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落語日記 男の願望をシニカルに描いてみせた扇辰師匠

末廣亭 10月上席昼の部 入船亭扇辰主任興行
10月6日
連休初日は、先日の志ん生追善興行に引き続き末廣亭に訪問。上席昼の部の主任は、入船亭扇辰師匠。遊かり独演会での高座も記憶も新しい。さて、主任興行での演目は何を掛けてもらえるのか、楽しみに出掛ける。

柳家さん喬「真田小僧」
途中入場。寄席で、こんな早い上がり時間で拝見するのは初めてかも。マセガキながら、幼さも感じさせる金坊。なので、金坊を憎めず可笑しさが勝っている。さん喬師匠の表情で、微笑ましさがあふれる一席だった。

林家楽一 紙切り
横綱の土俵入り(鋏試し)・闘牛・彼岸花
桟敷席に子供を見つけ、指名して注文を受け付ける優しい楽一さん。その注文は、子供らしくない「彼岸花」で、客席には微笑ましい空気が充満。さすが、寄席に来るだけあって、季節感と渋さあふれる少年だ。

金原亭馬治「強情灸」
代演での出演。マクラは馬治師匠の二大定番の「蟹と入歯」と「師匠の入院」。その後、江戸っ子の説明から本編へ。これも得意の演目。強情男の悶絶の表情が可笑しい。

春風亭柳枝「権助魚」
まだ真打昇進してからまだ二年ほどなのに、すっかり中堅の貫禄。落ち着きのなかで、女将の悋気と権助の知識の無さが醸し出す可笑しさ。客席の反応も良かった。

ニックス 漫才
相変わらず、トモさんの「そうでしたかぁ」というキラーフレーズの連発が笑いを呼ぶ。すっかり、独自の型が出来上がっている。

三遊亭萬窓「鼓ヶ滝」
萬窓師匠も代演。和歌三神の化身が、素朴な田舎者風で、その意見を素直に聞く西行も気持ちいい。萬窓師匠のさらりと流れるような語り口が心地良い。

橘家文蔵「手紙無筆」
青い長着のみで羽織無しの着流し姿。ラフな感じも、江戸のちょい悪オヤジ風で似合っている。噺は得意の演目。無筆がバレバレなのに、見栄を張る兄貴分の強がりが可笑しい。

ダーク広和 マジック 
こちらも代演。この日の代演はハズレ無し。ロープのマジックとTシャツの早着替え。寄席の距離で観易いネタだ。

橘家圓太郎「粗忽の釘」
ここからも私のお気に入りが続く。寄席サイズに縮めても、中身は濃い一席。大工の亭主の粗忽ぶりは当然、人の好さが前面に出ていて憎めない男になっている。落ち着きゃあ一人前、そう言われて、落ち着いても半人前、でも好い人。ふぇーふぇーも聴けて満足。

柳亭左龍「馬のす」
時間が押していたためか、仲入り前だが短めの一席。自分の落語日記で調べると、この噺は左龍師匠で聴くのは二回目のようだ。前回は、池袋演芸場での馬治師匠主任興行の膝前での一席。
友達が枝豆食べながら、文蔵師匠の前座の頃の思い出話がぶち込む。仲の良さが伝わるクスグリ。これも前回聴いたときの日記に書かれていたので、この噺の定番のクスグリなのだろう。そういえば、文蔵師匠もこの噺を得意としている。
馬の尻尾の毛を抜いた男の恐がり様が、左龍師匠らしく表情豊かで、思わず笑ってしまう可笑しさ。表情で可笑しさを感じさせたら、ピカイチの左龍師匠だ。

仲入り

柳家小平太「鈴ヶ森」
この日はさん喬一門が、仲入りを挟んで重要なポジションで大活躍。クイツキは、この芝居のあと鈴本演芸場10月中席夜の部で主任を務める予定の小平太師匠。厳しい主任競争を勝ち抜いている実力者だ。
久々に拝見したが、安定の面白さ。間抜けな泥棒の自然な軽率さが、わざとらしくなくて上手い。ほんと、お見事な一席だった。

ロケット団 漫才
この日も時事ネタをぶち込み、毒舌を吐きまくる三浦先生。突き放したような倉本先生のツッコミも名人芸。

三遊亭歌奴「鹿政談」
今までの流れを見ると、この日出演の落語家の皆さんは、本寸法な古典の正統派が続いている。その流れのまま、主任まで続く。その代表格でもある歌奴師匠が登場。
私は歌奴師匠の澄んだ声音が好きで、その声を伴い、毅然とした態度の奉行や侍たちの行動が美しい。武士の品格があり、その佇まいが素晴らしい。時代を超えて、当時の現場に居るように感じさせてくれる。そんな見事な一席。

柳家小団治「替り目」
久々に拝見、ずいぶんと歳を重ねられた印象。なので、酔っ払い亭主と女房もご隠居のような高齢者夫婦に見える。歳を取っても、こんな夫婦関係でいられたら、と思うような二人。膝前は、しみじみタイム。

柳家小菊 粋曲
いつも艶やかな小菊師匠。都々逸の文句、何度聴いても上手く出来ている。都々逸の終わりに、ちゃんと拍手したけど、中途半端な拍手といじられ、これも楽し。

入船亭扇辰「夢の酒」
お待ちかねの主任登場。マクラは抑え気味の声から、本編ではボリュームアップ。
呑気な若旦那と、卒倒しかねないほど悋気で感情が高ぶっている女房のお花の対比が可笑しい一席。そのお花が感情をコントロールできないほど取り乱す様子が、扇辰節と言っていいほど独特の感情表現で可笑しさが引き出される。このお花は狂気に近い境界線上にいるが、かろうじて笑える方に留まっている。この微妙な匙加減が見事。

そんなお花の取り乱し様は異常だが、若旦那の夢の話にもかなり罪がある。若旦那は夢の中の向島で出会った御新造のことを、今までに見たことが無い絶世の美女だと語って聞かせる。扇辰師匠が見せる若旦那は、このとき女房の前でまったく悪びれることがない。その語り口は明け透けで、本心を語っているように聞こえるのだ。これはにはお花さんもたまったものではない。亭主が女房の前で、外で出会った知らない女性の容姿を手放しで絶賛するというデリカシーの無さ。これには、私はお花に同情するし、感情丸出しでの訴えにも味方する。観客も同じ気持ちに違いない。
おまけに親である大旦那も、息子同様に鼻の下を伸ばす。親子で同じように夢の中で男の願望を爆発させる。二人とも男の願望をあからさまに見せ、それによって女房が悋気の感情を高ぶらせる。扇辰師匠の表現が、それぞれの立場の感情に振り切っているので、この対立構造が鮮明に浮かび上がってくる。

女性が呆れるほどの男の願望を実現している世界が、落語の中ではよく登場している。この演目では、噺の中に登場する夢の中での出来事という二重構造になっている。夢の中の出来事は、夢の外の現実世界では実現していない。なので、この噺では、男の願望の可笑しさや馬鹿々々しさを噺の中で皮肉っているという構図になっている。夢の中のような上手い話はないと思いながらも、羨ましく感じている観客を、シニカルで辛辣な視点で演者が見ているように感じるのだ。こんな風に感じるのも、扇辰師匠の感情表現の豊かさ見事さからきている。そんなことを考えさせられた一席だった。
先日の独演会で遊かりさんが披露したこの噺を、稽古を付けたのは扇辰師匠。なるほど、遊かりさんが惚れる一席と納得。

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