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【ショートショート】あなたの頭はお花畑

『あなたの頭の中はお花畑なの?』
 やわらかく睨んでくる女性に対し、演技派の女優がキャラメルマキアートの泡を唇につけて小首を傾げている。この前の医療ドラマではクールな女医を演じていたのに、こんな演技もできるんだと感心する。
「んがぁ……」
 ウシガエルのようないびきが聴こえてきた。振り返るとソファーで夫の卓也(たくや)がだらしない恰好で昼寝している。とんだ雑音が入ってきたと心の中で卓也に悪態をつく。
 ――あ、咲いた。
 そんな卓也には秘密がある。
 卓也の頭頂部に咲いている一輪の花を摘んだ。これはパンジ―……スーパーにある花屋やホームセンターでよく見かける花だ。
 パンジーを指で回していると、テレビの横に置いてあるフォトフレームが視界に入った。
 笑顔で映っている夫婦。
 黒縁眼鏡を掛けて笑みを浮かべている卓也。その知的なイケメンから肩に手を添えられて笑みを浮かべている私。
 あれは登山をした時の写真だ。
 ――結婚して、もう一年が経ったのか。
 立ち上がって手に取ると埃がかぶっている。そういえば、写真を変えることがなくなった。夫婦関係が早くも冷えてきているのかもしれない。
「んがぁ……」
 口を半開きにしている卓也を見てため息が出る。四年前に出合った時はスマートだったのに、結婚してから一年で丸々と太った貍になった。
 ――幸せ太りだよ。
 卓也はへらへらと笑っていたけど、元々狸が人間に化けていたんじゃないかと思う変貌に騙された気分になる。
 卓也とは大学時代のコンパで知り合った。

「こんばんは。岡崎(おかざき)卓也です」
「どうも。杉浦(すぎうら)です」
四人いた男子の中で卓也だけが浮いていた。他の男たちは活発な雰囲気で品定めをするように眼をぎらぎらさせていたのに、彼だけは落ち着いていて自然体だった。服装も気合が入っていない。私と同じで気が進まないのに人数合わせで連れてこられた感じか。
「まどかさんって、バラのように美しい人ですね」
「はい?」
いきなり気取ったセリフを言われて赤ワインを吹き出しそうになった。私が赤いカーディガンを羽織っていて、凛とした表情をしているのが理由らしい。卓也は一見賢そうに見えるのに、ちょっと変わり者なところがある。 
 目の前に座る卓也は熱々のアヒージョをフーフーさせながら口に入れ、熱かったのか慌ててビールを飲む。鼻の下に泡をつけているのに気づかない。「あの、泡がついてますよ」
「あ、すみません。まどかさんも、ここ」
卓也はおしぼりで泡を拭いた後に人差し指で口角を差す。さっき食べたマルゲリータのケチャップだ。顔が沸騰したように熱くなった。他にスマートな伝え方をできないのか。レンズの奥で卓也が目を細める。変な男だ――でも、なんだろう。
 酔いもあったからか、卓也に興味を抱いた。

 周りからクールと見られがちでどこか気を張って生きてきた私は、楽観的でのんびりした卓也と一緒にいると抱き枕を抱えたような安心感があった。
その直感が後押しして、結婚に至ったのだが――。
「んがぁ……」
 我に返って危うくフォトフレームを落としかけた。
 卓也のいびきが止まらない。
 彼は穏やかで優しいんだけど、うっかり者でちょっと頼りない。でも、保健協会の水質調査の仕事は真面目にこなすし、職場ではそこそこ人望もあるらしい。
 卓也の頭から花が咲くことを知ったのは結婚して間もない頃だ。ベッド上で初めて見た時は面食らって混乱した。けど、不思議なことに卓也が目を覚ますとそのまま消えてしまう。当の本人は気づいていないようだ。
そもそも、こんな異常な現象を誰かが気づいたらすぐに卓也を病院に連れて行っているはずだ。いや、病院では済まない。どこかの研究施設に詰め込まれて世間を賑わすことになる。
 この卓也の奇妙な体質を家族は知らなかったのだろうか。――いや、カピバラのようにのんびりしたご両親の表情を見ても、隠し事をしているようには見えなかった。
 ――じゃあ、やっぱり結婚してからのことか……。
 こめかみに指をあてて考え込んでいると、甲高い声が聴こえてきた。
『わたしの頭の中は、お花畑なんかじゃないですよぉ』
 演技派女優がまた小首を傾げていた。

 卓也の頭から咲いた花を摘むようになったのは半年前になる。枯らすとかわいそうだという気持ちから始めたことだけど、今はすっかり習慣化している。
 卓也のお花畑を観察しているうちにパターンがいくつか分かった。
 朝晩関係なく卓也が眠っている時に花は咲き、咲く品種や数に規則性はない。
 実際に花を摘んでからは一定期間枯れることなく咲き続ける。但し、眠っている間に摘まないと、卓也が目覚めると同時に花は消えてしまう。
 マリーゴールドやパンジーなど、よく見かける花を咲かせることもあれば、バラやカーネーションなど一見高価な花まで咲かせた。卓也の頭の中はどうなっているんだろう。良質な養分でも入っているのだろうか。
 ――卓也のことでこんなに調べることなんて、付き合って間もない頃以来かもしれない。
 懐かしい感覚にくすりと笑った。
 スマホが鳴る。
 ――あ、また「いいね」をもらった!
 せっかくなので、卓也の頭から摘んだ花でフラワーアレンジメントをしてみた。
 インスタ投稿をすると思わぬ反応があり「可愛い」「センスがある」など賞賛の声が届いてフォロワーが一気に増えた。
 ちょっとした売れっ子気分だ。思わず一人でふふっと笑った。

 半年後、インスタのフォロワーが百人を超えた頃にⅮM メッセージが届いた。私のフラワーアレンジメントに感動したという人からマルシェに参加しないかというメッセージだった。
「うそでしょ?」
 思わず呟いてしまったけど、冷静に見ると前の職場の元同僚からだった。気の合う仲間と雑貨を持ち合って出店するらしい。そこに私のフラワーアレンジメントを出したいとのことだった。
 後日参加したマルシェは大成功。午前中に私が制作したフラワーアレンジメントは完売した。呆気に取られる元同僚の視線が気まずかったけど、お客さんのうっとりする視線を見て自信になった。
 調子に乗った私はこれを機にカフェの正社員の仕事を辞めて、コーヒースタンドのパートの仕事に転職した。カフェで店長の舐めるような視線にうんざりしていたのもあるけど、一番の理由はフラワーアレンジメントに専念する時間が欲しかったからだ。フラワーアレンジメントデザイナーの資格勉強は不思議と苦痛じゃない。
 ――やっと心から自信があることを見つけたかもしれない。

 一人でマルシェに参加するのも慣れてきた頃に、カルチャースクールに力を入れている地元の福祉センターからフラワーアレンジメント教室の講師の打診があった。
 トントン拍子に事が進んでいく。
 ネット販売の注文も増えて忙しくなった。さすがに卓也から咲く花だけでは追いつかないと思ったけど、私の想いが通じたのか卓也の頭からはポンポンと花が咲く。
 まさにお花畑だ。
 色とりどりの花が咲き誇り、私は気づかれないように夫のお花畑から花を摘んでいく。
 唯一困ったのは「お花はどこで仕入れているの?」という質問だった。聞かれるたびに返答に困ったけど、今は「主人の親戚がお花屋さんで、お裾分けしてもらっているんです」ということにしている。今まで深く追求はされていないのでその説明で通している。

 開業に興味が出てきて空き店舗を検索し始めた頃、卓也が瘦せてきたことに気づいた。お腹が引っ込んで、出合った頃のスマートな体型に戻ってきてる。喜ばしいことだけど、頬がこけて健康的な痩せ方じゃない。
「働きすぎじゃないか?」
「一度検査してもらった方がいい」
 と、職場で声を掛けられているらしい。
「ねえ卓也、病院で診てもらったほうがいいんじゃない?」
「うーん」
 どちらとも取れないような言葉で濁す卓也だったけど、私はハッとした。  
 ――もしかして。私が卓也の頭から花を摘んでいるから?
 卓也の頭から咲いた花を今まで記憶に残らないほど摘んできている。もしかしたら、身体に何か影響があるんじゃないかと思った。
 それでも周りの期待に応えたい気持ちと手元に入ってくる収入に目がくらみ、卓也のお花畑から花を摘む手は止まらなかった。

「まどか、僕の頭から咲く花は、次で最後になると思う」
「えっ?」
 リビングで寄せ植えをしていると、寝間着姿の卓也がやつれた顔で言ってきた。卓也の頭から花を摘むようになって一年が経っていた。
 ――気づいていたの?
 私は急にバツが悪くなり両手が止まった。
 「まどかが僕の頭から花を摘んでいるのは知っていたよ。でも、好きなことに夢中になって生き生きとしている君が美しくて、つい黙っていた」 
 指で頬を掻きながら話す卓也。喉元がこくりと鳴った。
「でも、ごめん。僕には分かるんだ。もう花を咲かせることができない」  
「あ、あの……」
 今まで自分がしてきたことを卓也にどう説明したらいいのか頭の中で組み立てていると「じゃあ、おやすみ」と、卓也は穏やかな笑みを浮かべて寝室へ入っていった。
 ――いや、待って。どういう意味?
 次で最後って、もしかして、卓也は力尽きてしまうんじゃ? 
 冷静さを取り戻すのに時間を要し、恐る恐る寝室に入ると卓也は仰向けで眠っている。
「んがぁ……」
 相変わらず大きないびきを――。
 ――きれい……。
 卓也の頭のお花畑から咲いたのは、五本の鮮やかな赤いバラだった。
 ――これが、卓也が咲かせる……最後の花?
 暗闇に鮮やかに輝く赤いバラに目を奪われる。息を呑み、脈が早くなる。気づいたら眩しい光を放っている赤いバラに手を添えていた。
 ――好きなことに夢中になって生き生きとしている君が美しくて、つい黙っていた。
 卓也の声が頭の中でこだまする。 
 ――どうして言わなかったのよ……。
 卓也の顔を覗き込む。顔は青白く、頬はやつれ、顎や鼻の下にはうっすらと髭が見えた。
「卓也が……いなくなる」
 確認するように小声で呟いた。
 彼がいなくなる世界を想像すると、急に息苦しくなってきた。何度も深呼吸する。
 ――まどかさんって、バラのように美しい人ですね。
 急に初めて会った時のことを思い出した。鼻の下にビールの泡をつけて笑う卓也が頭に浮かぶ。あの顔を、もう見ることができなくなるかもしれない。
 唇が震えてきて前歯で噛んだ。
 ――私は……。
 刺激がない毎日だとため息をつき、フラワーアレンジメントに夢中になってからは、卓也に意識がいっていなかった気がする。どうしよう。急に突きつけられた現実を受け止められない。
 ――卓也。
 彼は当たり前のように私の側にいてくれたのに。彼との日常、時間を失うかもしれない。
 ――ごめんね。
 目を強くつぶると、目尻から雫が流れてきた。 
 卓也の真っ白な掛布団が、じんわりとグレーに染み込んでいった。

「あれ? まどか、テレビの横の写真が変わった?」
 朝食を終え、ソファーに座ってテレビを見ていた卓也が目を細めながら立ち上がった。
「一緒に菜の花を見に行った時の写真よ」
 卓也の視線につられて私も目を細める。写真に写っている狸のように丸々と太った卓也。肩に手を添えられてにんまりしている私。 
「まどかの笑顔がとても素敵だ。……そういや、花屋のお仕事も順調そうでよかったよ」
「……別に」
 あれから卓也の頭から花が咲くことはなくなった。
「頭の中がウズウズしなくなったから、もう咲かないんじゃないかな」
 明日は晴れるんじゃないかなという軽い調子で言っている。
 彼が咲かせる花に魅せられ、フラワーアレンジメントで周りから賞賛されて有頂天になっていた時期もあった。早く開業したいと思った。でも、夢を叶えるのは花屋で知識や経験を積んでからでも遅くはない。何より、本当に自分の好きなことを見つけることができて毎日が楽しい。
 あの日、卓也が咲かせた最後の花を私は摘まなかった。正直、美しく咲き誇るバラに心を奪われたのは否定しないけど、それと同時にやっぱり卓也のことが好きなんだと思った。彼を失いたくない。心から一緒にいたいと思った。
 卓也はすっかり体重が戻り、元の貍になってしまったけど、どこかホッとしている。写真を手に取る卓也の横顔を見つめる。
 ――あの時、卓也の最後の花を摘まなくて本当に良かった。 
 最後に咲いたバラの花言葉を調べて心から思った。

 『五本のバラ』
「あなたに出合って、本当に良かった」

 ――私も卓也に出合って良かったよ。
 自分の気持ちに気づいた私は、まだ言えないでいる言葉を頭の中でそっと呟いた。

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