Kaoru Asano

短歌。 塔短歌会所属 2018年に短歌をはじめました。 歌集や結社誌を読んでの感想や短…

Kaoru Asano

短歌。 塔短歌会所属 2018年に短歌をはじめました。 歌集や結社誌を読んでの感想や短歌について考えたことを書いています。

最近の記事

新聞投稿掲載歌(2024年2月~)

購読している京都新聞の文芸欄に短歌を投稿しており、 掲載していただいた歌を残しておきます。 「入選」となると、選者からコメントをいただけてうれしい。

    • 『塔』2024年3月号より⑥

      『塔』2024年3月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。 (敬称略) 「寒き呪い」が見事な比喩。「寒き」と「呪い」を組み合わせることでさらに強度が増した。 「区役所」という特殊な設定もよくリアリティが生まれている。 四国への旅行を詠んだ連作の中の一首だが、どの歌も大胆で力強く実感がこもる。 掲出歌は「車輪ころがす」までの組み立て方がいい。 クロールでターンをするときにプールに掛かっている時計が逆さに見えたという印象的な瞬間の映像が詠まれている。 「正時」という

      • 『塔』2024年3月号より⑤

        『塔』2024年3月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。 (敬称略) 山道や山村の流れる細い用水路、その溝の端にスミレがささやかに咲いている、そんな美しい光景を思い描いた。 「素水奔れる」には透き通った水が流れてゆくその速さや、音も表現されているようだ。 晩秋の澄み渡る空気も感じられる。 唐突な上句に驚かされるが、読み進めるとwebでよく見かける不正アクセスを防ぐためのものだとわかる。 現れる画像には様々なパターンがあるが、その中から椰子の木の画像を持ってきたと

        • 『塔』2024年3月号より④

          『塔』2024年3月号の作品1から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略) 障子に映る南天の葉や実の影。 「くっきりと」により、その影の大きさや濃さ、また南天と障子との距離感が表現されている。 同時に障子や戸外の明るいことがわかる。つまり、影を歌いつつ、同時に光も詠んでいることになる。 「師走」が一首のイメージと合致しており、和室や年末の風情も感じることができる。 「サーモグラフィー」は赤外線を使って、物体の温度を測り、画像処理する装置で、温度によって色が変わる

        新聞投稿掲載歌(2024年2月~)

          『塔』2024年3月号より③

          『塔』2024年3月号の作品1から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略) 「大正金時」はあずき色のおおぶりのインゲン豆で、北海道で発見され、大正村(今の帯広市内)で量産されたのが由来らしい。 この歌では「十勝」や「大正金時」という固有名詞が、「ほたる火」と響き合って情緒を生みだしている。 「ほたる火」はガスの極弱火のことだが、「ほたる」を出したことで、おのずと十勝の夜の野に蛍が浮かぶ景色が想像される。 豆を煮たという、それだけの歌にも関わらず広がりのある奥深い一

          『塔』2024年3月号より③

          『塔』2024年3月号より②

          『塔』2024年3月号の作品1から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略) 水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』では、主人公の鬼太郎の足を引っ張ったり、裏切ったりと悪さばかりをするねずみ男だが、そこに人間らしさが描かれているとも言える。 そんなねずみ男の「立ち直る早さが好きだ」という作者の人生観も興味深い。 一字空けの後の「明日も嘘つく」には開き直りがあり、不思議な清々しさがある一首だ。 上句にある嫌悪感を直接言わずに、下句の描写によって表現しているところがよい。

          『塔』2024年3月号より②

          『塔』2024年3月号より①

          『塔』2024年3月号の月集から気になった歌をあげて、感想を書きました。 (敬称略) 近づいただけで逃げてゆくメダカ鉢のメダカ。 そのメダカの動きとささやかな波紋の美しさが想像できる。 上句では穏やかな天候が出され、ゆったりとした作者の心のありようもうかがえる。 カフェで注文したコーヒーに息をふーふーと吹きかけていると、窓から見える池の水面も波立っていた。 まるで自分の息がそのまま池に伝わり、水面に波紋を広げているように思えたのだ。 「くすのき池」という固有名詞もよく、メ

          『塔』2024年3月号より①

          『塔』2024年2月号より⑥

          『塔』2024年2月号の作品2から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略) 亡き母の身体に残る床ずれの跡を見て、生前の母の痛みや苦しみに思いを巡らせる。 そこには、もはやどうすることもできない無力感や、後悔もあるのかもしれない。 教師である作者が、生徒に万年筆を貸したのだが、生徒は使い慣れていないため上手く書くことができない。 近年は万年筆を使う人はまれであるから、生徒もおそらく初めて握ったのだろう。 その書かれた字を「蜉蝣を飛ばせるごとく」と喩えた。 蜉蝣(カ

          『塔』2024年2月号より⑥

          『塔』2024年2月号より⑤

          『塔』2024年2月号の作品2から、気になった歌をあげて感想を書きました。 (敬称略) 「フイルムのケースに入れた正露丸」、その不思議な映像が想像される。 おそらくは、昔よく使っていたカメラのフイルムケースではなく、化粧品や小物入れ用のプラスチック製のケースだと思われるが、それに正露丸を入れて旅の際には持ち運ぶのだろう。 「正露丸じゃくじゃく」というオノマトペが見事で、正露丸の黒色と粒の大きさ、揺らしたときに鳴る音を、これ以外にないというくらい的確に表している。 この一首だ

          『塔』2024年2月号より⑤

          『塔』2024年2月号より④

          『塔』2024年2月号の作品2から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略) 陽光に緑あざやかな草原、その一部分に濃い陰がかかっている。 そこに一匹の犬が、ボールにじゃれて陰と日向を行き来しながらせわしなく動き回っている。 「うれしい犬」がなんと言えない的確な表現で、その動きを伝えている。「うれしそうな犬」ではなく、「うれしい犬」、わずかな違いだがここに新鮮味がある。 また、「往復している」によって、スナップ写真ではなく、動画として読者に届けられる工夫がなされている

          『塔』2024年2月号より④

          『塔』2024年2月号より③

          『塔』2024年2月号の作品1か気になった歌をあげて感想を書きました。 (敬称略) かつては材木商の栄えた土地だったのだろう。 それが現在では廃れて名を残すのみとなっている。 賑やかだった頃に思いを巡らせつつ、時代の流れを寂しんている。 製材所の代わりに建てられたコンビニの小ささと、無機質な印象がそれを際立たせている。 パフスリーブとは上着の袖口を絞り、その上部をふんわりと丸く膨らませたシルエットを持つ袖のこと。 「夏を縛る紐がほどけて」が魅力的で、夏の暑さがようやく収ま

          『塔』2024年2月号より③

          山下洋歌集『屋根にのぼる』(青磁社)

          『屋根にのぼる』山下洋(青磁社) 塔の選者である山下洋さんの第三歌集。 教師として生徒を見つめる日々、そして家族や友の歌が多く詠まれている。 静けさのある叙景歌とともに、関西弁やユーモアも交えたやわらかい表現が、作者の懐の深さを印象づけている。 他者を包み込むような優しさと、ほんのりと胸に沁みる寂しさがありながら、音楽やマラソンの歌も織り交ぜられ、風通しの良さが全体に漂う歌集となっている。 教師としての歌は上からの目線で指導するのではなく、生徒に伴走するような温かい眼差

          山下洋歌集『屋根にのぼる』(青磁社)

          『塔』2024年2月号より②

          『塔』2024年2月号の作品1から、気になった歌をあげて感想を書いてみました。(敬称略) 作者がかつて尾道を訪れたとき、季節は秋で、千光寺のキンモクセイの印象が鮮やかに残っているのだろう。 そして、作者の記憶の中での尾道はいつまでも秋で、季節が進むことはない。 「千光寺」という固有名詞が見事にはまっており、紅葉の美しい秋の尾道の景色が明るさとともに想像できる。 作者とって素敵な旅であったことが伝わってくる。 キンモクセイの匂いも漂ってくるような、臨場感がある一首だ。 前後

          『塔』2024年2月号より②

          『塔』2024年2月号より①

          『塔』2024年2月号の月集から、気になった歌をあげて感想を書いてみました。(敬称略) かつては日常的に使っていだ石臼。もう使うことはないのだが納屋に置いたままになっている。 下句のきっぱりとした言い方に、捨てたくても捨てられないのではなく、必要なものとして保管しているようなニュアンスがうかがえる。 石臼を単なる道具ではなく、当時の暮らしを支えた大切な存在として感じており、作者の思い出も多く詰まっているのだろう。 初句二句が重く響く。 母が老いによって変わっていったのだろ

          『塔』2024年2月号より①

          野田かおり歌集『風を待つ日の』(青磁社)

          野田かおりさんの第一歌集『風を待つ日の』(青磁社)を読んだ感想です。 タイトルの『風を待つ日の』はこの一首からとられている。 「黒板といふ原野」とあるように、作者は教師であり学校を舞台とした歌が多く詠まれている。 歌集を通して読むと、冬の歌と春の歌、特に春の歌のどこか寒々とした歌が多く印象に残った。春本番を迎えてからではなく、春を「待つ」歌である。 やがて学校を巣立っていく生徒たちとともに、主体も「春を」、「風を」待っている、そんな日々が詠まれていると感じた。 死者には時

          野田かおり歌集『風を待つ日の』(青磁社)

          歌集の批評会に参加した。

          野田かおりさんの歌集『風を待つ日の』批評会(2024.2.11)に参加したので感想を書いてみました。 野田かおりさんの歌集『風を待つ日の』には好きな歌がたくさんあり、何度も読み返している歌集だが、批評会では気づいていなかった指摘がいくつもあり、参考になることが多かった。 一方で、歌集に対する自分の印象と、会場での発言にかなりのずれがあるとも感じた。また引用された歌の中に見逃していた歌が多いのも疑問に思った。 そこで、その原因を考えてみると、どうも私の歌集の読み方に問題がある

          歌集の批評会に参加した。