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ビートルズ赤青盤を斬る

 【スピリチュアル・ビートルズ】ポール・マッカートニー研究会が新装なったビートルズの公式ベスト盤―通称「赤盤・青盤」を2日間にわたって斬りまくった。
 2024年1月28日(日)に行われた2日目「ビートルズサウンド見聞録!温故知新 赤青を訪ねて新しきを知る 青盤全曲Day+赤盤ベストフォート」に参加した。両日とも会場は「Rock Cafe LOFT is your room」(東京都新宿区歌舞伎町1-28-5)だった。
 

 


 今回のイベントでは2023年11月に発売された赤青の拡張盤(シン・赤青)について語られた。奥さんに夜、白衣を着てもらっている「研究員」Nobu さん、コイコイさんと梅市さんはみな白衣姿ではなかった(!?)。
 まずは赤青盤が愛される理由として①歴史の流れを感じる気持ちよさがある点②各面ごとにそこにその時代とビートルズを感じることが出来る点③ジャケットの良さーーなどが挙げられた。
 さらに世代によっての受け止め方の違いも指摘された。
 1964-72年の世代は公式ベスト盤「Oldies」にオリジナルを足して聴いていった世代。73-78年はまさに赤青世代。79-86年世代は『Realities』から入ったのではないかとの分析がされた。
 コイコイさんは「僕は遅い世代なので『Realities』」だと言い、「少し前の人たちは赤盤青盤だと思っています」と付け加えた。

青盤の2枚目は江戸時代!?
 青盤のレコードの各面ごとにこの研究会ならではのコメントも。
 〇「サージェント・ペパーは江戸時代である。それが青1なのだ」
 〇「青2はまさにビートルズ史における天下泰平の江戸時代だ。崩壊の始まりの中でもホワイトアルバムのレコーディングは続いていく」
 〇「青3、この面は内容が薄い。高校3年生の11月に、たった4コマの授業で内容が濃ゆい幕末・明治維新を勉強しても大学受験の日本史には全く太刀打ちできないのと同じ理屈だ(!?)」
 〇「青4。ビートルズ史の最終ページがThe Long and Winding Roadというところに涙を禁じ得ない」。
 「解散の一因ともなったアブコ、クレインはアップルの死臭をかぎつけ、根こそぎ肉を食いつくすハゲタカだったのか、結果として、赤青盤が世に出るきっかけを作るなど、ビートルズの救世主となったのか」。

(左から)Nobuさん、梅市さん、コイコイさん

 トークの間に、東芝音楽工業製のオープンリールの音源を使用して大音響で青盤を全曲聴いていった。父ジョージ・マーティンの旧ミックスと今回発売された息子ジャイルズによるシンミックスとを聞き比べた。
 Nobuさん曰く「レコードでは味わえない音。テープの音は凄い」。
 そして、父マーティンのミックスだと左右のスピーカーからは違う楽器の音が聞こえますが、息子ジャイルズのミックスはほとんどの楽器の音が真ん中から聞こえるようにしていることが分かる。
 コイコイさんによると、ジャイルズは「Hey Jude」のプロモの音をデミックスして映像の口と合わせるようにしているとの話もあった。

 1970年4月のビートルズの事実上の解散から3年。ベスト盤が企画されたのには、『ビートルズ・アルファ・オメガ』という海賊盤ベストが72年暮れから出回っていたことが理由だ。
 海賊盤に対抗して公式ベスト盤を作りたいと、アップルを買収しようと狙っていたアブコのアラン・クレインは考えた。
 「区切りをつけるとかでなく、完全に金もうけでしたね」とNobuさん。
 アイデアを出したのはクレインだが、実行役はクレインの部下のアラン・スティクラーだった。スティクラーはストーンズのベスト盤や、『Hey Jude』の選曲を行って米キャピタルとの交渉に奔走した。
 また、クレイン派だったジョージの『Concert for Bangladesh』やジョンの『Sometime in New York City』にも携わった。

発売日を巡る攻防
 話を戻す。赤青盤の当初のアメリカでの発売日は73年3月28日だった。クレインのアップルとの契約は3月31日に切れることになっていた。
 クレインは当初のタイミングでリリースすれば自分のところにコミッションが入って来るはずだったが、クレイン嫌いのポールたちの逆襲が始まる。
 Nobuさんは「3月28日にイギリスでも発売される”予定”だったが、編集を開始したのは3月21日のこと。間に合うわけがない。アメリカだけで発売するつもりで準備万端だった。推進派は米アップルだった」と説明。
 結局、赤盤青盤は73年4月19日に米英同時発売となった。「クレインとの契約は更新されず、クレインには一銭も入らなかった」。

アラン・クレイン


 もう一つ長い間誤解されてきたのが赤青盤の選曲がジョージだったという話だ。実は選曲はスティクラーが行っていた。何も選曲してなかったジョージだが、アブコ派が一掃されたので、おそらくはニール・アスピナールに頼まれて、そういうことにしていたのだろうとの説が紹介された。
 コイコイさんは「何で「Old Brown Shoes」が入っているんだとかいう声があったけど、ジョージの選曲なので文句が出なかったのでしょう」。
 93年秋に赤青盤のCD化のイベントがロンドンのアビーロード・スタジオで開かれた時、ジョージはジョージ・マーティンとともに姿を見せた。
 ジョージは挨拶をしたものの、たった一言だけの挨拶だったというのが「Quiet Beatle」として多くを語っているのではないか。
 「ジョージが選曲について何も語らなかったというのがジョージの功績ではないでしょうか」とNobuさんはいう。

リニューアルで曲を追加
 オリジナルの赤青盤は73年4月に発売された。赤盤は英ヒットチャートで最高3位、米ビルボード誌でも同じ成績だった。青盤は英国で最高2位だったが米アルバム・チャートでは首位を獲得した。日本でも赤盤青盤ともに売り上げ好調で、チャート上位を記録した。
 ビートルズの公式な録音曲は213曲。当初は赤盤で26曲、青盤で28曲の計54曲が収録されていた。
 2023年にリニューアルされた際 赤盤に加わったのは「I saw her standing there」「 Twist and Shout」「This Boy」「Roll Over  Beethoven 」「You really got hold on me  」「You can't do that」「 Taxman」「Got to get you into my life  」「 I'm only sleeping 」「Here there and everywhere 」「 Tomorrow never knows 」。
 青盤に追加されたのは「Within You Without You」「Dear Prudence」「 Blackbird」「 Hey Bulldog」「Oh!Darling  」「 I want you」「I me mine」そして”最後の新曲”「 Now and Then」。
 赤青は単なるベスト盤ではない伝説のベスト盤となり、今日のシン・赤青につながっている。

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