重力(Pさん)

 久しぶりに小説を書いたので、上げてみます。

 半ば溶けかかったフローリングの床に、肩まで埋まってしまった。組んだ木の、あるいはそのイミテーションのすき間、溝の間に、さまざまなチリが挟まっているのが見て取れた。スナック菓子の破片、誰かの毛、その他もう識別の出来ない綿埃……だが、窮極の所では、それら全てが単一のスナック菓子の破片であるようにも見えなくはなかった。粘度の高いフローリングの表面は私の埋まっている点を中心にして、意外な範囲にまですりばち状に巻き込まれていた。遠くを見ると、同じようにすりばち状に凹んだ穴が見えるのだが、その穴はもう閉じてしまっていて、何が沈んだのかもう見ることはできない。その光景がさらなる絶望を誘った。この見た目、確か、自分の記憶が確かであるなら、天体が周りに放っている重力の強さを、平面に置き換えた図として、似たものを見たことがあった。もっとも、その記憶力というのも、あまり当てにはならない。先日も、近所のコンビニに寄った際に、偶然にも職場の同僚とはち合わせて、とっさに声を掛けようと思ったのだが、よく見慣れているはずのその顔の持ち主の名前がどうしても出てこない。相手から見えにくい絶妙な角度と距離を保ち、半端な手の挙げ方と半開きの口をそのまま放置して、どうしても出てこないので声を掛けるのを諦めた。コピー機の横にある観葉植物に話し掛けている格好になった。今思えば、その時とっさに同僚だと思ったものの、よく行く店の店員、例えば床屋とか医者とか、そういう人だったかもしれないという気がしてきた。頭の中で、その人に白衣を着せてみた。もっとも、そのコンビニでの遭遇場面にしても、店の棚越しに、吊り下がった何袋もつながった駄菓子の向こう側にその人を見ていたのだから、本当にその時白衣を着ていたという可能性も、捨て切れない。白衣を着たその人にも見覚えはなかった。だいいち、完全に十日間は放っといている髭面だった。登山家かと思うくらいだった。おそらく、何日も髭を剃ることができないような登山家は、登山家の中でもごく一部であるに違いない。いや、趣味でやっている登山は、登山家とは呼ばないのかもしれない。なにせ登山とか、登山家というものが、身近な存在ではないから、イメージは大げさな、ヒマラヤ登頂という人か、あるいは日常の延長でたまに登山に行く、アウトドア系の雑誌を読んで胸を躍らせるたぐいの趣味の人か、どちらかになってしまう。そして先程の髭面=登山家というイメージは、そのうちヒマラヤ登頂といった人達の方のイメージをそのまま引っ張ってきている。髭面の人が髭を生やしたまま放っといている、あるいはあえて伸びるがままにさせている理由というのは、ヒマラヤ登頂の他にもいくつかある。ただ、それが医者である場合には、その人が髭を十何日分も伸ばしっ放しにしている姿というのは、考えにくい。
 実は今目の前に鏡があって、私がもうかれこれ十何日間もフローリングの床に沈み込んだままになっているのかもしれない。だが、家具の類はそのずっと前に既に沈み切っていた筈だった。

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