つ。言い返さないこと。自分から電話を切らないこと。サンドバッグのように受けて相手が電話を切るのをひたすら待つ。
3分で諦めてくれる人もいれば、1時間以上、怒り続ける人もいたが、そのうちどちらにしても同じことだとすぐに分かった。どうせ電話を切ったら、すぐに次の電話がかかってくるのだから。Kは頭の中でクラテー・アールサヤームの「サバット」を脳内リピートさせて、なんとか正気を保った。

派遣されて3日目の夕方、イントラシステムでアップロードした起案書がことごとく差し戻されているのに気づいた。差し戻したのは課長補佐のBだった。
Bは重箱の隅をつつくのを生き甲斐にしている男で、話し方や目付きがお笑い芸人の河本某に似ていた。どうでもいい他都市照会まで差し戻されているのには閉口した。いちいち「去年と今年だけで事例なしと回答するのはいかがなものか。最低5年は見ないと」とか「相手方の意図が明確でなくAならこの回答でよいが、Bの可能性もあり、であれば質問の問いと答えが噛み合っていない」といったコメントが付されていた。
午後6時に職場に戻ったときには誰もいなかった。修正作業が終わったのは午後10時頃だった。

このまま家に帰るのは怒りが収まらなかった。居酒屋で一人、飲めないビールを飲み、酒の飲めないBは、ジョッキ一杯飲んだ頃には酩酊状態だった。
もはや正気ではないKは一人、バーに向かった。
今まで誰にも言えなかったが、新型コロナの感染者数が増えるたびに内心ワクワクしていた。それがこの社会のクソシステムを揺るがしてくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いていた。社会のこんなクソシステムに奉仕させられる愚かさに、バカな日本人も流石に気づくのではないか。
しかし、事態はそうはならなかった。この愚かなクソシステムは維持したままで、この国の人たちは事に当たろうとしていた。もはや正気の沙汰ではない。
酩酊状態で正気ではないKは考えた。もうこうなったら、自分がスーパースプレッターになって周囲の人たちを一人残らず全滅させる以外にない。ワクチン推進係でクラスターとは、さぞ痛快ではないか。Kの妄想の中で、自分が重症化したり、死んだりするイメージは湧かなかった。私以外日本全滅。どのみち日本は終わってるんだから、どうってことないだろう。
Kはクラスターに最適な密なバーを探した。3軒ほどまわって、頃良いバーを見つけた。マスクを外して所構わす、男女問わず、片っ端から話し掛けた。マスクを外して至近距離で喋り散らすことはこんなに爽快なんだと初めて知った。きっと元スマップの某アイドルみたいに全裸で公園をダッシュしてしまう種類の人たちは、きっとこんな心理状態だったんだろう。その気持ちが初めて分かった。

シンガーとムエタイ戦士の元祖二刀流、クラテー・アールサヤーム。1987年8月25日生まれの現在34歳。素晴らしいルークトゥン歌手はいくらでもいる。しかし、「未来から来た歌謡曲」としての現代ルークトゥンの代表選手を一人選ぶなら、クラテー・アールサヤーム、彼女をおいてほかにない。彼女の道のりはルークトゥンの進化の道程でもある。14歳で4ティーンのメンバーとしてデビューしたときには、いかにも歌謡曲然としていたのだが、2013年のシングル「トゥート」ではルークトゥンとダンスミュージックを大胆に融合させ、混乱と熱狂の渦に叩き込んだ。
2014年発表のアッパーなダンス・デュエット、「ヒドゥン・ライン」では、LINEのやり取りに沿って、軽快な男女の掛け合いボーカルが展開される。そのさまはさしずめLINE時代の「もしかしてパート2」のようだ。その後も「メリ」「ステイ・クール」「サバット」といった画期的、革命的なシングルを次々と…

そこまで書いて、Kは急激な喉の渇きを感じた。冷蔵庫にはアイスコーヒーしかなかった。Kはアイスコーヒーを一気に飲み干した。なにも味がしなかった。


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