雑記(Pさん)

 先程、生存系読書会の、ガルシア=マルケス『百年の孤独』の読書会が終わった。
 これを始めに読み始めたのがかなり前で、十年くらいは前になる。何度も断続的に読んでいて、最終的には話の四分の三くらいにまで達したのに、それから何年も空けてしまって記憶から流れが消えてしまった。
 今回の読書会は、その「『百年の孤独』は、一体どうなってしまうのか?」という個人的で奥深くにあった疑問を解消する良いきっかけになった。
 マコンド村が、最終的にどうなってしまうのかは、確かにさすがに1960年代の小説であるから知ってしまってはいたけれども、それでもそこに至るまでの流れみたいなものを確認出来たのは良かった。
 正確には、始めから最後の手前のページまでが全く同じ調子で進んで、唐突に終わる。思ったよりも壮大な流れとか、「ああ、こうでなくては終わらない」という感じはなかった。
 始めから終わりまで、エピソードのクロスオーバーが続く。何かが始まりそうな気配と共に何かが終わる。誰かが死んでも、いつの間にか誰かが成長しており、その後を継いでいる。その気になれば、一生続く物語も書けたのではないかと疑われる。

 イメージのジリ貧みたいなものを避けるべく、新しい刺激をもたらす何物かを探していて「Youtube Music」に突き当たった。
 Youtube に上がっているミュージックビデオとか単に静止画を使用して音楽だけ上がっているようなものを、ミュージックプレイヤー風に流すアプリである。
 過去に iTunes みたいなものがあり、Spotify がブレイクして、そんな流れに乗るようにして Youtube Music があるのだろう。
 詳しいことは知らない。前に Spotify を一瞬だけ使っていたけど、再生順が自由に行かなかったので使わなくなった。
 曲数は多いしレコメンドみたいのがあって新しい自分の傾向に合う音楽を探すのに便利そうではあるが、気になるのは、再生する曲が全部 Youtube にアップロードされたものであること。
 ひとつにはそれでは音質がバラバラなんじゃないかということ。それにしてもこういうサービス全体が、権利関係とかどうなっているのか想像出来ない。テクノの珍盤を集めてひたすら Youtube にアップしていた「BATalsdr」というアカウントがあった。動画は必ずオレンジの背景に白文字でミュージシャンと曲名とが表示されているだけという画像が使われていた。必ず、そのミュージシャンの現在では入手が相当困難な音盤のみを上げていた。今は閉鎖したらしいけれども、その人の動画を再アップロードした動画が、堂々と公式扱いされてリストに載っている。
 BATalsdr さんがアップロードされなければデジタル化していないであろう音楽を取り上げて配信して金を取り、これは一体どこへ流れていくんだろうか。
 そんなことを気にする立場にはないが。

 中原昌也の『パートタイム・デスライフ』を、半分以上読み進めた。この、想像力のバカバカしさというか短絡思考というか、言葉の上滑りというか何というか、ともかくこういう感触をもたらす作家は他に多くいない。それから、この小説、単行本にまとめられているとして一つの短篇から外には一切何も残さない、なんというか、無指向的というか、「理想」とか「朝のランニング」とか「花壇のお花」とかそういったものをメチャメチャに皮肉っていくスタイル。しかし、小説は「花壇のお花」にどんどんめり込んでいくかのようで、「花壇のお花」がなければ成立しないかのような、変な切迫みたいなものもある。これも Youtube の動画から、シンセサイザーを駆使した音楽活動の名義である「Hair Stylistics」としてのライブ演奏を見て、これは小説とまた別様の素晴らしいノイズミュージックだと感心した。

 早速「Youtube Music」をだらだら流していて、Aphex Twin の「Cheetah EP」を聞いている。前半、アンビエント期に戻ったかのようなのんびりした展開。Syro は激しかったけれども、やっぱり結婚して丸くなったんだろうか。

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