「住んでみてビックリした本当のフィンランド」~独立後の迷走・概説フィンランド史(5)~ 靴家さちこ

フィンランドの独立記念日は12月6日。この祝日には街中のいたるところで国旗が掲揚され、家々の窓辺にはフィンランドカラーの白と青のろうそくが2本立てられ灯りがともされる。1917年のその日には、ロシア化革命のどさくさに紛れてスヴィンフッヴド率いるフィンランド人議員たちがフィンランドの独立宣言を採用し、ロシアとの関係を断った。

しかしここでまだ一波乱ある。なんと、早速、独立後の新政府のあり方を巡って、フィンランド国内が分裂し、1918年1月には内戦が起きてしまったのだ。

「フィンランド独立戦争」と呼ばれるこの内戦では、選挙で公職者を選ぶ共和制の樹立を目指す「白衛軍」と呼ばれるフィンランド政府と、労働者が全ての権力をにぎる国家形態を目指す「赤衛軍」と呼ばれる革命派が戦った。マンネルヘイム将軍が率いる「白衛軍」にはドイツがつき、ヘルシンキに拠点を持つ「赤衛軍」にはロシアのボルシェヴィキが応援についた。

1918年5月、頭数では勝っていたものの共通の目的を持てずにいた「赤衛軍」をドイツ軍と合流した「白衛軍」が駆逐した。ここでもう一波乱。今度は「白衛軍」が分裂する。いろいろ我慢してたマンネルヘイムもしまいには怒ってヘルシンキで勝利パレードを済ませたらさっさと辞任してしまったそうだ。しかし、ここでさらにもう一波乱あってマンネルヘイムはカムバックしてくる。――忙しいねぇ。

概説フィンランド史(5)―独立後の迷走―

ドイツを頼りにして勝利を収めた「白衛軍」は、実質上かなりドイツに支配されていた。そればかりか「白衛軍」は、ドイツのヘッセン公 フリードリヒ・カール王子にフィンランドの国王即位を申し入れていた。ところがドイツ帝国が第一次世界大戦で負け、このカールが王位に就くことを丁重に辞退してきたことでこの計画が挫折した。独立以来ずっと共和国制をつらぬいてきたフィンランドが“王国になったかもしれなかったのにいきなり挫折した”この決定的瞬間はどれほどの混乱だっただろう。想像しただけでも脱力する。

それでもフィンランドはたくましかった。マンネルヘイムは早速弱体化したドイツに背を向け、第一次世界大戦に勝利した連合国側のイギリスやアメリカとの国交を樹立し、1919年には、フィンランドの独立を承認させている。こうして、フィンランドは国際的な地位を得て大統領を国家の頭首とする「共和国」として歩み始めた。――今度こそおめでとう、フィンランド!――全くヒヤヒヤさせる国史だねぇ。

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