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ウクライナの歌姫カテリーナ

 この1年余り、ウクライナという国名を見なかったり聞かなかったりした日はなかったように思う。2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻してからずっと戦争が続いており、新聞、テレビ、ラジオなどのマスメディアは現地の悲惨な状況を刻々と伝えてきた。
 しかし、昨年の終わりごろから日本のメディアにウクライナの状況が出なくなったと日本在住の民族楽器バンドゥーラ奏者のカテリーナさんはいう。
 「よくいわれるのは、もう終わったんじゃないですか、止まっているんじゃないですか、戦争が落ち着いているんじゃないですかということ。でも、全然落ち着いてなんかいません」とカテリーナさんは力を込める。 
 ここ日本では「ウクライナの歌姫」として広く知られているカテリーナさんがそう語ったのは、2023年4月28日(金)に「ルネこだいら」(東京・小平市)で開催されたコンサートの舞台上でだ。
 午後7時、黒地に赤の模様があしらわれた民族衣装に身を包んだカテリーナさんがステージに登場した。よく見ると、右胸に小さなウクライナ国旗がある。何も話さずに、カテリーナさんはバンドゥーラを抱えると、歌い始めた。「幸せの鳥」という母国の歌だった。
 カテリーナさんはウクライナ語の歌詞を説明したー「草を切らないで下さい。木を切らないで下さい。お花を切らないで下さい。そのお花はもしかしたら誰かのお母さんかもしれないから・・・」。
 2曲目から4曲目までウクライナの母親の歌が続いた。まず「お母さん、教えて、」。次に「金色の花」、「母への道」と続いた。「ウクライナの音楽の中にはたくさんお母さんの話が出てきます」とカテリーナさんはいう。
 「誰にとっても一番大切なのはお母さんではないでしょうか。同じように大切なのは自分の国です。ウクライナ人にとって国はお母さんであり、一つの大きな家族です。もちろん誰でも自分のお母さんのことを悪く言われたり、悪くされたら、子どもたちはお母さんを守ろうとします。今ウクライナで起きていることはそういうことです」。
 続いて、第二の国歌といわれている作品「ウクライナ」をカテリーナさんは歌った。これでおよそ45分の第一部が終了した。
 第二部、カテリーナさんが衣装を替えて登場した。黄色のスカートに黒地に青と白の模様の上着といういでたち。考えてみると、これは全身でウクライナの国旗を表しているのではないかと思った。
 第二部は「平和な空」というオリジナル曲でスタート。カテリーナさんは「ウクライナで早く戦争が終わって平和になってほしい。世界中の子どもたちが平和に、安全に暮らしてほしいと願って作りました」という。
 次は、一青窈さんの「ハナミズキ」、そして森山良子さんが歌詞を書き、BEGINが曲をつけた「涙そうそう」と日本語の歌が続いた。
 ここでカテリーナさんが民族楽器バンドゥーラを解説するコーナーになった。カテリーナさんによると、今使っているバンドゥーラは弦が65本あって、重さは8キロ。「ウクライナにしかない楽器で、歴史は12世紀ごろにまで遡れます。コサックたちがウクライナ兵になって、バンドゥーラを弾いていました。ただ昔のバンドゥーラはもっと小さかったようです」。
 構造的にはピアノに近くて、ピアノを弾ける人は短時間でバンドゥーラを弾けるようになります、とカテリーナさんは語った。
 さらに日本語の歌が続く。坂本九さんが歌った「見上げてごらん空の星を」と岩井俊二さんが歌詞を手掛けたチャリティ・ソング「花は咲く」。
 そのあと、ジョン・レノンとヨーコ・オノの「イマジン」が英語で歌われた。カテリーナさんは言った。「ウクライナの人たちは精一杯生きようとしています。少しの時間でも無駄にしないで、少しの時間でも大切な人にありがとうと伝えて、少しの時間でも好きだと伝えて。恥ずかしいとか、また明日とか、また今度とか思っても、今しかないのです」。
 そして、カテリーナさんは「ずっと自由で、ずっと安全で、ずっと平和で、ずっと青い空がありますように」と言って、赤い鳥の「翼をください」を歌った。最後の曲は「故郷」。カテリーナさんはバンドゥーラを置いて、ハンドマイクで熱唱した。途中休憩を含めて全2時間のステージだった。
 カテリーナさんは1986年、ウクライナの、チェルノブイリ原発から2.5キロ離れた町・プリピャチで生まれた。生後30日の時に原発事故が起こって、一家は町から強制退去させられた。
 カテリーナさんの父親は原発の敷地内で作業員の服をクリーニングする仕事をしていた。後にがんで亡くなるが、検査をすると全身被ばくしていたという。カテリーナさんは6歳の時、原発事故で被災した子どもたちで構成される音楽団に入り、海外公演に何回も参加した。
 10歳の時、カテリーナさんは初めて日本に。「ひとめぼれ」してしまったと回想する。そして19歳の時に東京に音楽活動の拠点を移し、日本人男性と結婚。その後、生涯で二度目の原発事故を経験することになる。
 2011年、事故を起こした東京電力福島第一原発からの放射能物質拡散を怖れて、関西へ逃がれた。チェルノブイリ原発事故を経験したこともあって、その後、東日本大震災・原発事故の被災地で演奏会を開いてきた。

 カテリーナさんは、戦禍のウクライナの首都キーウに残っていた母マリヤさんを脱出させ、隣国ポーランド経由で、日本に避難させた。日本にマリヤさんが到着したのは2022年3月下旬のこと。だが、ウクライナにはまだ姉二人が残っており、カテリーナさんの心配は尽きない。
 カテリーナさんは日本に数人しかいないバンドゥーラ奏者のひとりである。バンドゥーラは昔、目の不自由な男性が演奏していたことと形状が似ていることなどから、日本の琵琶のことが連想されるとも。
 これまでにカテリーナさんは次のようなCDをリリースしているー〇『Banduriste』(NCPT-1001)2,000円、〇『BanduristeII』(NCPT-1002)2,500円、〇『Furusato(ふるさと)』(NCPT-1003)  2,500円、〇『My Music World』(NCPT-1004)  2,800円、〇『私のウクライナ』(NCPT-1005)。 
 カテリーナさんの活動は音楽にとどまらない。ボルシチなどのウクライナ料理を自分で作りながら、ウクライナワイン、文化、民族、音楽を紹介するイベントを開催している。
 


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