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特別展「鴎外の食」

 森鴎外(1862-1922)。「舞姫」、「ヰタ・セクスアリス」、「高瀬舟」といった名作で知られる文豪だ。陸軍軍医も務めた。
 その鴎外はどのような食生活を送っていたのかに焦点を当てた特別展「鴎外の食」が2023年7月9日(日)まで文京区立森鴎外記念館(東京都文京区千駄木1-23-4)で開催中のところを訪ねた。
 同展では、鴎外の日記や書簡、作品、家族の回想から、エピソードを集めている。鴎外は食への強いこだわりはなかったが、食を通して、鴎外の家族を大事にする姿、質素な暮らしを好む生活が分かって来るという。
 さらには、宴席に垣間見える幅広い人物交流、官史だからこそ出席した皇族との陪食(ばいしょく)、自身が訪れた料理店を舞台にした作品など、その人柄や嗜好、業績まで横断的に見渡すことが出来る。
 今の私たちにとって遠い存在のように思える鴎外も、食を通じて身近に感じられるかもしれません。「鴎外の食」を一緒に味わってみませんか。
 普段の食生活は和食をメインにしたものを好み、贅沢を嫌い、母・峰子や妻・志げが作る淡泊な味つけの野菜中心の食事で十分満足していたという。
 お酒はたしなむ程度。意外にも甘党で、饅頭のお茶漬けを好んでいたという。唯一のこだわりは衛生学の観点から生食を控えたことだった。文学者仲間を自宅に招いた際には、ドイツの料理本を鴎外が訳し、峰子らが調理するユニークな「レクラム料理」でもてなしていた。
 嫌いなものはサバの味噌煮と福神漬けだった。サバは下宿屋で、福神漬けは戦地で毎日食べさせられたからだという。

 鴎外の日記には外食の記録が数多く確認出来る。陸軍軍医や文学者として招かれた会食、宴席がほとんどで、活躍に比例してその頻度も増えていったようだ。具体的に紹介されているのは紅葉館、亀清楼、常盤屋、築地精養軒、上野精養軒、青木堂、資生堂ソーダファウンテンの7軒。
 紅葉館は会員制の料亭。戦災で焼失し、跡地には東京タワーが建っている。亀清楼は花街に囲まれた地域で中心的な料亭だった。常盤屋は関東大震災で焼失したが、東京・丸の内に移転した。
 築地精養軒は、築地に外国人居留地があったため、早くから本格的な西洋料理を提供する店として評判だった。関東大震災で焼失した。
 上野精養軒は鴎外と森家が最もよく利用した西洋料理店だ。明治9(1826)年の上野公園の開園にあわせて開店し、築地精養軒が焼失したため、大正12(1923)年以降は本店として営業している。
 青木堂は明治19(1886)年、東大赤門近くに開店。洋酒、洋菓子などを販売、2階が喫茶店だった。夏目漱石の「三四郎」に登場する。鴎外は「飲むチョコレート」や子ども達の「マカロン」を日常的に購入していた。
 資生堂ソーダファウンテンはもともとは調剤薬局だった。それが化粧品事業に手を広げ、やがてアメリカの薬局がアイスクリームやソーダ水を販売しているのに倣い、ソーダファウンテンを設置。現在の資生堂パーラーだ。
 鴎外の日記に皇族との陪食が初めて詳細に登場するのは明治33(1900)年3月のこと。案内状の内容から、当日の気候、席次、コースメニューを記している。味への言及はない。また、大正4(1915)年11月には、大正天皇の即位において大饗第1日と大饗夜宴に参列した。即位礼参列の手記では、卓上の器の配置まで丁寧に記録している。
 森鴎外記念館の開館時間は午前10時から午後6時まで(最終入館は午後5時半)。7月9日(日)は午前9時から開館。休館日は6月26日(月)と27日(火)。観覧料は一般600円、中学生以下無料。同館のホームページはhttps:/moriogai-kinenkan.jp。

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