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落語日記 今年も落語納めは馬生師匠

鈴本演芸場年末特別企画興行 金原亭馬生一門会
12月26日
暮れの恒例行事である鈴本演芸場での金原亭馬生一門会に、今年も参加することができた。今年も私に取っての落語納めは、この会となった。
コロナ禍以前は前売りチケット完売という人気の会だった。しかし、昨年はコロナ禍のなか、市松模様に客席を配置して入場者数が抑えられたため、入場出来なかったご贔屓さんが多数いたと思われる。今年は、舞台前の最前列のみ着席禁止で、その他の客席の制約はなくなり、満員の来場者で客席は隙間なく埋め尽くされた。この日を待ちわびた馬生一門のご贔屓の皆さんが集まり、いつもの寄席とは違って、前のめりで笑い声の多い暖かい客席だった。
入口ホールでの一門の皆さんのお出迎えも、いつもながらの風景。そんな中、馬生師匠の半纏を着てチラシを配っている春風亭一花さんを発見。ご亭主が一門の馬久さん、そのご縁でこの会を手伝っている。かいがいしく働く一花さんは、馬生一門の一員のように、すっかり馴染んでいる。そんな光景が一門会の雰囲気を和やかなものにしている。
 
金原亭駒介「道灌」
まずは、末弟の前座の駒介さんが開口一番。馬治丹精会でも色々とお世話になった。
お馴染みの道灌、ご隠居の貫禄を感じさせるようになってきた。前座さんの成長ぶりは著しい。
 
金原亭馬久「厄払い」
穏やかでしっかり者の偶数弟子。入場時に配られた飴はご贔屓さんの差入れです、とお礼の挨拶をされるところは、まさに二番番頭って感じ。
大晦日が舞台となる時季の噺で、与太郎が叔父さんから厄払いの仕事を与えられる与太郎鸚鵡返しに分類される演目。与太郎物が得意な馬久さん、この日の与太郎も間抜さ全開の大活躍。
しかし、この与太郎さんはただの馬鹿ではない。厄払いの口上をしくじっても、それに合わせて相手をいじる頓智は利く。真は利口なのだ。
 
桂三木助「転宅」
最近、寄席の主任に抜擢されることも多くなって、若手の中ではなかなかの活躍を見せている三番弟子。馬治師匠からは、奇数弟子四人組の一人としていじられている。
マクラでは、お手伝いに来てくれた一花さんの話題。男性だけの一門なので、楽屋に一花さんが居るだけで華やかになる。すっかり馬生一門に馴染んでいるので、一朝一門とトレードしようじゃないか、ついては誰をトレードに出すか、そんな話題で盛り上げる。
本編は、三木助師匠では初めて聴く。泥棒の呑気さが、三木助師匠に似合っている。下げは、初めて聴く型。お菊さんの元の商売をもじったものではない。三木助師匠の工夫かも。なかなか意欲的な取り組みだ。
 
金原亭馬玉「野ざらし」
仲入りは、二番弟子の陽気で明るい一席。笑いどころも多い噺でもあるが、この日の客席は反応が良く、笑い声が多い盛り上がった一席となった。馬玉師匠の持ち味であるテンポの良さや明るさが活かされる演目で、釣りながら唄うサイサイ節も楽しい。
馬玉師匠の笑顔に癒される落語ファンは多いと思う。ハイトーンのセリフは、何気ないものでも可笑しさにあふれているのだ。
 
仲入り
 
金原亭馬治「棒鱈」
クイツキは、惣領弟子が務める。序盤から笑い声の多い客席だったが、この一席も一層大きな笑い声が上がっていた。マクラでのお馴染みの酔っ払い親子の小噺からよく受ける。親子酒などの、酔っ払いの演目ではよく聞くマクラの小噺。おおよその落語ファンなら知っている小噺。これが受けるという不思議。本編に入ってもよく笑ってくれる。本当に暖かいご贔屓さんたちだ。
何度も聴いてきた馬治師匠の棒鱈。この日は受ける客席にのせられたのか、田舎侍の十二か月という唄を六月まで唄い、十二月まで行きそうな勢い。馬鹿々々しいけど、一度やって欲しい。
こんなに受けた馬治師匠の棒鱈に遭遇したのは、おそらく初めて。一門会の高座の力なのだろう。
 
茶番「五段目 山崎街道」金原亭小駒 金原亭馬太郎
この日は五番弟子の小駒さんと六番弟子の馬太郎さんは、落語を披露せず、一門が取り組んでいる茶番という余興を見せてくれた。膝代わりの色物の役回り。
歌舞伎のパロディで、コミカルな筋書きの茶番。その中で役者の真似や歌舞伎風のセリフを聴かせてくれるので、単なるコントではなく、古典芸能の香りがするのだ。
今回の演目は忠臣蔵五段目の一場面。昨年、馬生師匠が聴かせてくれた中村仲蔵でモチーフとなっている演目のパロディだ。斧定九郎の小駒さんがボケ役、與市兵衛の馬太郎さんがツッコミ役として演じて、客席を大いに沸かせてくれた。
 
金原亭馬生「文七元結」
今年最後の落語会のトリの一席。ということは今年最後の一席が、馬生師匠の文七元結。昨年もこの会が落語納めだったので、馬生師匠の中村仲蔵で〆た。馬生師匠を聴かないと、一年が終われないのだ。
先週、遊かりさんの若々しい格闘の一席を聴いたばかりの文七元結。今回はベテランの本寸法な一席。同じ噺でも、味わいが全く違う。これが落語の醍醐味。
 
ベテランの一席は、長兵衛親方が見せる江戸っ子の不可思議さをほとんど意識させない流れるような文七。型は遊かりさんとほぼ同じなのに、長兵衛親方は別人のようだ。
印象的な場面をあげると、文七の身投げを止める吾妻橋。訳を聞いてから五十両を文七に投げつけるまでの流れ。リズミカルで簡潔で、何の後ろめたさをも感じさせない。むしろ長兵衛の行動に心地良さまで感じさせる。
聴衆に江戸っ子の不可思議さを考える暇を与えないというより、落語の中の長兵衛親方自身があまり考え込まず感情のおもむくまま行動しているので、そのまま受け入れさせてしまうのだ。
そんな長兵衛を象徴するのが「せめて二十五両に負からないか」と値切るセリフ。笑いどころでもあるのだが、五十両を渡すことの深刻さは、目の前で死のうとしている文七を助けることに比べれば、長兵衛にとっては大したことことではない、物を買うときに店先で値切るような気楽さから、そう感じさせる。長兵衛が逡巡の表情を見せるのはこのときくらいで、決断と行動が速いのだ。
 
長屋に近江屋と文七が訪ねてくる場面。文七に渡した五十両を返されたときも、くれてやったものだから受け取れないとあっさり断る。ここでも何も考えずに即答。その後の女房からの横槍で、仕方なく受け取る。まさに、感情や見栄を優先させるという江戸っ子気質を象徴する場面だ。
この日の長兵衛親方の行動やセリフからは、その心情をそのまま受け取って長兵衛親方に感情移入することができるものだった。そんな長兵衛親方を見せてくれた見事な一席だった。
いろいろと屁理屈をこねくり回すことが好きな私にとって、もっとシンプルに高座を聴いて楽しむことの大事さを伝えてくれたような一席だったと思う。

今年も落語会に通いながら無事に一年を過ごすことができた。そして、馬生師匠の文七元結で落語納めとすることができた。そんな嬉しさを、しみじみと噛締めて聴いた一門会だった。

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