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ビートルズの旅(インド編)②

 藤本国彦と行くビートルズの旅(インド編)。2024年3月14日(木)。2日目にして旅のハイライトであるリシケシュに行く。
 今回のツアーにも参加している翻訳家・編集者・音楽ライターの朝日順子さんが訳したアジョイ・ボースの著書「インドとビートルズ(Across the Universe :The Beatles in India)」(青土社)から引用しよう。


 「インドにあるヒンドゥーの聖なる都市や町の中でも、リシケシュは特別なステータスを誇る。ヒマラヤ山脈の麓に抱かれ、何世紀にもわたり無数の信心深い者が引き寄せられてきた」
 「ケダーナスとバドリーナートの寺院への玄関口となっている。リシケシュを通って流れる、インドの最も聖なる川ガンガ(ガンジス川のこと)は、流れが速くて冷たく、壮大な山々の源泉に近い」。
 「古の時代から、国中の賢者や預言者が集まり瞑想してきたリシケシュには、寺院、アシュラム、ヨーガ・センターが聖者の谷と呼ばれる、緑多く絵のように美しい山間中に、キノコのように群集している」。

朝日順子さんと翻訳を担当した著書「インドとビートルズ」


 ビートルズとインドとの関りは映画「Help」(1965)の時に始まった。映画の一シーンでインド音楽が奏でられるシーンが登場するのだ。
 いや、関りはもっとあって、デビュー前のドラマー、ピート・ベストはイギリス領だったインドのマドラス生まれだった。
 話を65年に戻す。インド楽器シタールに興味を持ったジョージはそれを手に入れて練習を繰り返す。
 そして66年の晩春、シタール演奏者として第一人者だったラヴィ・シャンカールにジョージは共通の知人宅で引き合わせられたのである。
 シャンカールは言ったという「ポップス界で出会う普通のミュージシャンとは全く違うように見えました。飾り気がなく、楽しく親切で、何かを習いたいという強い希望を示していました」。
 ジョージは『Revolver』(66)に「Love you to」というインド音楽を収録する。続く『Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band』のB面一曲目を飾ったのはジョージの「Within You Without You」だった。
 マハリシはTMいわゆる超越瞑想の師として活動をしていた。英国にも来ていた。彼との出会いのきっかけを作ったのはジョージの妻パティだった。たまたま読んでいた新聞にマハリシの講演会の知らせがあったのだ。
 それをジョージに伝え、彼が他の3人に知らせた。それがきっかけでバンゴアでのマハリシの講義に参加した。偶然だが、そこにマネージャー、ブライアン・エプスタイン死去のニュースが飛び込んできた。

マハリシ

 ビートルズがリシケシュでの修行に誘われ、現地に赴いたのは68年2月のことだった。マハリシの僧院(アシュラム)を訪れた一行。
 その時のことをパティは次のように書いていた(「パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ」シンコーミュージックエンタテイメント)。
 「アシュラムは丘の天辺に建ち、町と川を見下ろしていた。空気は澄み、花の匂いでいっぱいだった」。
 「10エイカー近くある敷地には囲いがあり、門には南京錠がかかっていた。その敷地内にマハリシの小さな平屋住居、それから郵便局、食堂、講堂が一つずつある。そのほかに石造りの小屋がたくさんあって、みんなそこで寝起きしながら、平たい屋根の上で日光浴を楽しんだりした」。
 さて、パティが56年前に見たその光景はどうなっていたのか?
 前置きが長くなった。
 さあ、リシケシュへの旅に出よう。
(続く)


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