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ありがとう八代亜紀さん

 あいにくの雨模様。午後になって少し強くなってきたようだ。
 空を見ていて思い浮かぶのはこれーー
 「雨々ふれふれ/もっとふれ/私のいい人つれて来い」ーー
 昨年末に73歳で亡くなった八代亜紀さんの大ヒット曲「雨の慕情」だ。
  2024年3月26日(火)、「八代亜紀 お別れの会~ありがとう・・・これからも~」が東京都大田区の「片柳アリーナ」で行われた。
 亜紀さんのコンサートを開催することが検討されていた日本工学院専門学校の施設である片柳アリーナを会場とした。
 制作・運営には、音楽業界を志している同校の学生有志も参加した。


 お別れの会は二部制で行われ、第一部は五木ひろしさん、里見浩太朗さん、小林幸子さんなど芸能界の友人ら、第二部は一般のファンたちがメインで、筆者は午後5時からの第二部に参列した。
 会場には、コチョウラン、バラ、紫のカーネーションなどの花が供えられた祭壇、献花台および展示スペースが設けられた。煌びやかな衣装や亜紀さんの描いた絵画の数々が展示されていた。
 亜紀さんの遺志を継承し、会場でのグッズ販売の収益の一部は能登半島地震など被災地、動物保護団体、児童養護施設へ寄付するという。

赤いドレスの八代亜紀さんの姿が映し出されていた (ORICON NEWSより)


 定刻の5時。時計の針の音が聞こえてきた。正面スクリーンに2023年12月30日14時09分と出た。亜紀さんが亡くなった時刻だ。
 すると彼女の写真が映し出された。
 続いて2024年3月26日、今日この時間の時計が映った。そして「新たな時を刻む」との文字が浮かびあがった。
 会場に亜紀さんからのメッセージが流れた。「昨年暮れ、残念でしたが、長い歌手人生に終止符を打ちました。苦しい時も、悲しい時も、心の支えになったのはいつも皆さんからの声援でした」。
 AI(人工知能)と実際の声とがミックスされて使われた。
 祭壇がしつらえられたステージ上にはバンドがスタンドバイしており、演奏が始まった。まずは「舟唄」だ。


 「私の原点は故郷八代。この声は父親譲り」。
 子どもの頃の写真やその父や母とのショットが映し出された。オシャレなお父さんだ。サングラスをかけている。
 印象的なフレーズー「聞こえますか。聞こえますか。父さん譲りの私の声が」ーーが織り込まれた歌が流れた。
 ここから参列者による「お別れの献花」となった。
 次々にピンクのカーネーションが供えられて、みんな赤いドレス姿でこちらを見ている亜紀さんの遺影の前で手を合わせた。
 献花は続いているが、ジャズの話となった。ジュリー・ロンドンのハスキーな声の話。「自分で「キャバレー」を歌って、自分で「素敵な声だなって」思っちゃったんです。それで今があるんです」。
 ここで「Fly me to the moon」「Sing Sing Sing」が流れる。
 亜紀さんの声でバンドメンバーが紹介される。
 およそ30分後、献花が終了すると、「さあ、ヒット曲いきましょうか。リズム演歌いきましょうか」の掛け声。
 「女の夢」「おんな港町」「もう一度逢いたい」と続く。
 ここで大型トラックの前に立つ亜紀さんの写真が映し出された。
 そう、深夜放送というより早朝のラジオ番組「歌うヘッドライト」や「走れ歌謡曲」の中で「あきちゃん」といえばほかでもない八代「亜紀ちゃん」を指しているのを知った時には驚いた。
 この日、会場の外にも2台のデコレーション鮮やかな大型トラックが寄せられていた。きっと、駆けつけてきたのだろう。

 


 ここからスクリーンにシングル盤ジャケットが映し出されて行くー「なみだ恋」「女ごころ」「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「貴方につくします」「花水仙」「ふたりづれ」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「恋歌」「愛の終着駅」「愛の條件」「哀歌」「明日に生きる愛の歌」「居酒屋「昭和」」「想い出通り」。
 ここで昭和、平成、令和と歩んできた話となり、「私の50周年記念曲」だと説明があって「居酒屋「昭和」」が流れた。
 そして亜紀さんのデビューからの歩みが語られた。
 亜紀さんの出世作「なみだ恋」そして日本レコード大賞受賞作「雨の慕情」と歌が続けて流された。


 すると亜紀さんの声が流れて来た。「クラブ歌手からレコード歌手へ。今日まで駆け抜けた歌人生が走馬灯のようにめぐります」。
 「時は流れて・・・人生の炎が燃え尽きても魂は蘇ると信じます」。
 「みなさん、八代亜紀は幸せでした。幸せでしたよ」。そして「舟唄」が流れ、「ありがとうね、バイバイ」。
 ピースサインをする亜紀さんの写真が浮かび上がり、2時間弱のお別れの会は終了しようとするところで会場から「ありがとう」の掛け声。さらには「あきちゃーん」との大きな声が響きわたった。
 外に出ると大型トラックは2台ともいなくなっていた。

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