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落語日記 上方落語の凄さを味わえた会

木馬亭ツキイチ上方落語会 7月公演
7月18日 木馬亭
木馬亭の自主企画公演で、寄席形式で毎月開催されている上方落語の会。この会によって上方落語の魅力に引き込まれ、このところ毎月通っている会。
個人的には、タレントとしても有名な桂春蝶師匠の高座を楽しみに出掛けた。他の出演者は秀都さん以外は初見。上方落語家との新たな出会いも、この会の楽しみだ。

立川笑王丸「子ほめ」
談笑門下の前座、2月公演以来の出演。メリハリあって、元気な若者。クスグリも独特。

月亭秀都「桃太郎」見台あり
文都門下、3年前に「文都一門と遊雀一門」の会で拝見して以来。あの時は、おとなしそうな若者という印象だったが、すっかり上方落語家の顔つきになった。ネットで調べると関西大学の落研出身。
マクラは度々出演している学校寄席での子供たちの反応の話。地方の子供たちは、素直でどんな噺にも大受けするが、都会の子供たちは生意気で純真さが少ない。子供の落語教室で指導しているが、生徒の子供たちは、みな落語が上手い。そんなマクラから、生意気な子供の登場する噺。
秀都さんの桃太郎の聴かせどころは、子供が親に語って聞かせるところ。クスグリも可笑しいし、鬼退治の後日談も入っていて、かなり斬新。3年も拝見していないと、精進を重ねてレベルアップされていることが分かる。

桂春蝶「七段目」見台なし
生の春蝶師匠は二度目。髭を伸ばした様子が、長旅をされていたことを感じさせる。マクラは、旅から帰ってから会場に来た道中のエピソードから。羽田から木馬亭までの道中で実際にあった話。これが、春蝶師匠が語ると爆笑の笑い話になる。
この道中のひと騒動は、空港に到着してから会場入りまでの道程が時間ギリギリだったことが原因。タクシーの運転手がベテランのように見えたが、いきなり道を間違う。かなり予定より遅れて自宅に着いたが、慌てていたので、着物と帯を忘れた。途中で気が付いて事なきを得た。このエピソードだけで小編の漫談だ。
今回の出演者の皆さんを聴いて、特に強く感じたのが、上方落語のマクラの充実ぶり。客席の反応を見ながら、体験談や実話を面白可笑しく聴かせる話術。主戦場である上方の演芸場には漫才やお笑い芸人が数多いて、その笑いの強者たちと日頃から競い合っているので、落語家も鍛えられているのだろう。
そんな上方落語家のなかでも、春蝶師匠のマクラはずば抜けて秀逸。出演直前のエピソードを笑いどころのある物語として聴かせてくれて、そのうえでマクラに下げも付ける。そして、本編の演目とも微妙に繋がっている。このマクラを聴いて、春蝶師匠は漫談家としても一流だと実感させられた。

マクラの話題は、ご自身の経験談から、古典芸能の芸人の思い出話に移っていく。芸人の性格は、結構いい加減、失うものはないのだから。これらのセリフは、ご自身の経験からでた本音のように聞こえる。
以前、共演した能楽師は、きっちしているようでどこか抜けている。衣装は芸人の魂、そう強く言っていた本人が忘れてきた。冒頭のマクラにも繋がる話。
どっしりと構えた昭和の芸人たちのエピソードも可笑しい。野球賭博で捕まった月亭可朝師匠の話、父親である先代春蝶師匠の話など、実話にしては面白過ぎる。そんな芸能の世界の話題から、歌舞伎をモチーフとした本編へ。

芝居狂いの若旦那は、父親を前にしても平然と役者の物真似を続けていて悪びれる様子が全くない。ここまで吹っ切れている若旦那も珍しい。それに負けず劣らずなのが、小僧の定吉。この二人のコンビは強力だ。
店の二階で、この二人が繰り広げるのが忠臣蔵七段目の祇園一力茶屋の場、お軽が兄平右衛門に殺されかける場面。春蝶師匠による一人二役の芝居を観ているようだ。この春蝶師匠の芝居が熱演過ぎて、上手さを通り越して、臭さぷんぷん。これが、抜群に面白い。ここでは、鳴り物やツケ打ちも入り、いっそう賑やかに。三味線とツケ打ちに合わせた役者風のセリフ廻しが見事。本物の役者のような表情も見せ、思わず観入ってしまう。この場面を観られただけでも充分の見事な一席だった。
芝居の真似事の仕草が大きくて激しいので、なるほど、見台を置かない訳が分かった。

仲入

桂ちょうば「京の茶漬」見台あり
ざこば門下、私は初見。米朝一門でもあるので、まずは米朝師の思い出話から。桂米朝師は、見かけによらず、意外と始末屋だったとのこと。メモ紙なども裏紙を使っていて、あるとき米朝がチリ紙代りに使った紙をみたら給料明細書。中を見てビックリという思い出。
ちょうば師匠は京都出身というお話。洛北高校出身で、歴史ある学校で湯川秀樹博士が先輩とのこと。京都人は、隠し言葉を使う。言葉本来の意味と違う、隠された意味のある独特の言い廻しを京都人は使う。
高校時代の思い出話として、恋愛と隠し言葉にまつわる話。当時の京都の高校生は「付き合ってください」という告白の隠し言葉として「祇園祭に一緒に行ってください」と言っていた。高校2年のとき、好きな女の子にこの言葉で告白するも、無理だということを隠し言葉を使ってフラれたというエピソードを紹介。さすが京都の女の子、なかなか洒落ている。この話はマクラでよく使っているが、あるとき告白した相手の女性が会場で聴いていて、ものすごく怒られたそうだ。

そんな隠し言葉のマクラから、京都人の「どうぞ、お茶漬けでも」という客人に対する声掛けが「さっさと帰って」という意味であるとまことしやかに伝わっている、もはや都市伝説にもなっている京都人の隠し言葉の逸話を紹介。現実には、あまり使われていないような言葉。京都人の気質を茶化すように、京都以外の人達が語る小噺として伝わっている。
ちょうば師匠によると、客が帰り際にこの言葉を掛けられるのは、本来は、貴方と過ごした時間は楽しいものであって、ここでお別れするのは名残惜しい、という意味が込められているとのこと。つまりは、客が気持ちよく帰れるようにとの気遣いの言葉であって、早く帰れとは真逆の意味らしい。
ちょうば師匠は、京都人としてこの都市伝説で解釈されているような誤解や偏見を解きたい、そう思われているようなのだ。故郷を愛するちょうば師匠の強いお気持ちの表れだ。

ところが、そこから入った本編は、この「お茶漬けでも」という言葉を言わせて、本当にお茶漬けを食べてみたいと企む大阪人と、その挑発にのらず絶対に食べさせたくないと抵抗する京都人との攻防戦を描く噺なのだ。
大阪人の誤解がそのまま噺の動機となっているので、ちょうば師匠の故郷への思いと真逆の演目を上方落語家としてあえて掛けるという心意気。そんなちょうば師匠から、上方芸人魂を強く感じた次第。
何とか「お茶漬け」という言葉を言わせようと悪戦苦闘する大阪人の奮闘ぶりが可笑しい。お茶漬けを連想させる駄洒落を次々と繰り出す。最後は、永谷園まで登場。これに対する京都人の抵抗も可笑しい。まさに言葉の格闘技だ。それが笑いの格闘技にもなっている。
この演目は新作なのかと思ったら、立派な古典らしい。ネットで調べると、原話は、江戸時代の笑話本「一のもり」に書かれている笑話の一編。また、十返舎一九の「江戸前噺鰻」にも「茶漬」の題でみられるそうだ。上方の寄席では古くから演じられていたそうで、天保年間から残る大坂の寄席の根多帳に「京の茶漬」の記載があるという。なんと、本当に古典中の古典落語。
京都の茶漬けの話題が、これだけ昔から落語で使われているということは、まんざら「早く帰れ」説も間違いではないのかも。

笑福亭由瓶(ゆうへい)「じゅうじゅう亭弁当」見台あり
鶴瓶門下、私は初見。鶴瓶師匠は弟子が多い。まだ見ぬお弟子さんたちが大勢いる。鶴瓶師匠の弟子らしく、マクラから本編まで、経験談がそのまま筋書きのある噺となっている。ふわふわした語り口は独特。いつの間にか、その語り口に引き込まれている。
ご自身のことを、周りからは中堅と呼ばれていると紹介。若手でない中堅というのは、なかなか辛いことが多いそうだ。そんなボヤキは由瓶師匠にぴったり。

本編は、由瓶師匠作の新作。ここまでがマクラ、ここからが本編と明確に区切れない流れ。地噺とも違う、一人語りの漫談のようでいて、いつの間にか会話形式の落語になっている。
ご自身の経験談から、新幹線の新大阪駅で弁当を買うのが楽しみ。これを新大阪から京都までの車内で食べる。会社名や弁当の名前など、固有名詞を出して弁当の中身を細かく説明する。これが、美味しそうに描写するので、聴いた人はみな食べてみたくなるはず。この細かい描写が本編の筋書きに効いてくる。
どこまでが実話で、どこまでがフィクションか分からないが、落語としてはすごく良く出来た筋書き。下げもしっかり付けている。実話を面白可笑しく語る鶴瓶師匠の芸風を、まさに引き継いでいる。
熱演のあまり、途中で上下が分からなくなるところもあるが、セリフの内容と表現力で会話の様子は充分に伝わる。なにより、由瓶師匠の可笑しさの破壊力の前には、そんなことはどうでもよくなる。言葉で伝えづらい由瓶師匠の可笑しさ。この一席で充分に味わえた。

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