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自分だけで勝手に黒門亭復活祭 その1

黒門亭二部
4月1日 落語協会二階
コロナ禍によって休止していた黒門亭が、感染症予防対策、入場制限を実施した上で昨年6月4日より再開された。チケットは予約販売で、定員も20名と縮小された。そして、今年の1月に一時的に休止していたが、2月からは予約なしで当日先着順の入場となり、定員も30名に拡大して再開された。
コロナ禍で休止されて以来、ご無沙汰していた黒門亭。制限も緩和され、予約が不要になって、行きやすくなった。そんな中、4月第一週の土曜日二部に馬治師匠 日曜日一部に扇蔵師匠が出演される。そこで、週末は急遽、自分だけで勝手に黒門亭復活祭を開催することにした。
まずは祭り初日の土曜日二部。入場してみれば、観客総勢8名という静かな祭り会場。そのうち半数の4名は、我々馬治応援団。馬治ファンの皆さんは、示し合わせて来た訳ではない。ありがたい限り。
ツ離れしない黒門亭は初めて。コロナ禍前の状況にはまだまだ戻っていないようだ。

柳家ひろ馬「道灌」
前座さんは、小せん師匠の弟子。なかなかに達者で、隠居の貫禄も感じる。
ここで、ひろ馬さんとは関係なく、自分だけで勝手に黒門亭復活祭記念、落語に登場する言葉の豆知識のコーナー。
この噺にも登場するセリフ「仕事が半ちくだから、遊びに来た」から、「半ちく」という言葉。他の噺でもよく聞かれる言葉だ。これは江戸弁で、中途半端という意味。これが転じて、閑散、暇になった、という意味でも使われる。翻訳すると「仕事が無くなって暇になったから、遊びに来た」となる。また、中途半端な者や気が利かない者を非難する言葉としても使われる。例文「この半ちく野郎め」など。日常では聞かないけど、落語にはよく登場する言葉は結構ある。大事にしていきたい。

金原亭小駒「看板のピン」
マクラでは、賭博、博奕の話から始まって、サイコロ博打の解説へ。一つ使うものは「ちょぼいち」、そこから二つ使うもの、三つ使うものと各種博打の種類とやり方を詳しく説明。生き生きと楽しそうに話す。お好きなのか、やけに詳しい。
そんな解説から、本編へ。この噺に登場する博打は、サイコロひとつだけ使うので、まさに「ちょぼいち」。なるほど、丁寧な解説で噺の筋書も分かりやすくなる。
親分の真似をしたがる若い衆の吞気な様子が小駒さんにぴったり。親分の貫禄はおいおい付いてくるだろう。賑やかな一席で会場を暖める。
この日はエイプリルフール。それに因んだのか、まずはイカサマで人を騙す噺。

金原亭馬治「長屋の花見」
観客8名だと、皆さんは会場の周囲の壁に張り付くように座っていて、客席の真ん中がぽっかりと空いている状態。これを見た馬治師匠、観客が遠心分離機に掛けられたようだとの例え。さすが、理系出身。
馬治ファンとしてさんざん聴いてきたが、この噺は初めて。ご本人によると、何年ぶりかの蔵出しのようだ。その割には、咬んだり詰まったりすることもなく、スピード感あふれる楽しい一席。
大家の家に行く前の長屋の衆の寄り合い場面が楽しい。大家に呼ばれた訳をあれこれ言い合うなかで、住民たちの悪事が露見する。大家のペットの猫の名前が熊。この熊を鍋にして食べてしまって、熊鍋。ちょっと恐いが、スピード感のある中で、笑い飛ばして終わり。
変わったクスグリは無いが、噺自体の馬鹿々々しさと長屋の衆の諦観する様子が、妙に笑いを呼ぶ。観客8名にしては、笑い声が響いた一席だった。
花見の会場は、上野は摺鉢山の麓という型。
馬治師匠もエイプリルフールに因み、春に嘘の噺を、ということでこの噺を選択。初見の噺を聴ける良い機会となった。自分だけで勝手に黒門亭復活祭を開催して、ほんと良かった。

仲入り

柳家福治「あちたりこちたり」
福治師匠は、おそらく初めて拝見。ベテランだが、なかなか高座と出会うことがなかった。
マクラは酒の話。若い頃の梯子酒は得意だった、という話から本編へ。まさに、酔っ払いがあっちに行ったりこっちに行ったりする梯子酒を描いた噺。この噺も初めて聴く。調べると、小満ん師匠作の新作らしい。舞台は、上野広小路やこの近所が多く登場。地元の私は楽しめる筋書き。
この噺では、主人公の亭主がさんざん梯子酒して夜中に帰宅するが、女房に言訳するときの一人語りで、福治師匠はあまり酔っ払っていない。わりと素面。そんな演出なのか。

柳家一九「紺屋高尾」
主任はネタ出しで一九師匠。前の噺の作者である小満ん師匠のお弟子さん。馬治師匠が高座で、後半は柳家の本寸法ですと紹介していたが、確かに、一九師匠は端正で丁寧な語り口で聴かせてくれた。
一九師匠も初めて拝見。終演後に馬治応援団の皆さんと話をしたとき、一九師匠の一席は良かったねえと言ったとき、いっきゅう師匠と呼んでしまったくらい存じ上げなかったのだ。ごめんなさい、いっく師匠。
時間が押して残り時間が短くなっていたので、終演時間が少し伸びますと断りを入れてから始められる。師匠の誠実さが伝わってきた。本編は、まさに本寸法な一席で、小満ん師匠の弟子であることを強く感じさせる高座だった。

この紺屋高尾は、柳家の型だと思うが、寝込んだ久蔵が恋煩いと見抜くのが医者の武内蘭石。久蔵の枕元にある錦絵を見て気付く。そこで、三年間みっちりと働いて九両を貯めれば、一両足して自分が高尾に会わせてやると約束する。この言葉によって久蔵は急に元気になる。蘭石先生の言葉による治療は効果抜群だ。前半はこのように、蘭石先生の大活躍する筋書き。
この蘭石先生の活躍も新鮮だったが、高尾太夫との逢瀬の場面でも、初めて聴くような新鮮な遣り取りがあった。高尾太夫が、今度はいつ来てくんなますと尋ねるのが、床入りの前。後朝の別れのときではないのだ。そこで夫婦約束してからの床入りとなる。なので、寝所では亭主の扱いでもてなしを受ける。こんな型もあるのかと感心。
エイプリルフールに相応しく、嘘が許される日に嘘が許された噺で締めた一九師匠。お見事な一席だった。
この勢いで翌日の日曜日に、扇蔵師匠が目当ての黒門亭一部にお邪魔した。続きは、次回

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