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落語日記 落語協会若手真打四人の会

RAKUGOもんすたぁず CHAPTER82
3月7日 古石場文化センター 大研修室
毎回、楽しみにして通っている会。今年の1月17日に開催された、一之輔師匠をゲストに迎えた特別公演以来の回で、今回はいつもの会の構成に戻って開催。観客もご常連さんでいっぱい。客席の間隔は離して配置。受付のコロナ対策もきっちり。なので、出演者の出迎えや見送りも、まだ自粛されている。

オープニングトーク
いつものように、4人で近況報告と出演情報の告知。志ん陽師匠が朝日名人会に出演が決まって、その話題で盛り上がる。

古今亭松ぼっくり「饅頭怖い」
志ん陽師匠の弟子の前座さん。語り口はしっかりしている。すぐに意識を失ってしまった。

春風亭三朝「強情灸」
マクラは三朝師匠の近況から。最近、引っ越しをされたとのことで、その話題。着物箪笥に大量の着物、引越業者に職業が分かってしまう。新居はフローリング敷の洋室。今までの和室での畳生活から椅子生活に変わったことによる日常生活の変化。畳と違って、すぐに横になれない、そんなアルアル話で観客を引き込む話芸はさすが。新居に引っ越しされて心機一転、張り切っている様子の三朝師匠。
昔の銭湯は朝に焚くので、朝風呂は熱いと決まっていた。今でも上野の燕湯の朝風呂は熱い。そんな銭湯の話題から、熱い湯に入る江戸っ子の痩せ我慢というお馴染みの小噺。そんな上手い流れで、本編へ。
この噺は、江戸っ子たちの負けず嫌いで痩せ我慢という気性を上手く見せてくれるもの。
その江戸っ子気質を、二人の江戸っ子の会話で伝える噺。三朝師匠は、馬鹿々々しい江戸っ子気質をあっさりと淡泊に見せてくれる。それによって、本当に居そうなリアルさが感じられる。誇張されたものではない可笑しさ、江戸っ子たちの普段の行動、日常生活からくる可笑しさが伝わる。三朝師匠の上手さの源泉が感じられる一席だった。

古今亭志ん陽「厩火事」
いつもの様ににこやかに登場。マクラは奥様とのエピソード。以前、夕飯は要らないと言って出掛け、食事しそこなって帰ったときに、夕食を頼むと気分を害されたことがあった。そんなことがあって、前日の仕事のお話。横浜にぎわい座からの帰り、帰路についたのは7時前だったのが、地元に着いたら8時すぎてしまい、飲食店はみな閉まっていた。このまま空腹で家に帰りづらくなり、開いていた弁当屋で唐揚げ弁当を買って、それを公園で食べていたら、同じようなお仲間がいた。
恐妻キャラの志ん陽師匠らしいマクラで客席は大受けだったが、亭主族にとってはアルアル話。苦笑するしかない。
そんな夫婦の機微のマクラから、これも上手い流れで本編は夫婦の噺。
髪結いで亭主を食べさせているお崎さんの愚痴と、貫禄のある仲人の説教が楽しい。文字通りの髪結いの亭主、悪人ではない。性悪さが根底にない。なので、心穏やかに聴ける噺になっている。珍しかったのは、下げが「皿が買えねぇ」だった。

仲入り

柳家燕弥「三人旅」
この会は毎回ネタ出し。燕弥師匠の一席が楽しみだったのは、珍しい演目で初めて聴く噺だったから。
上方落語には多い旅の噺だが、江戸落語ではこの江戸っ子の三人旅のシリーズくらいしか残っていない。かつては、色々な噺があったようだが廃れてしまい、あまり掛けられなくなった。現在は三人旅のシリーズとして「発端・神奈川」(別名びっこ馬)「鶴家善兵衛」「京見物」などのパートに別れて残っているようだ。この日は、発端の神奈川のパート。
マクラでは、現在浅草演芸ホールで出番をもらっていて、自宅から自転車で通っているという話から。自転車なので、浅草からの帰り道は自由に寄り道ができる。普段は行けない神社仏閣巡りなどの寄り道で、良い旅気分を味わえる。そんな旅気分の話から現代の旅事情、そこから旅の噺へ突入。
発端パートは、江戸っ子三人が箱根山を馬に乗って越えて行く噺。気の短い江戸っ子と、対照的にノンビリした田舎弁の地元の馬子との会話が楽しい一席。物語があるという訳でもなく、長閑な雰囲気の旅気分を味わう噺。江戸っ子と田舎者との演じ別けが見事な燕弥師匠の一席だった。
笑いどころも少なく、儲からない噺だろうが、こんな演目も大切に伝えていって残して欲しい。


柳家小傳次「茶の湯」
この日の主任は小傳次師匠。自粛生活で、体形が少し豊かになられたかも。
マクラは落語家のような仕事は、本業と趣味の境目が分からなくなっているという話。特に小傳次師匠は趣味人、というか趣味がオタク系という感じがする。落語も趣味のようなコダワリを感じるし、好きが高じて本業になったようなお仕事。確かに本業と趣味の線引きは難しそうだ。そんな趣味の話から本編へ。
主人公は、蔵前のご隠居とお世話係の小僧の定吉の二人組。ご隠居は、知ったかぶりはするが、居丈高に威張っている風でもないので、嫌みが少ない。定吉もいい加減なようでいて、言いつけには従う真面目な子供。そんな二人の知ったかぶりによって引き起こされる悲劇が、喜劇となって笑らわせてくれる。
この悲劇は、知ったかぶりを諫める人が側にいない、イエスマンしかいないことにより起こってしまう。身近にも起こりがちなこと、自戒したい教訓である。
後半の下げにつながる利休饅頭のエピソード。ここで前座の一席「饅頭が怖い」がぶっ込まれる。長屋の店子の三人組の慌てる様子も楽しく描写。省略のない型で、きっちり語ってくれた一席だった。

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