「住んでみてビックリした本当のフィンランド」~いよいよ独立!フィンランド誕生・概説フィンランド史(4)~ 靴家さちこ

大公国フィンランドとロシア帝国との蜜月も、1871年に成立したドイツ帝国に動揺したロシアが中央集権化に走ったことで終焉を迎える。1894年にフランスと同盟を結んだロシアはドイツとの関係を悪化させ、ロシアは対独戦争の準備のためさらに強権を進めた。当時のロシア皇帝ニコライ2世は、1899年に「二月詔書」でフィンランドのロシア化政策を打ち出し、フィンランド人の自治は剥奪され、フィンランド語も禁止され、公用語としてロシア語が強要された。

この締め付けにより、フィンランド人の民族意識はさらに強まり、ロシアへの反発心が目覚めた。日露戦争のさなかの1904年には、フィンランドの民族主義者がフィンランド総督ニコライ・ボブリコフを暗殺。さらに1905年にフィンランドが全国的な議会のストライキを打ちだすと、日露戦争の敗戦の痛手を被っていたロシアはフィンランドの議会改革の要求を飲み、「フィンランドの自治権廃止宣言」を撤回した。とっても嫌な感じ、である。

概説フィンランド史(4)―フィンランドの独立―

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