好きだった回文がエロ漫画のタイトルに使われていたことを知ったときの顔

 そんな顔をしたことがあるのは、世界広しと言えども、俺を含めてせいぜい四、五人くらいのものではないか。リアルに苦虫を噛み潰したことのある人間の方が幾分か多いだろう。

 だからこんなことを書いたところで、誰にも共感してもらえないのだろうけれど、ともかく今俺は、好きだった回文がエロ漫画のタイトルに使われていたことを知ったときの顔をしている。そういう想像をしながらこの文章を読んでいただけると幸いである。

 回文というものは、上から読んでも下から読んでも同じに読める文字列のことで、要するに「しんぶんし」とか「私負けましたわ」とか「夜ウーパールーパー売るよ」とかの類のことである。

 世の中にはこうした回文を自ら制作することを無上の喜びとする些か風変わりな趣味人が存在していて、彼らは来る日も来る日も言葉を回して悦に入ったり絶望したりしている。

 俺もかつてはそうした酔狂人として回文作りに勤しんでいた。

「いとをかし トナカイかなと 鹿を問い」
(いとをかしとなかいかなとしかをとい)

「良い名も腐し、死ぬ気で怒り買う放火。理解出来ぬし、したくもないよ」
(よいなもくたししぬきでいかりかうほうかりかいできぬししたくもないよ)

などはなかなかの快作ではないかと自負している。

 回文には様々なものが存在していて、長ければ長いほど優れた回文だと判断する人もいようし、互いに関連する語が多く盛り込まれている回文こそ至善だとする者もいれば、勢いがあって笑える回文が最高だと考える人もいよう。所詮は上から読んでも下から読んでも同じに読める、というだけの言葉遊びなのだから、そこに介在するのは好悪の感情だけでよく、ことさらに客観的な優劣の基準を設ける必要はあるまい。

 その上で俺の好みの回文の特徴を示せば、用言の活用や付属語の用法が滑らかであること、というようになる。俺は日本語として自然な回文が好きだ。 

 かかる観点から、俺は知人の作ったとある回文が本気で好きであった。その回文がエロ漫画のタイトルとして盗用されていたのである。否、盗用と決めつけるのは早計かもしれない。たかだか17文字の回文である。件の漫画の作者がたまたま同じ回文を思いついた可能性は否定できない。あるいは、知人が実はエロ漫画家であった可能性だってゼロとは言えまい。そもそも俺も知人も回文そのものに著作権など存在しないと考える者であるから、仮に盗用であったとて、そのことを糾弾したいわけでもないのだ。

 ただ残念なことは、その回文を検索窓に打ち込むと、それなりに上位の結果として件のエロ漫画にヒットしてしまうという事実である。その回文に興味を惹かれた善良な市民が、たわわな乳房をむき出しにしてこちらに満面の笑みを投げかける少女の画像に遭遇してしまう可能性を思うと、俺はもうその回文が好きだと表明することが出来なくなってしまった。

 うっかり好きな回文を呟くと、エロ漫画を紹介してしまう。

 俺たちはそういう修羅の時代を生きている。 

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