見出し画像

ビートルズの旅(インド編)①

 2024年3月13日(水)、前日は風雨が強い荒れた天候だっただけにフライトを心配していたが、朝、空を見上げると晴れていた。
 「最初はやや揺れます」と警告されたものの、日本航空(JAL)039便は羽田空港を定刻から15分遅れて、正午過ぎに出発した。
 およそ9時間かけて、インドのインディラ・ガンディー国際空港(デリー)に到着。藤本国彦といくビートルズ・ツアー(インド編)である。
 藤本さんはビートルズ研究家で、このところ毎年リバプール・ロンドンへのビートルズ・ツアーを率いている。その初のインド版というわけだ。
 今回のツアー参加者は30人弱で女性が約3分の2。

デリー郊外のCountry Inn & Suitesのロビーにて

 私(筆者)は1985年にビートルズ・シネ・クラブ(現ザ・ビートルズ・クラブ)のリバプール・ロンドン・ツアーに参加したことがある、。
 私にとって、それが初めての海外旅行だった。
 それ以来、観光や仕事などいろいろだったが東南アジアを中心に多くの国を訪れて来た。昨年10月には26年ぶりの海外旅行をした。ジョージア(グルジア)へ歌手・加藤登紀子さんらと訪れた。
 短いインターバルでインド旅行に参加することを決めたのは、こういう機会でもなければインド、とりわけビートルズが修行した山間のリシケシュなどに行くことは一生叶わないと思ったからだ。
 デリー到着後、荷物、税関などをスムーズに通過し、ホテルへのバスに乗り込んだ。ちなみに空港内は撮影禁止。
 今やG20などグローバル・サウスの盟主として経済発展とともに政治的発言力を増すインドだが、いまだにカシミール問題などを抱え、北に位置する中国やロシアと上手く距離をとりつつ欧米と渡り合っている。
 国内には南北問題を抱え、貧富の差も激しい。カースト制度も根深い問題。そんなことが背景にあってか、撮影禁止措置が取られているようだ。
 空港を出たものの、渋滞などでホテルまで1時間強かかる。今や大手企業はデリー郊外にオフィスを構えており、夕方は帰宅ラッシュだという。

バスから見る渋滞の光景
Country Inn & Suites


 ホテルはCountry Inn & Suites。
 到着後のホテルのロビーで開いた小さなミーティングで、藤本さんは「リバプールやロンドンだとゆかりの地があちこちあるけど、インドでは明日のリシケシュが一番・・・私もインドは初めてで、ツアー参加者も初めてという方が多い。体調に留意して楽しい旅にしましょう」と挨拶した。
 続けて藤本さんとともに一行を率いる井上ジェイさんからも一言あった。井上さんは1977年にインドを初めて訪れて以来、同国を気に入って「しばらく通った」が、今回は十数年ぶりのインドだという。
 デリーはいうまでもなくインドの首都。人口2000万。
 古代から続いている王朝が攻防を繰り返してきた場所に約500年前に建設されたのがいわゆるオールドデリー。
 ニューデリーは20世紀以降に英国に作られた地区で、首都機能が集中している。ここを英国人が作るまではカルカッタが首都だった。
 そして、1966年7月に日本やマニラでの公演を終えて、英国に帰国する途中、ビートルズが初めて訪れたインドの地がデリーだった。

明日は旅のハイライト、リシケシュへ
 到着して翌日(14日)がいきなりのハイライト、リシケシュ行き。
 ガンジス川の流れの早い山間の地の高台にマハリシの僧院(アシュラム)があり、ビートルズたちが1968年2月に滞在し修行などをした場所だ。
 この頃、ビートルズにとっては転機の時期を迎えていた。デビュー前からビートルズを支えた「兄貴分」のマネージャー、ブライアン・エプスタインが急逝したことで、行く末に不安を覚えていた。
 また、富と名声を得た4人は、ツアーを止めてスタジオ・ワークに専念する一方、人生の意味について考えを巡らせるようになっていたのだ。
 まず、ジョージ、パティ、パティの妹ジェニー、ジョン、シンシア、マジック・アレックスが第一陣。続く第二陣としてポール、ジェーン、リンゴ、モ―リーンが加わった。その他にもイギリスのボブ・ディランと称されたドノヴァンやビーチボーイズのマイク・ラブなども寝食を共にした。
 ドノヴァンはジェニーに恋をして、その気持ちを「Jennifer Jenipper」という歌にした。「Yellow Mellow」「Sunshine Superman」というヒット曲もあるグラスゴー出身のフォーク・シンガーだ。

ドノヴァン


 また、リシケシュはビートルズの68年のアルバム『ホワイトアルバム』収録曲の多くが書かれた場所としても知られている。
 マスコミなど外界から遮断され、数年ぶりに心からリラックス出来る環境に身をおいた彼らはたっぷりある時間を使って創作に励んだからだ。
 

翻訳家・朝日順子さんが差し入れたベイクドビーンズの缶詰ーリンゴはインドの食べ物が合わず英国からこうした缶詰を大量に持ち込んで食べていた


 明日、そのリシケシュへと赴く。

 (一番上の写真:(左)藤本国彦氏、(中央)井上ジェイ氏)
 
 (続く)

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?