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落語日記 四代目桂三木助由縁の落語家が勢揃いした追善興行

浅草演芸ホール 1月下席昼の部 四代目桂三木助二十三回忌追善興行
1月21日
当代の五代目桂三木助師匠の伯父にあたる先代の四代目三木助師が亡くなったのは、22年前の平成13年。今年が二十三回忌に当たる。当時、今ほど生の落語にはまっていなかったので、先代の記憶も落語家というよりテレビタレントの人気者という印象だった。当時の若手落語家のマスコミで活躍していた仲間として、春風亭小朝師匠や林家しん平師匠の姿も覚えている。
先代の親友であり、ご自身もブログで先代を同志と呼んでいる小朝師匠が今回の追善興行を企画プロデュースされた。そして、主任を担当するのは、祖父や伯父の名跡と芸を引き継ぎ精進されている当代三木助師匠。馬生一門のご縁もあって、二ツ目時代より応援している当代の晴れの舞台を観るため、初日に出掛けてきた。
 
開演時間に間に合わず、途中入場した客席はほぼ満席。立ち見の人もいる中、なんとか後方の席を確保できた。
浅草演芸ホールの木戸口で、先代の等身大パネルがお出迎え。客席に入ると、いつもと違う華やかな飾り付け。舞台下手側に先代の半纏、上手側に生花に囲まれた先代の写真、客席には生花が飾られている。そして何より目を引くのは、高座を華やかにしている濃紺鮮やかな先代の後幕。まるで真打披露興行のようだ。
この先代の後幕が、仲入り後にはクリーム色の当代の後幕に掛け換えられた。先代を偲びながら、当代に三木助という名跡が引き継がれていることを強く印象付ける演出だ。
仲入りの際には、先代の音声が会場に流れ、写真と共に先代を偲べる工夫がなされている。そんな工夫も、おそらく小朝師匠の企画だろう。
 
そして、小朝プロデュースの最も素晴らしいのが追善興行ならではの顔付けだ。先代と由縁の顔ぶれが並ぶ。先代の弟子、先々代の弟子、先代の師匠の一門、先代と親交があった友人たち。小朝師匠の呼びかけに応えて出演されている。
そんな皆さんなので、マクラでは先代の思い出を語ってくれる。先代が当時の落語界に置かれていた状況は、かすかな伝聞でしか知らないが、この日の仲間の皆さんの高座からは、先代が仲間からは愛されていたことが伝わってくる。そんな高座を披露することが、何よりの追善となっているのだ。
 
ジキジキ 面白音楽
途中入場
 
春風亭正朝「狸札」
ブログによると「小朝兄哥さん、しん平さん、三木助さんと私の4人は本当に仲良しでした。」とあり、遊び仲間だった思い出話。追善興行らしさがあふれた一席。
 
蝶花楼桃花「動物園」
小朝一門として、高座に花を添える。桃花師匠の明るいキャラが追善興行を楽しく華やかなものにしている。
 
林家楽一 紙切り
横綱の土俵入り マジック(アサダ二世) 宇宙飛行士
ぶつぶつ言っているのは、いつもと同じ。子供の注文を丁寧に訊いてあげる優しいお兄ちゃんだ。
 
林家しん平「鰻の食べ方」
白いカッターシャツを襦袢の下に着込み、シャツの襟と袖が着物からはみ出しているという奇妙な出で立ちで登場。会場の雰囲気も、何だろう?「違和感あるでしょ、鈴本から移動してきたので肌着を忘れてきて、その代わりにシャツを着ています」と奇妙な出で立ちの言い訳から始まるマクラ。
先代の仲良しとしての思い出話。亡くなる前に小朝師匠の家に二人でいると三木助師が訪ねてきて、ドアを開けたら誰も居なかったという話。生霊だったのか、不思議なちょっと怖い話。こんな奇妙な思い出話もしん平師匠らしさ。また、果物嫌いな先代に対してしん平師匠がやったいたずらの思い出。仲間として過ごした何気ない日常が浮かんでくる。
そんな思い出話をたっぷりしたので、本編は鰻の蒲焼の調理法を面白可笑しく語る漫談。
 
柳家小さん「短命」
先代の師匠だった五代目小さん師の息子で、先代とは兄弟弟子。特に先代のことには触れず、淡々といつもながらの本編は小さん師匠らしさ。
 
仲入り
 
林家木久蔵「勘定板」
父親の木久扇師匠が三代目三木助師の弟子だったというご縁。なので、三木助三代に渡っての付き合いという、深いご縁だ。三代目の死後、先代林家正蔵門下に移籍された。木久蔵の木は三木助の木、木久蔵の蔵は正蔵の蔵、その間に長く久しくとの思いを込めて久の字を使ったという、父親譲りの芸名の由来を紹介。
そんなご縁のマクラから、本編は得意の滑稽噺。
 
林家ペー 漫談
相変わらずお元気なぺー先生。軽妙な漫談で会場を盛り上げる。
 
橘家圓太郎「化物使い」
林家正蔵師匠の代演で、小朝師匠の惣領弟子が登板。マクラ短く本編へ。寄席サイズに収めた見事な一席。ご隠居が怒鳴りまくり、まさに圓太郎節で、寄席で聴けて嬉しいかぎり。この後の出番が圓太郎師匠の師匠。
この師弟の寄席でのリレー出演という珍しい場面は、先代の引き合わせだ。
 
春風亭小朝「浜野矩随」
膝前の出番は、この追善興行の企画者である小朝師匠が務めている。先代の親友であり、当時の若手落語家として、またタレントとしても小朝師匠と共にトップランナーだった先代。小朝師匠もブログで同志と呼んでいた。まさにお二人は盟友という関係だったのだろう。そんな小朝師匠の高座への期待の高まりは、満場の拍手からも伝わってくる。
マクラは先代の母親の思い出話。先代は母親に凄く可愛がられていた。四代目が縁起良くないという母親の思いから、先代が五代目になるために、小朝師匠に対して一旦四代目を襲名してもらえないか、そんなことを先代から言われた。母親が縁起にこだわったのは、先代に対する愛情の証し。
先代の弔問に訪れた際に、亡くなった息子を前に母親が見せた表情を語ってくれた。その際に母親から聞いた言葉が、息子には感謝している、夢を見せてもらった。そんな先代に対する母親の思いを語れるのは、小朝師匠ならではだ。
 
先代の母親の思い出話によって先代母子の情を伝えるマクラを経て、入った本編が名人の息子と母親を描いた浜野矩随。追善興行の初日の演目に、この噺を選んだ小朝師匠の感性が素晴らしい。
職人と依頼主との関係、偉大な父親に対する息子の劣等感や苦悩を描く噺であるが、名人亡き後の母親と息子の再生が根底に流れるテーマでもある。この日の小朝師匠は、この母親と息子の関係にフォーカスした一席。先代の母親の思い出話を聞いた後なので、この噺の親子と先代母子の関係が重なってみえる。
この噺では、最後に母親の命が助からない筋書の演者が多い。しかし、この日の小朝師匠の一席は、母親の自決を息子が寸前で止めて、命が助かる設定。追善興行にふさわしいハッピーエンド。先代に対する何よりの供養となった一席。
 
ロケット団 漫才
この日は短く、繋ぎ役に徹する。
 
桂三木助「ねずみ」
緊張されていると思うが、この大舞台でもいつものような表情で登場。
先代が亡くなったのは当代が16歳のとき。タレントとして活躍されていた叔父さんとの突然の別れは、青春時代真っただ中の当代にとってどれだけショックな出来事か。そんな出来事を乗り越えて、祖父伯父の名跡を引き継いで落語家になり、そして追善興行の主任の高座にいる。落語ファンとして、また馬生一門ファンとして二ツ目の頃より見てきた者としても、この高座は感慨深いものがあるのだ。
当代が語ってくれた先代の思い出は、前座の修行時代の伝説のエピソード。外車で寄席に通っていたという、お坊ちゃまで破天荒な落語家だった。今では考えられない先代のエピソードを語る当代の表情は、どこか自慢気で誇らしげだ。
この追善興行のニュースの記事で、この追善興行で主任を務められるのも叔父からのプレゼントかも、と先代に対する感謝を語っていた当代。そんな感情も伝わってくる思い出話。
 
演目は、三代目三木助で有名な噺。昨年の浅草の主任興行で聴いたのもこの噺。この追善興行の初日に掛けたことからも、当代がこの噺を大切にしていることが分かる。
飄々とした語り口で、当代流のねずみを聴かせてくれた。追善興行の主任という重責、これは当代にとって芸の進化につながる貴重な経験になったものと思う。

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