「マルコスの頃は貧しかったけど、とにかく飯は食えた。」

「マルコスの頃は貧しかったけど、とにかく飯は食えた。アキノになって食い詰めるようになった。いなかじゃのんびり暮らせていたのにマニラに来て靴磨きをして苦労したよ」
もう20年以上前にエルミタ〜ベイウォーク近辺を縄張りにしてるポン引きと飯食いながらした話の中で彼が言ったこと。
レイテ出身の彼はイメルダと同郷ということもあってマルコスにはそれなりのシンパシーがあることも影響してるだろうけど、これは、マルコスが経済を統制することで、彼に刃向かわなければギリギリのところながら生きていける仕組みがあったってことかなと思う。

アキノはフィリピン民主主義の母というふれこみで大統領になったけど、機会均等など民主主義のベネフィットをもたらした反面、自己責任というリスクも同時に民衆に与えたように思う。
アキノのように食うには全く困らないくらい富んだエリートはもちろん、そこまでいかなくとも、社会はどうあるべきか、ということを考えられる、いわゆる「衣食足りた」人たちはそれなりに資本主義の厳しさのようなものも学んでいたと思うし、アキノ体制になったとき、割とスムーズに自己責任社会でもうまく生きていけたのではないか。

反面、小作農時代から〜マルコスの愚民化政策で飼い慣らされてしまった貧困層は、資本主義社会を一人で生き抜いていく術を中間層よりも身につけていなかったのではないか。

「さあ、今日から民主主義です、誰にも強制されないのですから、みなさん思い思いの職について頑張ってください。」

って言われても、そもそも生き馬の目を抜く資本主義社会で一からやっていける(組織にうまく就職することも含め)だけのものを持っていない貧困層はその波に乗れず、ずっと貧困なままだったような気がする。
勉強しなかったからだ、という自己責任論も出てくるかも、だけど、そもそも職を得るだけの学力を身につける元手も、日銭を稼がねば生きていけなかったため学業に専念できる時間的な余裕も、なかっただろう。

結局民主化の恩恵を受けたのは革命時点で来るべき民主主義体制、資本主義体制にそれなりの準備ができていた層が大半だったのかも。

今もロブレドを支持するのは、ネットをみている限り新興エリート、新興中間層といった、「何が正しいのか」を考える余裕のある層が比較的多いように見受けられる。
これに対し、前回の大統領選挙もそうだったけど、言っちゃ悪いが、エスタブリッシュメントな職につける他国ではなく、タレントのようなグレーな資格で日本に出稼ぎに来なければならないような層は大半がロドリゴ支持だったのも頷けるような。。。

ラジオベリタスなどを通じて反マルコス運動を主導した知識層は彼ら自身に情熱があり、貧困層も巻き込んで大きなうねりを作る説得力があったと思うけど、アキノ政権樹立後に、お金だけでなく自由な社会の中で独り立ちして生きる術も持ち得なかった貧しい人々に対し、自分たちと同じ方向に向かうことができるようケアする情熱をどれくらい注いでいたのか?もしかしてその部分が足りていなかった(自分が民主主義を謳歌することにかまけていた)ことが、今のBBM躍進の遠因になっているのでは。

今回、ロブレドが苦戦しているのも、アキノ寄りの体制になってもたいして自分の暮らしは良くならないんじゃないかという感覚がそうさせているのかも。

それは、脱植民地支配を主導した当時のエリートリベラルもそうだったのかも知れないし、だとすれば、その失敗(限界)から現代の知識層が、民主主義を主導するにおいて不可欠な何かを学び取れなかったこということのようにも感じる。

機会は均等にぶら下がっているとしても、それを掴むジャンプ力に大きな差があるようではそれは機会均等とは言えないような。。。

エドサ革命からの30年あまりを振り返って、やっぱり民主主義ってダメだな、どうなんそれ?と思ってしまうほど雑な人はフィリピンにはそれほど多くないと思うけど、やっぱり食えないと生きられないという本音はあると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?