3月、ものすごい鬱が来た【クツシタサンのうつ病日記】
ただ横になって天井を見ているだけの療養生活
一年半を越える
クツシタサンのうつ病日記
今年の3月、鬱がひどくなって大変なことになりました。
ひどすぎて書くのをためらうレベルの話なのですが、きっかけは様々あります。
自分は3月になるとトラウマが発動して鬱が押し寄せてしまう傾向にあり、できるだけ穏やかになれるように薬に頼ったりして生きてきたわけですが
ちょっと今年のそれは、別の要因も重なっていたことか、結構にひどくなってしまい
「電車を見ると飛び込みたくなる衝動」がコントロールできない状態になりました。
わが町、蒲田には駅のすぐ近くに大きな橋があります。
その橋は線路を越えるためにある橋で、何の線路かというとJR線です。
一本二本のレベルではなく、蒲田を通過する電車(通過だからスピードが速い)も走っておりまして
この橋からとび降りれば確実に………といったロケーションです。
それで、この橋を渡っている最中に急に飛び込みたくなって
そうなった自分を抑えるのに、その時は辛うじて成功しました。
身長よりは低い柵、飛び降りるのは可能です。
帰宅最中「今の自分は、電車に飛び込もうとしているほどの、ひ状態」だと気がついてしまいました。
なんとか家に帰れたものの、我が家は玄関をあけたらそこに線路があるわけで
電車から逃れられそうにありません。
飛んでしまいたい自分がいる
だから電車が怖い
普通に考えると矛盾しているような考え方ですが、こんな感じになっていました。
で、この気持ちでいっぱいになって、押しつぶされそうな状況で
「家から出たら電車がいるから、出られないように人体を破壊する」ような行動に出たり
その後スイッチが切れて動けなくなり文字通り寝たきり状態になったり
なかなかに大変な状況下におりました。
しかし今振り返ると「大変な状況下でヤバい」と言えますが当時の自分としては、これが正しいし普通だ、みたいな感じで
心配されるような状況であることにすら気づけない。
かなりよくない状況です。
寝たきりの引きこもり、それでも生きていかなくてはならないので飯を食べる、カップ麺か白米か、そして、信じられないくらい太ってしまい
病院にいく時期になっても引きこもりは続き、すると薬の離脱が起きてさらに動けなくなり
このまま、床で息絶えて腐って見つかるんだろうなと「なんとなく」思っていて
その考えが正常ではないことに気がついてませんでした。
で、とあるきっかけでそれが終息しました。
きっかけは「自分のライブをYouTubeで見て、爆笑した」と、いう、ちょっと特殊な状況でした。
とりあえず観てもらったほうが早いかも
5:30くらいから、くつしたさんが出てきます。
このイベントは2021年の11月、という、自分が病んで倒れる直前の時期のライブで
イベントに呼んでくれた香栄さんというアーティストさんに「ダイジェストビデオを公開するのでチェックしてください」という連絡が来て
そこに出てきた自分が、ちょっと信じられないレベルで面白くて
何日かぶりに笑ってしまったのです。
え、私、天才かしら。
この日はアウェーな状況(客席にしってるひとがいないかも、でも満員)で、しかし緊張ひとつせず客席で靴下を配り、歌い踊ってラップじゃないようなラップをして(ただのアジテーションですね)、とにかくこの人は面白い状態。
ひとしきり笑ったら少し回復の兆しが。
これまでライブでご一緒した、ちょっと有名な音楽関係の方とかにパフォーマンス褒められたり、すんなりテレビに出て有名人に褒められたり等、
そんな、普通のアマチュアでは起こり得ない体験をしてもなお「まあ褒めるとこが他にないから、私はよく動くし、とりあえずパフォーマンス褒めるよな」と、どこか自虐的になっていた過去からの自分。
今回は鬱状態だったからこそ、冷静に見て「面白い」と思えたのかもしれません。
あなた、充分すぎるくらいパフォーマンスすごいし面白いですよ。
チェックを依頼してくれた香栄さんにも「わたし、面白いですね」とか返信してしまったり。
と、こうして笑いながら自分はすこし自分を取り戻し
電車が走っていても(その時は、まだ乗れないけど)飛び込んでしまわなくなって
寝たきりだった状態から脱して
外に出れるようになったのです。
桜が咲き始めた、春の日でした。
この時に「空が青いな!」と感動して泣いたりして
花がたくさん咲いていた。
桜が開花し始め。
ここで10日以上、寝たきりだった自分は外の世界に行けるようになり
つらすぎた日々に終止符を打つのでした。
それから今日まで2か月、いろいろなことがありました。
まず、電車には結局乗れるようになり、超満員とかはまだ試してないけれど日常の移動は可能になりました。
あと、会社を辞めました。
ずっと傷病手当という絆で引き留めていた状態で、少し申し訳なさもあったものの
おそらくその絆こそが自分を苦しめる理由のひとつだったようで、その予感は当たって、完全に無職になった今の方が元気です、かなり。
理由は明確で、会社のことは好きだったし、楽しくハードワークもこなしていたけれど
フルリモートだったので「会社に行くのがつらくて」という、通勤ありきの発症ではなかったことです。
そういう理由がある中、行かなくていいよ、と、会社から遠ざけてしまえば「うつの発生源」から遮断されて療養を始められるのですが、今回は家にいて仕事をしていて鬱になってしまったわけで、物理的な状況は変わらぬまま、これじゃ「同じ場所にいて仕事ができない」という状況が自分を苦しめる原因のひとつになってた、ということですね。
仕事自体は楽しめていた、ということで
「あんなに毎日楽しく仕事してたのに動けない自分」というのがくっきりしていて、余計に追い詰めることになってしまっていたと。
どうにかして楽しい毎日をまた取り戻そうと焦り続けていたのは間違いないです。
そしてコロナ前くらいに行ったのが最後だったっけ、かなり久しぶりに帰省をしました。
実家のプレッシャーというのは少なからずありましたが、そこも少し解決できたもしれない。
まだまだ「調子がすごく悪い」と「ちょっとマシである」の、どちらかにいるような感じで
どちらにいるのかは分からないんですが
でも、あの3月は大変だったし、それを乗り越えて今も生きているんだよ
という、話です。
雨の日も曇りの日も晴れの日も、空は良いものです。
ところで、あの3月の1番ひどかった時期は、自分がヤバいことに気がついてなくて
それでも「心配してます」という連絡をくれた友人知人がおりまして
えっ、自分って今、心配されるような状態なの?というくらいにはまあまあおかしな状態だったので
一旦冷静になることができました。
心配、させちゃいけないけど
してくれる人がいるってのは生命線のようで、ありがたいものですね。
無職になったので、ハロワに行ってみたり、無意味なような日々の時間が「有意義な無意味」になるように、新しくソフトを使えるようになろうと、格安のパソコンを買って動かしてみたり
引きこもりがちだけど、今の自分は、少しましなのかもしれない
おわり
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