見出し画像

大学での出会い、そしてその先へ

岩畑貴弘
国際日本学部・英語学、言語学(情報のなわばり理論、終助詞)

 私が大学に入学したのは1986年、皆さんほとんどの方が生まれるずっと前、もう35年も前の話です。皆さんは、もしかすると1986年なんて想像つかないかもしれません。「戦後すぐでまだ日本が貧しかったころ?」なんていう人もいるかも。でも当時は戦後41年も経っていて戦後ではないし、貧しい時代では全くありませんでした。それどころかちょうどバブルの始まりのころ、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というエズラ・ヴォーゲル氏の著書が有名になった1979年からもう何年も経っていて日本経済は絶好調。日常生活を見渡しても、なんでもあった時代です。物価も今と同じ、コンビニのおにぎりは120~150円ぐらい、お弁当は400円~500円ぐらいでした。大学卒業記念に海外旅行というのもよくありました。今と違うところを見出すのが難しいのですが、携帯電話もスマートフォンもインターネットもなかったことぐらいではないでしょうか。もちろんネットがないって大きいですけどね。

 大学では親元を離れ、アパートで一人暮らし、自由な生活で楽しい毎日でした。でも遊んでいたばかりではありません。単位は少々落としましたけれど、外国語学部の学生としてそれなりに勉強はしていました。

 そんな大学2年の秋、私の人生を方向付ける出来事が起こりました。それは、時間が空いていたからという理由だけで履修した「言語学」の授業。担当は神尾昭雄先生という方でした。あとで知ったのですが、日本の言語学者としてとても高名な方でした。でも、全く偉そうにすることなく、授業内容も分かりやすくとても面白い内容でした。しかし何より印象的だったのは、先生がとても楽しそうに授業をされていたことでした。言語学を熱心に説明されるときはもちろん、学生の質問を受けるとき、授業後に数人の学生と何気ない会話を交わしているとき、いつも楽しそうにされていました。

 そんな先生の姿を、最初は多くの学生の肩越しに、そのうちその肩の数が少なくなり、ついには目の前で見るようになりました。授業後に質問に行くことも増えました。しばらくして、「自分もこんなふうに仕事がしたい」と考えるようになりました。折しも大学2年生。ちょうど将来のことを考えていました。でも、大学の先生ってなれるのか、もしかして世襲じゃないのか、などと今考えると馬鹿みたいですが真剣に悩んでいました。当時はネットがないのでそんな情報は手に入りません。そこで意を決して先生に直接聞いてみることにしました。それが一番手っ取り早い!間違いない!

 ある日の夕方。秋の夕日はつるべ落とし、もう外は薄暗い時間でした。当時はまだオフィスアワーという制度がなかったので、先生が研究室にいらっしゃいそうなときを見計らって、、、コンコン。「はい。」と研究室のドアが開き、先生がいらっしゃいました。

「、、、えーと、岩畑君、、、だっけ?」

「はい。(あ、覚えてくれたんだ。)」

「何、何か質問ですか?まあ、入って。」

「ありがとうございます。」

ソファに腰かけて質問しました。「えっと、おとといの授業で先生が説明された、、、」と、本当は全然わかっていたのですが、まずはカモフラージュの質問から(迷惑な学生でした)。カモフラージュにもかかわらず神尾先生は一生懸命答えてくださいました。先生の説明が終わって僅かな間が空いたとき、いよいよ核心の質問へ。

「あの、、、実は、僕、大学の先生になりたいと最近考えているんですが、なれるのでしょうか?」

神尾先生、授業と一切なんの関係もない私からの不意の質問に驚かれましたが(普通驚きますよね)すぐに満面の笑みをたたえて

「なれるよ、岩畑君ならなれるよ」

と力強く教えてくださいました。「ありがとうございます!がんばります!」と深々と頭を下げて研究室を後にしました。

 その後、私は一心不乱に(いや、時々はさぼったり遊んだりもしましたが)言語学や英語を勉強したことは言うまでもありません。その後は、そのままその大学の大学院で2年間、先生に指導いただきました。そしてその後はアメリカの大学院で言語学を学ぶという形で、高校のときからの夢だった海外留学を果たしました。その際にも先生には大変お世話になりました。ときが流れ、あのとき、神尾先生を見てこうなりたいと思った大学の教員になりました。学生からどう見えているかわかりませんが、自分では楽しみながら授業をやっています。あのとき、偶然先生の授業を履修したこと、先生が本当に楽しそうに授業をされていたこと、意を決して先生に奇妙な質問をしたこと、その後やはり意を決して海外留学に行ったこと(結局5年半も滞在していました)。これらすべてのことが今に繋がりました。

 後々振り返って、大学時代は良かったな、と思える出来事が大学時代いくつも訪れることでしょう。でもそれは後にならないとわかりません。ぜひいろんなことに躊躇わずにチャレンジしてみてください。


image 1 - コピー
留学1年目に滞在していた寮。3階に住んでいました
留学2年目から最後まで住んでいたアパート
留学していた町の中心部。歴史ある街でした

※画像は数年前再訪した時に自分で撮ったものです

岩畑貴弘
国際日本学部・英語学、言語学(情報のなわばり理論、終助詞)

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。