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落語日記 滑稽噺の中にも、登場人物の人間像を深掘りしてみせた一之輔師匠

第19回一之輔たっぷり 後援会主催落語会
8月31日 鈴本演芸場 余一会夜の部
毎年1月31日と8月31日の年2回、鈴本演芸場の余一会を利用して開催されているのが、一之輔師匠の後援会主催で会員限定の落語会。今年1月に開催された第18回に続いて参加。
一之輔師匠の独演会としては、私が通えている唯一の落語会。年に一、二度拝見できる貴重な機会になっている。熱心なファンが集っている会ならではの、一之輔師匠の表情や弾けっぷりを楽しみに出掛けてきた。

この日の余一会昼の部では、春風亭一之輔独演会と題する一般公開の公演が行われ、「粗忽長屋」「もう半分」「青菜」の3席を掛けたようだ。その上での夜の部での3席。さすが一之輔師匠、落語体力の凄さを改めて見せつけられた。
そんな昼の部の疲れも見せず、この夜の部では、一席目の初っ端からハイテンションな一之輔師匠。その勢いのまま、後援会会員の皆さんという贔屓の観客を前に、どこか伸び伸びとしていて、自由奔放さにあふれる高座を終始見せてくれた一之輔師匠だった。

春風亭いっ休「六尺棒」
一之輔師匠の三番弟子。芸名は、その風貌から付けられたことが一目で分かる。
この噺を前座で聴くのは珍しいこと。なかなかに意欲的な前座さんだ。表現も独自性にあふれたもの。父親の駆け足の速さは、まるでカーレースの自動車のようにビューンと駆け抜ける様子で表現。その父親から逃げる息子の、駆け足の仕草も可笑しい。

春風亭一之輔「反対俥」
この会の楽しみの一つが、長いマクラ。師匠ご自身のことや家族のことなど、身辺の近況報告で大いに笑わせてくれる。この日は、弟弟子の一蔵さんの真打昇進の話題から。兄弟子として、披露興行を少しでも盛り上げたいという思いが伝わってくる。
そして話は、ご自身のコロナ感染の話題へ。抗原検査が陽性、妖精ってピクシーか、ティンカーベルか、ふて腐れたような表情での呟きが妙に可笑しい。感染が分かった日は白酒師匠との二人会の当日、連絡した担当者との遣り取りも笑い話になる。
奥様の感染も判明し、発熱センターへ連絡した際の担当者と奥様との電話での会話が、まるで漫才を見てるかのよう。ちなみに、奥様の名前は「暁子」と書いて「あきこ」と読む。この名前の漢字を電話で伝える奥様と、なかなか分かってくれない担当者との会話を、漫才のネタのように面白く再現してみせてくれた。まさに、一之輔師匠の得意技を象徴するようなマクラ。
その後の自宅療養の様子も、家族の行動や言動で笑わせてくれる。自宅療養中に食事を作ってくれたのは、高校生の息子さん。もうそんなに大きくなったのか、ご家族の近況もファンにとっては楽しいもの。自宅に籠る療養生活は、まるで監獄のようとの例えでも笑わせてくれる。
そんな療養生活で苦労を掛けた家族へのお礼として、夏休みに北海道へ家族旅行に出掛けた話が続く。昭和新山熊牧場へ熊を見に行ったときのエピソード。飼育されている熊の様子が、笑いの種になる。熊見物していた奥様の感想が、なかなかに秀逸なもの。最後に奥様が、主役を持っていった。

長いマクラのあと、やっと本編へ。一席目の反対俥は、年寄りの俥夫のみにフォーカスした、ほとんどオリジナルな一席。「らららららーっ」のハイスピード俥夫は登場しない。なので、座布団の上で飛び跳ねたり、一回転したりすることもない。
筋書きのメインは、ヨボヨボの爺さん俥夫が、50年ぶりに俥夫に復帰した身の上話を語るというもの。これが延々と続き そして馬鹿々々しく、そのきっかけとなった孫娘も脇役として登場。長々と身の上話を語りながら走ったのに、結局、上野どころか10メートルしか進んでいなかった。そのうえ、泣き落としで運賃をふんだくられる。散々な目に合った客の悲劇、客席からは喜劇として楽しませてくれる。
反対俥の前半に登場する年寄り俥夫のエピソードを膨らませた一席は、もはや、新作と呼んでいいくらいの改作。この改作によって、見事な創作力を見せつけた一之輔師匠だった。

春風亭一之輔「あくび指南」
そのまま高座に残り、もう一席。通常版の反対俥なら、終わったあとは大汗かいて息も上がるところだが、この改作版ではそんなこともなく、落ち着いて次の一席へ。
この会で演っていない噺を、と始めるも、本編は何度も聴いている十八番の演目。「大工です、家えー建ててます」でお馴染み。
そんなお馴染みの演目だが、聴くたびに新たな発見がある。これも一之輔落語の魅力。この日の発見は、稽古を付ける欠伸の師匠が、教わる弟子側と同様にかなりエキセントリックで奇妙な様子だったこと。この欠伸の師匠もかなりカッコ付け男なので、教える方も習う方も両者とも奇妙な男たちという、不思議な稽古が繰り広げられる。考えてみれば、稽古料をとって欠伸なんぞを教えようということ自体、常識的ではない。元々、奇妙な師匠なのだ。この当たり前のことを、改めて気付かせてくれたのだ。
女性の師匠を目当てで行ったのに、師匠の女房と分かってやる気を失ったはずの熊が、本当の師匠の稽古によって、次第にやる気を見せる。そこから、夏の欠伸の稽古がくどいくらいに繰り返えされる。そんな馬鹿々々しい稽古を延々と見せられた客席は、まさに冷静に稽古を見学していたお連れさんと同様に、その馬鹿々々しさに呆れはてる。それでも客席で欠伸が出なかったのは、笑うことに忙しかったからだろう。

仲入り

春風亭一蔵「佐野山」
9月下席より真打に昇進する旨を伝えて、会場は拍手喝采。ロビーでは、披露興行の前売券を発売している。一蔵さん曰く、今日の目的は披露興行のプロモーションなので、落語はすぐ終わります。もう一蔵は一生見ないという方がいても結構ですが、そんな方でも披露興行だけは是非来てください。一蔵さんの必死のお願いが爆笑を呼ぶ。
後援会会員を前に、一之輔師匠の後援会組織は素晴らしい、羨ましいとヨイショのような本音のような感想を伝える。真打昇進の披露目を控えて、準備に色々と大変な状況なので、より一層、後援会の存在の有難さを身に染みて感じられたようだ。
その披露目の準備での苦労話で笑わせてくれる。パソコンを使えないので、名簿作りなど事務作業はすべて手作業、おまけに字が下手で漢字を知らない。宛名書きに、大変苦労しているという話。宛名書きの氏名の漢字、渡邊さんの邊の字、難しすぎ。齋藤さんの齋の字、何なんですか、中にあるYは、要りますか。そんな叫びが、爆笑を呼ぶ。

本編につながるマクラは、自分は相撲好きで両国にもたまに行くというお話。最近、観客も戻ってきたようで、パンフも外国語版も置かれるようになった。英語版見ると、番付の階級の英語表記が面白い。十両はテンダラー、小結はリトルリボン、大関はワンカップ。よくできた小噺。
本編は、一蔵さんで以前に聴いたことがある噺。おそらく、得意の演目だろう。一蔵さんのこの噺は、至ってシンプルで、分かり易い筋書。横綱谷風の人情味や人柄、佐野山の親思いや誠実さ、江戸っ子の判官贔屓、それらを表情豊かに特徴的に伝えてくれる。筋書きを語る地噺の要素の多い噺なので、一蔵さんの芸風に合っている。
別名「谷風の情け相撲」と呼ばれるように、八百長相撲と断罪せずに人情噺となるところがこの噺の落語らしさ。一蔵さんも好きな噺なのだろう。

春風亭一之輔「お見立て」
前方の一蔵さんについて、ずいぶん痩せたという話から。でも、一蔵さんが座った後の座布団は薄くなった気がする。座布団になりたくない、そんな一蔵さんイジリから後半をスタートさせる。
落語家という職業に対して、自由で良いですねとよく言われる。これでも気を使って生きてるんです。おそらく、これは一之輔師匠の本音だろう。そこから、自由の無いのが吉原という所、そんな切っ掛けで本編へ入る。

お馴染みの廓噺であり、滑稽噺。この「一之輔たっぷり」の会は、従来は滑稽噺と人情噺を組み合わせる構成で行われてきた。しかし、今回は滑稽噺の三連発と、いつもと構成が違っている。今回のように爆笑系で固めている回は、今までに無かったように思う。特に理由は無かったのかもしれないが、私なりに感じたのは、コロナ禍の影響があるのではということ。
本来は満員御礼のはずが、ちらほらと空席がある。チケットは持っているが、感染症の関係で当日になって急遽来られなくなった方が多数いたのではないかと推測されるのだ。そんな、コロナ禍の重い空気を吹き飛ばすことを主眼にして、爆笑系で固めてきたのでは、それが私の感じた理由だ。
この日に掛けられた噺の中で、爺さん俥夫の老人言葉と杢兵衛大尽の田舎言葉という不思議な言葉が炸裂し、爆笑を呼んでいた。この日の主役はこの二人と言っても過言ではない。まさに、この二人に主役を持っていかれた会となっていた。

この噺の特徴でもある杢兵衛お大尽の田舎言葉。これは地方の方言なのだが、一之輔師匠の場合は、意味不明で不思議なフレーズが言葉の最後に付けられる。これは落語世界の共通の田舎弁ではなく、杢兵衛語とでも呼ぶべき奇妙で可笑しい言葉使いなのだ。何と言っているか、これを文字では表現し辛い。この奇妙な接尾語を捉えて、これにいちいち反応する喜助が可笑しい。喜助のマジボケが笑いを増幅させている。
一之輔師匠のお見立てに登場する吉原の若い衆の喜助は、他の演者の噺に登場する喜助と少し印象が異なっていた。特徴的なのは、杢兵衛への言い訳することに対する褒美を、喜瀬川に強く求めないし、また欲しがらないのだ。
それよりも、喜瀬川と杢兵衛の双方が納得するような解決を図ることを第一義として、客と花魁の間に立って奮闘している。これは、廓の中のトラブルを解決することが吉原の若い衆、妓夫の務めだと喜助が心得ているように感じるのだ。悪所の中の最下層の奉公人なのに、嫌々ながらもその職責を全うしようという心意気や矜持みたいなものを持っている。そんな人物像の喜助なのだ。
そして、喜瀬川が次々と繰り出す断り文句に、それは無理があると正論で反論する喜助。道理が通っていて常識人な喜助。それでも、花魁の無茶ぶりに、嫌々ながら、その無理を捻じ曲げて、無理を通して杢兵衛を納得させてしまう。喜助って凄い奴じゃん。この日の一之輔師匠の高座を聴いて、改めてそう思った。喜助の強引さというよりキレ芸であり、感情で理屈をねじ伏せる力技を持っている男なのだ。

会話で物語を紡いでいくのが落語である。この噺では、喜瀬川と喜助との間、また杢兵衛と喜助との間で交わされる言葉の応酬によってストーリーが進行する。このストーリーに説得力を持たせるのは二人の対話そのものだ。無理矢理にこじ付けた筋書ではない、そう感じさせるのが落語における会話の力なのだ。
この噺では、無理な設定を相手に納得させる筋書きが進行する。その筋書きに違和感なく説得力を持たせるのが、演者の工夫による登場人物たちが交わす会話なのだ。
この日の一之輔師匠のお見立ては、工夫を重ねて磨き上げてきた言葉の応酬によって、筋書に説得力を持たせていたのは間違いない。まさに、一之輔師匠の技量の高さを見せつけた一席だった。
爆笑系で固めた今回は、私にとっては、爆笑よりも色々な発見があって楽しめた会であった。

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