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9月21日 「デパートメントストア」は流行最先端!

普段の仕事を離れた、翌日にちなんだ過去の出来事をネタに「頭の体操」。
そこから問いや興味を広げたり、抽象度を上げて他への応用を考えてみたり…
さまざまな「頭の体操」に活用ください!
体操のための質問例はこちら。

→当時の百貨店というのは世の中の流行を作り出していくような勢いがあった。
三越の前身の越後屋の名前がなくなったのは、明治維新による武家社会の崩壊でお得意さんがいなくなったことだが、今もまさにそれくらい大きな変革が起こっていると言える。呉服店から百貨店に変わったように、百貨店の次として考えられるのはどのようなビジネスモデルであろうか?

1927年(昭和2年)のこの日、日本橋三越本店6Fの「三越劇場」にて日本で初めてファッションショーが開催されたことから「ファッションショー記念日」とされています。

今のファッションショーとは異なり、着物姿で舞を披露するものだったそうです。


百貨店の老舗、三越ですが、その源流はよく知られているように越後屋です。
越後屋は三井高利が「店頭現金売り」「世界初の正札販売」という当時としては画期的なビジネスモデルを導入して繁盛した呉服店です。

越後屋は1673年の創業。そこから230年後の1893年(明治26年)に経営不振から「三井呉服店」へと変わり、越後屋の名前は消えることになります。

この経営不振の原因は、画期的だったビジネスモデルもすっかり真似されて特徴とはならなくなっていたこと、倒幕により武家社会が崩壊、最大の顧客が消失してしまったことによるものです。

つまり古い成功体験から抜け出せないまま、世の中の大きな変化が起こってダメおしされた、ということです。今にも通じる話ですね。

その「三井呉服店」ですが、
☑️ 1900年(明治33年)全館を陳列場に転換(当時は座列が普通)
☑️ 1904年(明治37年)「デパートメントストア宣言」を出し、日本初の百貨店となる
☑️ 1907年(明治40年)店内に食堂を設ける
☑️ 1914年(大正3年)今の日本橋の本館である当時としては画期的な洋館(日本初のエスカレーター設置など)を開店
と次々新しい取り組みを行なって、流行の最先端を担っていきます。

1927年のファッションショーはその流れにあり、当時の勢いを感じさせる出来事と言えます。

その三越ですが、
☑️ 1972年(昭和47年)にダイエーに小売業売上高日本一の座を奪われます
☑️ 1991年(平成3年)が業界としても売上がピークとなり、バブル崩壊の余波を受け、売上が低迷、百貨店の再編が起こります
☑️ 2008年に三越は伊勢丹と統合
越後屋の名前は230年で変わりましたが、その半分の115年後、三越の名前も変わりました。

一つのビジネスモデルがもつ期間が短くなっていることが分かります。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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