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映画『Winny』のメッセージ

映画『Winny』は新聞のコラム欄で上映を知り、TOHOシネマ日比谷に行きました。休日だったこともあり、映画館はほぼ満席でした。

日本で起こった世界技術史的事件

風化したと思っていたWinny事件が今、映画として取り上げられたことに強い関心がありました。
この事件は、WinnyというP2P型のファイル通有ソフトが著作権侵害幇助に問われたもので、インターネットを巡る大事件でした。それも今では考えにくいのですが、開発者が日本人で、日本国内が舞台となっていたワールドワイドな事件でした。

米国の憲法学者ローレンス・レッシグの「これが罪に問われるなら、銃の製造・販売メーカーを殺人幇助で逮捕すべき」という発言が、今となっては全てを物語るように、無理筋の告発であったことは明らかです。

技術の破壊力と両義性

映画ではもっぱら、ソフトウェアエンジニアが萎縮してしまうという問題が取り上げられていました。
優れた新技術は、例外なく「両刃の剣」になります。P2Pはインターネットの核心的技術で、情報通有や創作、そして著作権についても新たな可能性を拓く一方で、著作権保護団体をはじめとする既得権者の権利を脅かすものでした。
開発者の金子氏は、エンジニアからみれば神であり、既得権者からみれば悪魔の存在に映ります。

それほど生み出された技術に破壊力があったということです。そこで怯んだり、萎縮したりすることなくエンジニアが技術開発を邁進させることが何より重要で、そのために金子勇氏は戦っていきます。

英雄のメッセージ

事件からは相当の時間が経ち、少し引いて(歴史的に)みれば、インターネット黎明期に起こるべきして起こった事件と言うことも可能になりました。
そして、死後10年を経て作られたこの映画に、多くの現代の人々が共感し、支持することで、望むと望まざるとにかかわらず金子氏は、英雄になるのだと思います。

そこでの英雄のメッセージは、技術創出の社会的土壌を耕し続けるということだと思います。映画を通じて現代だけでなく未来の技術者に伝わることを期待します。
また、些細なことかもしれませんが、P2Pのプログラム開発がストップしてしまったことで、その後の日本のソフトウェア開発が停滞したり、次の可能性が絶たれたという負の影響を、アカデミックに解明しておいた方がよいとも思います。
いずれにせよ、次のWinnyが誕生したとき、同じことを繰り返してはなりません。

当時の熱狂と狂乱

映画では、金子勇氏の天才性を控えめに描いているので、たいへん好感が持てました。
金子氏とは一度だけお会いした、というよりお見かけしたことがあります。私の同僚が金子氏を支援していたこともあり、所属していた研究所にお招きして講演をしてもらいました。
その研究所には頻繁に人が訪れていましたが、金子さんは当時係争中だったこともあり、弁護士さんとご一緒で、発言や接見に慎重に対応していたことを思い出します。

その一方、映画では当時のインターネット周りの狂乱や熱狂が、伝えられていないと感じます。
技術は、人智を超えることがあります。インターネットはそんな技術の一つだと断言できますが、当時はまだ誕生10年目の新技術で、一体何が起こっているのか明確になっていませんでした。
人智を超えた技術が、エンジニアを熱狂させ、社会を怖れさせ、開発者を翻弄していく時代の体温のようなものは、脱色されているなと感じました。

ビジネスに子飼いにされた技術

映画の終盤で金子氏が「10年早すぎたのか、10年遅すぎたのか」と自問する場面があります。当然、その答えは前者なのですが、技術と社会の間には、こうした時間の問題が常に横たわっています。

私は今、少しユニークなIoT技術を使って可視化サービスを提供していますが、技術に関する時間の問題は常に意識しています。
経験的にビジネスの世界では、10年早い技術は成功しません。5年程度先を行く技術が最適と考えています。
そして、ほとんどのビジネスは5年"遅れ"でやってきて、すでに蓄積された技術的経験もとにそれを改良してビジネスを展開しています。
このように、ビジネスの世界での技術は、入口にあるビジネス契機といったものにすぎません。

そんなビジネスに子飼いにされた技術も、またいつかその牙をむくことがあるということを、映画が思い出させてくれました。

(丸田一如)

映画『Winny』|公式サイト (winny-movie.com)