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久世物語①【創業期】創業までの道のり

2024年、当社は創業90周年を迎えます。
 
90周年ということで
「9(キュウ、ク)」と「0(ゼロ、レイ)」の語呂合わせで『クゼ』
そう、まさに久世の年なのです。
 
創業者や諸先輩の苦労や血の滲むような努力のおかげで今の私たち久世があります。
どのような思いが受け継がれてきたのか、私たちがどんな会社なのか。
「久世物語」をお届けいたします。


【第1回】創業までの道のり

創業者・久世福松の幼少時代

 創業者・久世福松が6人兄弟の四男としてこの世に生を受けたのは1916年(大正5)年のこと。父である久世忠八は千葉県の銚子で小さな呉服店を営んでいた。都市部は第一次世界大戦の軍需による景気に沸き、地方でも洋服が普及しはじめた時代だった。忠八は、呉服店に飽き足らず織物製造業に乗りだしたものの倒産し、借金以外のすべてを失い、夜逃げ同然で池袋の地に移り住んだ。当時、福松は3歳。一家が路頭に迷うとはまさにこのことで、貧乏生活を余儀なくされた。

 食べ盛りの男の子を6人も抱えた一家の生活は、楽になるものではなく、米びつが空になり明日のお米に事欠くことも。返す目処もない金策に走り回らなければならないことも一度や二度ではなく、貧しい家計を切り詰め、朝早くから夜遅くまで働き詰めに苦労する母の姿を見て育った福松少年は「いつか母を楽にしてあげたい」と固く心に誓った。

久世商店の創業

 福松は新聞配達をしながら苦学して府立第9中学(現・都立北園高校)を卒業し、母校の理科の助手の職を得た。勉強好きで、何事もこつこつと地道に取り組む福松に、長兄・亀雄は事業を興すことを勧める。そして、1934(昭和9)年、福松は若くして久世商店を創業し、ウスターソースの製造直売をはじめた。

創業当時の久世福松

 創業当初は、池袋を拠点に銀座、渋谷、新宿、浅草の食堂やミルクホールを回り、製造したウスターソースやトマトケチャップを販売し、一方で仕入れ商品の缶詰、コーヒー、ジャム、醤油、酢、香辛料も扱っていた。当時はまだレストランと呼べるところは少なく、個人経営の小さな洋食屋に、缶詰ひとつトマトケチャップ1瓶からでも配達した。やがて得意先のコックから「こんな食材はないか」と相談を受けるようになると、配達後に仕入先を訪ねたり、探してお客様に届けた。なじみの商社に寄っては、外側が凹んでしまった凹缶やサビ缶のフルーツ缶詰などを安く仕入れて提供した。お客様のどんな声にも応える「頼れる食のパートナー」を掲げる久世の商売の原点がここにある。

(次回につづく)
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