本当に寛容になりたかったのは自分だった

こんばんは、くつばこのりこです。
とってもひさしぶりのnoteです。

 現在、くつばこはnoteだけでなく、全体の活動自体が事実上の停止になっています。原因は、わたし(りこ)の不調でした。半年くらいくつばこを離れる時間をいただいて、今の現状をお話しようと思います。そして、くつばこのnoteの一時停止をあらためてお伝えします。

☆考えすぎちゃった、抱え込んじゃった
 くつばこをやっている間、私はとても考え込むことが多かったです。社会にあるさまざまな問題を、自分ごととして考えることは、思っていたよりも労力がかかるようでした。例えば差別なら、差別されている人の気持ちに立ちすぎてしまって、いつまでも落ち込んでしまったり、「穏やかな生活」ができないような時もありました。定期的に調子が悪くなって、ほかになにかのめりこめることがある時に調子が回復していく、というような状況でした。(今振り返ると、1年目の夏くらいからずっと変だったな、自分、、、と思います。)「もう元の『自分』には戻れないかもしれない」、そう思う日も多々あり、悪循環に陥っていました。

☆苦手なことが合わさって
 そんな中、私の苦手なことが合わさって過去最高の不調を迎えたのが去年の秋~冬頃でした。(くつばこは関係がない)SNSでの誹謗中傷により、自分宛てのリプライ(LINEの返信なども含む)が読めなくなったり、反対に、誰からくる連絡も絶対に返さないといけないと思うあまり負担になっていたり。これはくつばこに限らず誰が相手でも同じで、LINEやメールを開くのにすごくすごくエネルギーが要る状況になりました。体調にも現れてしまい、日常生活に支障をきたすようにもなってしまったので、しばらくくつばこを離れる時間をもらうことにしました。

☆くつばこが回らなくなった
 わたしが離れたくつばこは、うまく回らなくなりました。それはまったくもってほかのメンバーが悪いわけではなく、わたしのここまでの組織づくりの問題です。「みんなで」なにかをする空気感を作ってこれなかった。せっかく集まってくれた何十人を、(22年4月に入ろうとしてくれていたメンバーも含め)自由に動ける雰囲気の中で活動できなかったこと、とても悔やんでいます。本当にごめんね。

☆多様性は私自身が求めていたものだった
 くつばこから離れて一番感じることは、「多様性を求めていたのは私自身だったんだ」ということです。私自身が一番多様性に寛容でありたかったし、私自身が一番多様な人が多様なままでいられる社会を作りたかった。ただ考えれば考えるほど、苦しい声や、反対に差別する声、その両方ばかり大きく聞こえるようになって、苦しくなってしまったのかなと。自分自身のマイノリティ性の受容ができないこともあり、メンバーにさえもうまく感情の共有ができなかった。誰よりも強く「多様」を求めていた自分が、多様でない道を歩く先頭に立っているのは、すこし(いやだいぶ)無理があったんだと思います。自分が責任者である限り、一番くつばこの事を考えていないといけないし、一番寛容でなければいけないと、自分を箱に閉じ込めていたのは自分でした。

☆学びはやめたくない
 それでも、障害学から全く離れたいわけではありません。大学のゼミを通して、週に1~2時間考え、日常と切り離せるくらいが今の自分にちょうどいいと思います。最近は、特に息苦しくなることもない、夜もよく眠れる「普通の毎日」が送れています。考えることから逃げられる距離感で障害についても考えています。

☆これからのくつばこについて
 これからのくつばこについては、うたやみう、せんに任せています。再開するかもしれないし、このままなくなるかもしれない。どちらでも、わたしたちの活動の記録はこのnoteに残るので、いいなと私は思っています。

 また、お会いできる日を楽しみに、もうすこし自分を第一に生活する毎日を送りたいと思います。


 健康で、平和で、あたたかな日常がすべての人に訪れますように

追伸:髪を切るのはいいですよ! 成人式が理由で髪を切れていなかったのですが、思い切ってガッツリハンサムショートにしたら鏡や写真を見るたびに、しっくりくる自分になれました。

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