身体が疲れるということ

 なんだか唐突にVR端末がほしくなってしまった。そして、どうせなら最新のものをと息巻いて、最新デバイスをわざわざ予約注文して買うに至った。

 自分にはほとんど関係のない5月の連休に対する卑屈な精神が反動したのかもしれないし、あるいは新元号の気運に流されてしまった部分もあるのかもしれない。もしくは遅れてきたミーハー性とでも言うべきか。

 なぜいまさらVR端末をことさらに欲しがるのか、我ながら甚だ疑問と言わざるを得ないが、おそらくVR端末である必然性はなかったに違いない。まず何か浪費したいという欲求があって、その欲求が種々の外的条件に合致するものとして白羽の矢を立てたのがVR端末であったに過ぎない。もし俺にもういくばくかの経済的余裕と部屋の広さがあれば、今頃aiboかPepperが俺の家族となっていたかもしれない。

 ともかく最新のVR端末を買ってしまったので、ここのところ毎晩俺はライトセーバーを振り回している。(実際のところは卑猥な動画をVRで鑑賞すればより卑猥な気分になるのかどうか検証したいという卑猥な目的があったのだがいかんせん最新のデバイスだけに卑猥な動画を観るための卑猥なアプリがまだ対応しておらず誠に遺憾と言うよりなかったのだが如何ともし難いのでゲームをすることにしたのである。)

 齢三十を越えてしばらくが経つものの、心はいつも少年のままであるから、仮想現実とはいえ、棒状のものをブンブン振り回すという行為は至極楽しい。チラシをくるくると巻いてオリジナルの剣を作って遊んだ記憶はかつて男の子であった者なら誰しも有しているであろうが、あの頃の気分を追体験しているようである。うっかりすれば、うりゃっだのソイッだのと奇声を発してしまいそうな没入感がある。(あるいはもう発してしまっているかもしれない)

 しかしながら、齢三十を越えてしばらく経過した肉体には、棒状のものをブンブン振り回すという行為は至極重労働であるらしく、全身のあちこちが筋肉痛である。部分的にではない。全身が、である。あちこちが、である。未だ齢三十を越えてしばらくでしかないというのに、まこと情けないというか切ないというか、なんともいえない気持に包まれてしまう。

 その一方で、仮想現実で遊ぶと身体が疲労するというのはなかなかに興味深く、仮想現実の中に没入しているのが結局のところ、俺の理性でしかなく、俺の身体は常に現実の世界に存在しているということを強固に示してくれている。非現実への憧憬が俺をゲームの世界に誘っているというのに、ゲームをすればするほど俺の身体の現実性が浮かび上がってしまう。なんともリアルなシニカルさがそこにはある。

 むしろ普段の日常生活にこそ違和感を覚え始める。ちょっとVRで棒状のものをブンブン振り回すだけで全身が鉛のようになる俺の身体が、一切の苦痛を覚えることなく生活できてしまう現代の都市のほうが、よほど幻想じみているのではないか。

 疲労を感じなくても良くなった現実の生活に、わざわざVRをもちこんで現実の身体を疲れさせている。実に狂気じみた行動だと俺の精神は呆れているのに、今日も俺は棒状のものをブンブン振り回している。

 大人になった精神とは裏腹に、俺の身体は童心を求めている。
 それが現実なのか幻想なのかはよくわからないけれど。

 

 


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