『Pさんの作業日誌2020-2021』試し読み(Pさん)

 来る五月十六日、文学フリマ東京が開催されます。
 そこで『Pさんの作業日誌2020-2021』という個人誌を配布することは以前に宣伝しましたが、その中身について若干抜粋して紹介しようと思います。

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2020/2/24(月)
 渋谷に出かけた。古本市をやっているのと、ついでに楽器も見ようかと思っていた。楽器の方は結局見なかった。古本市は、池袋の三省堂古本市の半分くらいの規模で、そこそこ本を見れた。ジラールの『暴力と聖なるもの』、『ダーウィニズム論集』を買った。見ている途中でお腹が痛くなってきたのでまともに選べなかった。帰りの電車でさらに痛くなってきたが、家に帰る頃には落ち着いた。
 今月始まってから、割かし良い過し方をした方だが、小説は書けていないし、まだまだやれることはありそうだ。雑多な時間も含めると三時間か四時間は書くことに費したと思う。まだやれることはある。
2020/3/11(水)
 人間の生存条件は、思っている何倍かもろい。人は、今生きていることが本当に偶然の集合であるということを、すすんでか、忘れようとする。それは、死が迫ったときに、思い起こされるのかもしれない。
 ろうそくの火がもうすぐ消えようとしている、ウィスキーがまだグラスの底に残っている。スマートフォンの画面に、にじんだ、あるいはぼやけた二つの顔が並んでいる。
 ビー玉が転がる。ガラスの匂いが立つ。複雑な影を作る。指紋の上を、ひとつひとつ辷る。
 構築しない構造、といったものを考える。ラジオか何かで言っていたのかもしれない。グーグルグラスに写った映像に、そんなことが書いてあったのかもしれない。
2020/4/13(月)
 スレンダー・マンの噂のことを知って、家にもそのスレンダー・マンを飼う、とまではいかないけれども、たまに来る、あるいは見掛けるといった程度の位置には据えることにした。スレンダー・マンを目にしたときには、網膜の像を、太陽を直接、一瞬でも目にした時のように、とどめるイメージを抱かなければならない、そうしないともう次のチャンスは訪れない。はじめは私も目の錯覚だと思い、あやうく記憶からすらすべり落ちそうになった。自分の部屋の、土壁と土壁に直角に挟まれた、細くて何の役に立っているかわからない茶色い木の柱のそばに、沿うように、はじめは真っ黒に見えた、細長い逆さになった人のシルエットのようなものが見えた。粉を溶かすタイプのレモネードを飲んできた帰りで、ほのかに結構の良くなった眼が少しチラついて、それが見えたのだと思った。しかし、眼を逸らして、もう一度その方を見てみると、まぎれもなく逆さになった人のような物であり、黒く見えた表面はかすかに銀色に輝いているのがわかった、汗をかいているのか、粒立っていて、じっと見ていると、その腹部のあたりが、かすかに息をしているのがわかった、そこまで見たところで、やはりそれが錯覚だったかのように、チラついてすぐに消えてしまった。
 めったに来ない客のあしらい方を考えるように、等高線の先に見え隠れするインチキな諸現象の陰、のようなものを想起していた。科学的根拠の一切ない、だがそれだけに説得力のある膨大な声量と、何ものにも通じることのない結構なお点前でを吸い尽くして息を吐きだす無関心なウエハース状のクシと何にも関わらない完成度で出来たての
 やったこともないはずの、ハンダごての焼ける匂いを連想し、そんなことはない、少なくともそれほどではない、という思いを連想の方は振り切れないでいた。意見を言うことと、何かを捏ね上げながら眺めることとはセットになっている。はつらつとした笑顔がそこから出て来て、誰でもないアンニュイな表情になって、変に親しげな様子になって消えた。
(小島信夫の「声」を読んだ。いわば、出勤の小説、小隊の思い出、ドッペルゲンガー的、同性愛的、であり、人形がそれをバイカイして……)

 こんな感じで、小説の書きかけや読書録や日記が混在して書かれている、作業ノートから半分ほど抜粋して載せています。
 興味が沸く方、もし都合が付けば、明後日の文学フリマにご参加お願いします。
 感染症対策をしっかりと行った上で、お越しいただければと思います。

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