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書く

 書くことが好きだ。色々と書き散らしてきた。多くはどこかに行ってしまった。でも捨てられずに、あるいは必要があって残しているものがある。手帳だ。
 手帳を持つようになったのはいつからだろう。中学校や高等学校の頃は、生徒手帳なるものがあった。そんなにぎゅうぎゅうと校則で縛るような学校ではなかったから、時間割以外にも自由に書けるページはそれなりにあったんだと思う。制服の胸ポケットにずっしりと入っていた印象があるから、何か挟み込んだりもして、それなりに使っていたのだろう。
 お仕着せの手帳から卒業して、予備校時代がどうだったかは定かではない。もしかしたら、時間割と勉強の予定表的なものはあったかもしれないが、全く覚えはない。全体的に朧げな記憶しかないのだ。その中の一アイテムがキラリと光ることがないのは仕方がない。

時間と場所と移動を管理する

 さて大学に入ってからは一転、午前・午後・夜、と場所を移動する生活が始まった。朝から部活、午後授業を受けて、夜はアルバイト、翌日は午前授業の後に部活、夜はボランティア活動の打ち合わせ、さらにその後飲み会、と遅くまで続く日もあった。週末は、主に部活、時々ボランティア活動にも精を出した。長い休みも主に部活に明け暮れ、まとまったオフにはボランティア活動か、それもなければ旅行に行った。その合間に自動車学校に通ったり、ゼミの先輩方から研究を教わったり、もちろん、友だちと遊んだり、とにかく盛沢山な日々だった。
 この日々には、縦に時間、見開き1週間が書き込める手帳を愛用した。移動時間も長かったから、単に何時開始、というだけではどこにどのくらい時間が必要なのかつかめなかった。ブロックを積むように予定を立てていたように思う。少しの隙間があれば、平たいブロックをねじ込んだ。その後もしばらくはあちこち移動する生活が続いた。移動距離が長くなったり、ブロックの大きさが変わったりもしたが、時間と行先を管理するための手帳は必要だった。

 結婚と定職に就いたのがほぼ同じ時期になった。遠距離恋愛じゃなくなり、同じ時刻に同じ場所に通う生活が始まった。その時から、家の机の上と職場の机の上の2つの小さなカレンダーだけで用が足りるようになった。相変わらず手帳は持っていたけれど、書くことがない。進捗やら締め切りやら書いてみたものの、毎日のブロック積みとはどうも勝手が違った。日記的なメモをつけてみたりもした。書き出すと書くことはある。でも、毎日書かねばならぬものではないので、白い紙が続いた。
 もったいないから、手帳を買うのをやめた年もある。でもやっぱり、何もないと寂しくて、化粧品屋のサービスでいただいた薄い手帳を持ち歩いたりもした。

関係者との調整

 ところが、子どもという存在がちらつき出してから、予定の管理が再び必要になってきた。自分の受診・検診やら、なんとか教室やら、体調の良し悪しにも影響されるから、いくつか候補日を挙げておかないといけない。おまけに母の調子が悪くなって引っ越すだのなんだのと重なった。自分自身のことですら自分だけでは進められない。夫がいついるのか、母の見舞いは、子どもの病院は、買い物にいつ行けるんだ。職場復帰したら、保育園の行事やら、送迎の予定やらが加わった。全体がうまく回るようにするには、自分ではない関係者の予定を把握し、調整しなければならなくなった。

 二人目ができて、さらに複雑になった。切迫早産で入院という、出産前からの特殊事情があったとはいえ、実際に回りきらず、親世代からは連絡の仕方が悪いと不興を買った。あなたのためにやってあげているのに、という圧に口を閉ざすしかなかった。へらへらと受け流していると見えるよう努力をしたが、子どもを抱いたまま涙がこぼれてしまったこともある。
 しかし私の気持ちはどうあれ、子どもは待ってくれない。懐を覗き見られているような感じがして気は進まなかったが、ネット上で予定を共有するようにした。もちろん、単に共有するだけでは日常は回らない。いついつはご予定いかがでしょう、というお伺いや、明日はこれこれですので、子守をよろしくお願いします、という確認や、ありがとうございました、こんな様子でございましたと写真を送る、等々ずぼらな私には大層負荷が高い作業が必要である。
 上が小学校に行きだして、子ども二人の動きが別々になり、習い事も世間並みにさせて、そして自分ももう少し自分のための予定を入れたい、などとと思うと、ToDoリストやらアラートやら律儀にお世話してくれるスマホが手放せなくなった。共有という目的は必ずしもうまくいっていないが、私の中の予定管理は、Googleさま始め素晴らしいアプリのお蔭で綱渡りを続けている。

管理から記録へ

 手で予定を書くことがなくなったと言っても、手帳は相変わらず毎年買っている。月単位だけではなく、1日1ページの少々厚めのものだ。時々思い出したように日記的に書くこともある。メモを残したいこともある。でもはっきり言って、それは単にノートでいいんじゃないかとも思う。日付で区切ってある必要があるだろうか。

 一方で、予定の管理の他に、子どもが生まれてから、子どもについての記録を残さねばならないことが増えた。熱を測って、いつ飲んだ出した寝た、体重はどうだ、どんなことができるようになった等々を、日付どころか最初は分単位で書かなくてはいけない。楽しみでもあったが、特に保育園に行きだすと、毎日必ず提出せねばならない。後から思い出して書き足すことはできない。毎日せねばならぬ、は私のようなずぼらには、やはり中々苦しい。
 しかし、強制的に積み重ねられていたことは貴重であった。昨年度から長男が小学校に行きだして、長男に関する記録ががくんと減った。今年度、二男が幼児クラスになって、細かな日々の記録、食事やら排泄やら睡眠やらを書かなくてもよくなった。連絡帳はあるが、毎日提出せねばならぬ、からの解放である。肩の荷が下りた一方で、子どもに関する記録が、さらに減ってしまうと感じた。
 日々多彩な攻撃を繰り出し、日々転げまわって大笑いし、日々進化していく彼らについての記憶は、しかし老化の進む私の脳にはそう長くは滞在してくれない。記録しなければならない。半ば脅迫的にそう思った。

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家族の5年を記録する

 そんなことを考えているときに、たまたま、5年日記の広告が目に入った。決してお安くはないので若干躊躇したが、買うことにした。随分前の誕生日に、ちょうど生活が大きく変化するであろう頃、同様のものを友人から贈られたことがある。しかし申し訳ないことに、ほとんどその醍醐味を味わうことなく、どこかに紛れ込んでしまった。
 そんな記憶が蘇ったので、宣言した。この日記は、みんなで書く家族の日記にしよう。ここに出しておくから、各自思うことがあれば書いてよい。多少興味を示してくれた男どもであったが、そもそも日々の記録を付けようという気はさらさらない、というか、細かい字を書くことが面倒な人たちである。結局、私がちまちまと書いているだけになった。夫が読んでいる気配もない。そうなると、書く内容がつい自分のことに偏りがちになる。そして予想通り、週に1回程度しか書く時間が取れず、思い出せなくて白い欄ができてきた。
 それでもとにかく、カレンダーを見て復活できること、出勤したのか休みだったのか、だけでも書くようにした。主に子どもたちのことを書くつもりであったが、もう一つ、何か特別に作ったもの、主に食べ物であるが、そのメモも残すことにした。特に季節限定のものは、来年役に立つかもしれない。単に食いしん坊なので、記憶に残りやすいということもある。ちょうどCOVID-19による引きこもりがやってきた。日々を刻んでおくことは、何か起これば大切な情報源になるし、なければ、後々あんなこともあったと笑えるだろう。
 5年日記を書き出してから、減ったものがある。それは、SNSへの投稿だ。SNSの投稿というのは、きっぱりと短く投げることが好まれるようだと思いながらも、だらだらと書いてしまいがちであったので、一つの投稿に時間がかかる。時間は有限であるから、日記を書いていたら当然SNSのための時間が削られる。そのうち、と思っているうちに自分の中で新鮮味が失われて、やがてはまとめて書こうかという気も失せ、まぁいいかとなってしまった。

記録する、だけではなく

 しかし、日記という日付で区切られる時系列の記録の並びだけでは、何やら少し物足りない。もう少し長い時間の中で考えたことをまとめたい時もある。そんなとき、たまたまこのnoteという存在を知った。HPやblogやSNSや、流行はその時々にかじってきたが、私の脳内に次の波が来たような気がした。
 よし、では、と書き始めて気づいたことがある。これまで管理・調整という必要に迫られた状態から進んで、零れ落ちていく日々の生活を、何かしら留めおきたいから書くのだと思っていた。しかしどうやら、さらに積極的に外に取り出していかなければ、脳内の余裕がなくなっているらしい。何かまとめて考えるには余裕がいる。しかし、現状次から次に投げ込まれる何やら細切れの断片が渦巻いている。目の前に飛んできた一つ一つ処理をしているものの、整理されないでいるものやら残滓やらも交じって無駄な容量を占めている。そしてこの無駄と思えるものが、よく分からない不安になって、案外私を脅かしているように思えてきた。
 予定、記録はもちろん、外に出せるものは出す。そうすれば少し頭の中に隙間ができる。その隙間を、もう少し豊かな気持ちになれることに使いたい。

公開するのか

 と、盛り上がったところで、ふと思う。頭の中に渦巻くものをここに取り出す、つまり全世界の皆様に見えるところに書きつけることに意味があるのか。それこそ、手元の紙ノートでいいじゃないか。あるいは、知った人たちにだけ分かるようにしておけばいいじゃないか。いや、多少の緊張感を持って書きたいということはある。余白で試みたいこともある。だが。
 ぐるぐるとしばらく考えていたが、うだぐだ言っていると切りはない。できない理由を探しているときはやらぬが良し、でも、やりたい気持ちが前にあればやってみることだ。やってみて後から分かることもあるだろう。まずはこのぐるぐるを外に放り出して、とにかく、始めてみよう。

noteで、と思ったのは
硬く書けば、こんな感じ。

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