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日本の司法は米国の味方?

 日本の司法は米国の味方だったのか?
 今から65年前の事件および裁判が米国の介入による最高裁判所長官との「談合」によって歪められたことが米公文書などで次々に明らかになった。
 当時、最高裁は「高度に政治的な問題」については憲法違反か否かについて判断をしないという理屈を生み出していた。
 いわゆる「統治行為論(とうちこういろん)」だ。そういう理屈によって、司法は憲法上の「違憲法令審査権」を自ら放棄してしまった。
 「統治行為論が日本の裁判を壊してきました。政治に追従してきた。最高裁が自分たちの権限を確立すれば日本の裁判が正しくなり、違憲についても正していけると思っています」と弁護士の武内更一(たけうちこういち)さんは2023年11月9日(木)に「スペースたんぽぽ」(東京都千代田区神田三番町3-1-1)で行われた講演会で語った。
 その統治行為論が編み出された背景には日米安保体制を維持したい米政府の意向とつつがなく応じたい日本側の思惑があった。


 まず、65年前にそもそも何があったのかを見ていこう。
 1957(昭和32)年、東京都北多摩郡砂川町(現立川市)の米軍立川基地の拡張計画に関連して日本政府が強行しようとした土地収用のための強制測量に抗議するデモ隊が基地の境界柵の前に押し寄せた。
 抗議をしている時に、柵が基地内に倒れて、数百人が数メートルほど基地内に入ってしまった。そのため、23名の労働者、学生が逮捕され、そのうちの7人が「正当なり理由がないのに、アメリカ合衆国軍隊が使用する区域であって、入ることを禁じた場所である立川飛行場内に立ち入った」ことによる刑事特措法違反として東京地裁に起訴され、審理された。
 いわゆる「砂川事件」である。

米軍駐留は憲法9条違反
 東京地裁は1959(昭和34)年3月、日米安保条約に基づく米軍の駐留を許しているのは憲法9条2項前段で禁止されている「戦力の保持」で、日本に駐留する米軍は「憲法上その存在を許すべからざるもの」だという判決を言い渡した。裁判長の名前をとって「伊達判決」といわれる。
 これは日米安保条約の合憲性が法廷で争われた初めてのケースだった。
 伊達判決の翌日早朝、駐日米大使ダグラス・マッカーサー2世は藤山一郎外相と協議し、日本政府は高等裁判所を飛び越して、最高裁に直接上告する「跳躍上告」をすることになり、翌4月、最高裁に跳躍上告した。
 日米安保条約の改定作業が進んでいる中での伊達判決に米政府は危機感を持った。この判決の当時、マッカーサー大使は上告審の裁判長を務めた田中耕太郎氏と密かに会って、同事件の審議の見通しや進め方について聞いていた。2008年から13年にかけて米公文書で明らかになった。


 最高裁は1959(昭和34)年12月、裁判官15人の大がかりな大法廷で米軍の駐留は憲法がその保持を禁じた戦力ではないとした。さらに、米軍駐留を定めた安保条約は「高度の政治性を有し、司法裁判所の審査になじまない」という「統治行為論」で安保条約の違憲判断を回避した。
 そのうえで伊達判決を破棄して、事件を東京地裁に差し戻した。
 1960(昭和35)年1月に安保条約は改定され、日米両政府によって調印された。審理が差し戻された砂川事件について、翌61(昭和36)年3月、東京地裁は被告人全員にそれぞれ罰金2000円とする有罪判決を言い渡した。その後、64(昭和39)年に有罪判決が確定した。
 
不公平だった裁判
 これは被告である米国側と裁判官しかも当時最高裁長官だった人物が通じていたことから「公平な裁判」だったのかという問題がある。憲法違反の手続きによる裁判だったともいえる。
 「これはいかさま判決でした。被害者の側とつるんで伊達判決を破棄した。最高裁自体、司法判断しないとした。違憲かどうか審査出来るのに自ら放棄してしまった。これ以上ないというくらいにあくどい判決で、許しておけないということで闘ってきました」と武内弁護士。


 「当時、裁判長が米大使と密かに会っていたことが分かっていたら大問題になっていたはずです。考えてみたら、全く公平ではなかった。日本政府は刑事裁判が出来ない立場に陥っていたでしょう」。
 2008年から、当時の裁判の「裏側での日米接触」が明らかになったことから、元被告らは2014年6月、東京地裁に砂川事件上告審は憲法37条に違反する「無効な裁判手続きのよる裁判」だったとして、裁判手続き自体を打ち切る「免訴」の判決をすべきだったという再審請求を行った。
 しかし、東京地裁は再審請求を棄却。東京高裁もこうした理由による免訴の要求についての規定は刑事訴訟法上ないとして、控訴を棄却した。そして最高裁は2018年7月、特別抗告を棄却したのだ。

国家賠償を求めての訴訟を提起
 これであきらめたわけでなかった被告人らは新たな闘いを挑む。密かに米側と通じていた当時の田中裁判長によって憲法が保障する「公平な裁判所」の公平な裁判を受ける権利を侵害されたと主張。2019年3月、国を被告として「国家賠償等請求訴訟」を提起した。
 その訴訟の原告弁護団長を務めているのが武内弁護士である。「かたちは賠償金を要求する民事訴訟ですが、おカネの問題ではありません」。
 原告の要求は次の3点だー①公平な裁判所の裁判を受ける権利を侵害されたことへの慰謝料各10万円②砂川裁判の結果徴収された罰金各2000円の返還③発行部数が多い読売新聞の全国版に日本国総理大臣の名前で謝罪広告を掲載することー。
 2019年6月に第1回口頭弁論が行われ、その後、裁判所から米国公文書館に対して「調査嘱託」を申し立てた。つまり砂川事件に関する裁判をめぐっての当時の田中裁判長とマッカーサー米大使のやりとりなどの「証拠」を探してもらうという求めであった。
 武内弁護士によると、証拠となる文書を出したら「本物かどうか分からない」などと「彼ら(被告の国)はとぼけたんですよ。こっちは疑っていたんです。そもそも(砂川事件の判決では)最高裁自体が下手人で、日本政府は共犯者なので、必ずもみ消そうとするに違いないと思っていました」。

来年1月15日に「歴史の審判」が下るか
 この裁判は2023年9月に第13回口頭弁論が開かれて第一審の審理が終了(結審)した。判決の言い渡しは2024年1月15日(月)の午後2時となった。場所は一番大きい103号法廷だ。
 しかし、口頭弁論が続いていた2023年6月に裁判長が大嶋洋二裁判官から小池あゆみ裁判官に交代していたことが判明した。
 武内弁護士は「年度途中の交代は珍しい。どういう意向が働いたのかはわかりません。でも尋問を聴いていない人が判断するように、実質的な被告である最高裁が差配することはありうる」と話した。
 だが、最初の予想以上にこれまで東京地裁は中身のある審議をしてくれたと思うと武内弁護士は述べ、「もし時効であると判断されてしまっていたら1,2回で終わる可能性もあると思っていました」と打ち明けた。
 この訴訟の意義として、武内弁護士は「砂川事件上告審判決の違憲性を明らかにして砂川事件元被告の権利と名誉を回復すること、駐日米軍は違憲として全員無罪とした伊達判決を復権させること、最高裁判決の統治行為論を見直すこと、違憲法令審査権を再構築すること、司法の独立を回復すること」だと述べている。
 「時効とかそういう結論では(日本)政府は勝ったとはいえないでしょう。私たちは歴史の審判で勝てばいいと思っています」。
 武内弁護士にいわせると、今の法曹界はだめだという。「統治行為論は学会の通説になってしまっている。どんどん体制化している日弁連(日本弁護士連合会)もそれに屈服してしまっている」。
 「統治行為論というのは当時、田中裁判長と米政府による談合で作られたもので、そのことを多くの人に知ってもらって共有してもらいたい」。
 
 
 
 

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