見出し画像

ちっちゃいくもを飼っている。

 10月のあたまごろから小さな黒い蜘蛛を一匹、部屋で見かけるようになった。

 基本的に部屋中を縦横無尽に徘徊して、たまにぴょんぴょん跳ねている。

 わたしはこいつを可愛いとおもっている。

 昔は蜘蛛に対して本当におぞましいトラウマ的なものがあって子供の頃は見るだけで大騒ぎしていたし、虫自体あまりよく思っていなかった。

 でも見るたびに死にそうになるのは疲れるので、トラウマ克服のため徹底的に蜘蛛の生態について調べようとした。

 結果的に蜘蛛は益虫で人間に直接害は無くて、見た目が気持ち悪いだけという結論に至った。まず害虫を狩ってくれるのがいいよね、最高かっこいい。
 
 蜘蛛を見ると追い払ってくれた祖父がいるんだけど、
 「蜘蛛から見たら人間の方が気持ち悪いでしょう。」
といつも言っていた。それがきっかけで蜘蛛のことを知ろうと心がけることができたのだと思う。

 そんな言葉をアイデンティティに刷り込まれるくらい聴いて育ったので、今も基本的に虫を見たらまずはそう思ってから対処に移る。

 
 まず焦点を当てたいのは、どうして今蜘蛛を可愛いと思えるようになっているかだ。
 今でもわたしが見てきたおぞましい光景のひとつとして、蜘蛛にまつわるある光景は忘れられないのだけど、今目の前にいるちび蜘蛛はかわいい。何故か。

 「かわいい」というのは、何にだって使いがち。ネイルからタピオカのストローに至るまで。
 不思議だ。
 YouTubeに落ちてたラジオである女の子が「かわいくなりたいです。どうしたらいいですか」ってお手紙コーナーで聞いてたんだけど、あ、BUMP OF CHICKENのラジオなんだけど。

 藤くんが「可愛くなろうと努力してる姿がもう可愛いですよ」みたいなこと言っててかっこよすぎて、これは藤くん以外では許されないお言葉であると同時に答えになってなくない?!って思った記憶がある。
 男性から言ったら可愛いってそういうことなのかもしれない...?健気さが大事...?砂糖とスパイスと素敵な火薬...?

 その可愛さって非力さや無害さが無いと成り立たなくないか?とは思うけど確かに、毒爪を持ってる猫科最強生物みたいなのでてきたら可愛さより他のイメージの方が優先されていくような...
 語源的にも可愛いの古語って、なんかちょっと対等じゃない感じがあるような気がするし。

 今回の蜘蛛について照らして考えれば、無力で無害なこと、っていうのはあながち間違ってないのかもしれない。

 この小さな蜘蛛はわたしを死に至らしめることができない。つまり限りなく無害だ。なんなら生殺与奪を決定する力まである。権利はない。

 大抵の無害なものも有害なものも人間に比べたら可愛いものなのかもしれない。人間は有害だし有益だから難しい。
 
 

 それでも爪の大きさ以上のサイズの蜘蛛をみると死にそうになる。この前帰省したとき、床に落ちていた蜘蛛のおもちゃのために一時間以上うろうろしてどうやって殺そうと真剣に悩んでしまったことがある。目が悪いから偽物とわかるまで本物として扱っていたんだ。

 それくらい蜘蛛に怯えているのに小さい蜘蛛だから可愛いなんて身勝手かなと思いつつ、こいつを観察してる。

 名前をつけてあげようかな。
 

 

 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?