心理クイズから始まった親子論争
「自分が死んで棺桶に入ってるとするでしょ?家族、親戚、友達が棺桶の周りから自分を見てる。その時に周りの人達にこの人はどんな人だったね、と言われたい?」
そんな質問を当時21歳の息子にされました。
私は考えることなく即答で
「この人ずっと頑張ってたね、って言われたいな」
そう答えました。
息子は、少し残念そうな顔をしたような気がしましたが、
「それが今、周りから言われたい言葉なんだって。俺は、この人死ぬまで自由に生きてたね、だったよ」
ということは、私は周りに[頑張ってるね]と言われたい。息子は[自由に生きてるね]と言われたいのか。
なかなか面白い心理クイズ。
学生時代は運動部で、時代的にも根性論が根強い時代でしたし、生きてきた人生の中で頑張ることの大事さを強く感じている自分。
そうか、私は周りから頑張ってるねって言って欲しいのか、なんて少し気恥ずかしい気持ちでいると
「俺は、頑張ってたねこの人、なんて言われたら絶対嫌だな。悪口言われてるみたいだけどな」
なんて、私にとれば驚きの発言をする息子。
頑張ってたねが悪口?なんで?
「自由に生きてたなんて最期に言われたら悲しくなるくらい悪口に聞こえるけどね」
と、私も言い返します。
本当のことです。
自由に生きてたなんて言われたら、何か自分の人生を否定されたような気持ちなると、私は感じました。
「えー、なんで?この人自由に生きてたね〜、なんて言われたら嬉しいでしょ?」
「いやいや、なんかそれじゃ、この人死ぬまで自分勝手に生きてたねって言われてるみたいじゃない?」
しばらく、お互いの論争は続きましたが平行線を辿ることとなりました。
価値観の違い、考え方の違いなんですね。
もちろん、年齢、立場も違います。
しかし、性格的には私と似ていると思っていた息子でしたので、こんなにも違うのには本当に驚きました。
どちらが正しいわけでもなく、それぞれの考え方なのですから、どちらも間違ってはいない。
ただ、頑張ってたねが悪口に聞こえる発言には考えさせられることになりました。
私のとっての褒め言葉を悪口と受け取る人がいて、誰かにとっての褒め言葉を私は悪口と感じるのか。
人と接していくなかで、必ず頭の中に入れておかなければと、深く考えさせられた親子論争でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
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