見出し画像

落語日記 小さな地域落語会でも全力の高座を見せてくれた菊之丞師匠

第54回ととや落語会 古今亭菊之丞の会
6月4日 下板橋駅前集会所
毎回楽しみに通っている落語会。落語好きな板橋の寿司屋の親方が主催している。
前回の3月開催の桃月庵白酒師匠の会に引き続き参加できた。今回は、こちらもレギュラーと言ってもよい菊之丞師匠の出演。なかなかの人気者が出演する地域落語会となっている。菊之丞師匠出演とあって、さすが女性客が多く詰めかけている。なので、大勢の女性客の笑い声が会場に響き渡り、大いに盛り上がった会となった。

親方の余興「タダシです」
この会のお約束が、前座代りの親方の余興。ととや落語会の常連さんにとっては、お楽しみの時間。毎度、親方が色々なキャラに扮して、コントのような漫談のようなネタを見せてくれる。
さて、今回登場するキャラは何だろう、と出番を待つ客席にあふれる期待感。そして、登場したのが、ヒロシですのパロディのタダシ。ヒロシと同じバックミュージックが流れるなか、自虐ネタで笑いをとる。タダシです、で話を繋ぐスタイルも同じ。
最近は、寿司屋のお客さんから「今度の出し物は何ですか」と尋ねられることが多くなり、プレッシャーを感じている。三味線女(司会も務める三味線のお姐さんのこと)の気持ちが分かる、という常連さんにしか分からない身内ネタで爆笑。
ちなみに、親方の持ちネタのキャラは、アイダホから来た奇妙なアメリカ人のジョージ・どじょう掬い・エイリアンが寄生しているサンタクロース・頭にカーラー巻いたオバちゃん・などがあり、毎回ネタを変えて工夫している。ほんと、親方は凄い。

古今亭菊之丞「千両みかん」
満場の拍手のなか、にこやかに登場。ととや落語会は4年ぶりの出演とご本人からの紹介。日記を調べてみると、前回はコロナ禍の前の2019年9月1日の第49回以来、そして今回が4度目の出演となる。
菊之丞師匠にとっては、ととや落語会のコロナ禍がやっと明けたという状況。そんな感慨も感じさせるマクラ。常連さんたちの、待ってましたの期待が会場に充満しているのだ。
コロナ禍が徐々に治まり、休止していた落語会も再開されはじめ、現在の落語会の数は史上最高を記録しているそうだ。そんな中、変わった落語会に出演した経験談を披露。避難訓練寄席、足湯寄席など色々な落語会があるという話で会場を沸かせる。
そして、落語界の一大勢力の柳家の総帥、先代柳家小さん師の思い出。そんな話から、現在は食べ物に季節感が無くなっている、という話になって本編へ。
なんと、噺は先日の遊雀師匠の一席を聴いたばかりの「千両みかん」。夏の定番なので、掛ってもおかしくないのだが、いきなり大ネタなので、驚いた。

遊雀師匠の一席を聴いて、この噺について色々と考えさせられたので、ちょうど比較できるいいタイミングとなった。
菊之丞師匠の一席は、金持ち親子の狂気や奉公人の悲哀の情感が薄く、遊雀師匠の一席と比べれば、どちらかと言えば軽妙さが前面に出ていて、滑稽噺の要素の強い一席となっていた印象を受けた。
噺全体が簡潔な構成で、展開もテンポよく進む。蜜柑問屋にたどり着くまでの労も少なく、遊雀師匠のような番頭が泣きながらの大騒ぎはない。その後、蜜柑問屋で千両の値を聞き驚く番頭と、千両を屁とも思わない親子のギャップが可笑しさを産む。
当初は主殺しで訴えると番頭を脅していた大旦那が、みかんを一つ入手してきた番頭にすまないと頭を下げ感謝を伝える。大旦那の番頭に対する脅迫的な物言いも、息子可愛さあまりのものであることが分かり、大旦那の優しさが伝わり狂気が薄まるセリフとなっている。
番頭が失踪する下げも、あっさり一言で終わらせるので、切なさ感も少ない。登場人物の狂気が薄く、不合理さも笑い飛ばせる範囲。遊雀師匠の一席の対極のような一席。どちらも本寸法、どちらも有り。同じ筋書きなのに、演者によって受け取り方が変わるというのが落語の醍醐味。巧者二人の高座を続けてみることにより、これを味わうことができた。

仲入り

古今亭菊之丞「唐茄子屋政談」
マクラは、食べ物の話からはじまる。落語家になってから初めて食べた料理や食べ物は沢山ある。もんじゃ焼きもそう。浅草に亭主が五月蠅い店がある。そんな店の主人の差配が可笑しい。
落語界の一大勢力の柳家一門と弱小勢力の古今亭一門の違い。打上げで先代小さん師は料理を何でも人数分を注文する。なので、一人あたり何人分も食べることになる。戦前戦中の食べられない時代を生きた小さん師ならではの、若い世代に対する思いやりかららしい。大ノセは柳家の伝統芸。古今亭はそんなことはない。落語家と食べ物をめぐる話。
楽屋で親方から、今日は上品なお客様が多く来場されていると聞き、そんなお客様に廓噺を、と言って、会場笑い声であふれるなか本編へ。

廓噺のマクラの定番「男の三道楽煩悩(さんどらぼんのう)とは、酒を飲む、博奕を打つ、ご婦人を買うという三つの道楽」「男と生まれた以上、ご婦人が嫌いだなんてぇ人は、まずございません」という一連のセリフ。今の世の中はそうとは限らない、と疑問を呈する菊之丞師匠。
多様性が認められる社会、このセリフも現代では違和感があるとのこと。確かに、LGBT理解増進法案が成立しようという世の中。決めつけるような落語の定型句は難しい。ダイバーシティの世の中、この言葉を聞いたときに、フジテレビのある町かと思った、そんなオチを付けて笑いに変える。
そこから、吉原に纏わるエピソード。吉原の中にある健康増進センターで落語会を行った経験談。また、スカイツリーから東京の夜景を見ると、店の灯りによる光の塊で吉原の場所が分かる。そんな吉原話から本編は「唐茄子屋政談」。
心中騒動まで描く、フルサイズの一席。最近の馬治師匠で聴くこの噺は、吉原田圃の場面で切ることがほとんど。後半を聴くのは久しぶり。
菊之丞師匠の一席は、まさに定番の本寸法の型。本編での変わった入れ事や余計なクスグリの無いもの。それでいて、笑いの多い可笑しさあふれる一席となっている。表情やタイミングで、噺本来の可笑しさを引き出している。
叔父さん夫婦、二人揃って愛情深く、若旦那を見守る様子が心地よい。

吉原田圃で若旦那が売り声の稽古をする名場面。まずは、町中で稽古を始めるも、人目を気にして、声を出そうとすると通行人が来てしまい稽古を止めてしまう。これを何度も繰り返す。人気のない田圃に来て、やっと声を出しての稽古。棒手振り姿を見られたくない若旦那のプライドや人前で声を出すことの恥ずかしさが混じり合って、可笑しくも感情豊かな場面。何気ない行動が象徴する若旦那の感情を、見事に表現している。
続いて、田圃から吉原を眺めながら、通っていたころを思い出す回想場面。一人芝居で馴染みの花魁との遣り取りを再現。若旦那が呑気に唄う端唄。ここでも良い喉を聴かせる。なかなかに、情緒豊かな場面。
後半の誓願寺店の貧乏長屋での心中騒動。女性を描くのが上手い菊之丞師匠らしく、内儀と息子の貧しい暮らしぶりが情緒たっぷりに描いている。この後の、大家との騒動はさらりと簡潔に。ここもメリハリが効いていて、下げまで一気に。
「本日は、ミカンとカボチャの噺でした」と締めた菊之丞師匠。初夏に相応しい長講二席、充実の落語会だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?