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『塔』2024年3月号より③

『塔』2024年3月号の作品1から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略)


十勝より届きし大正金時をほたる火にして甘く煮てをり
/竹尾由美子

p48

「大正金時」はあずき色のおおぶりのインゲン豆で、北海道で発見され、大正村(今の帯広市内)で量産されたのが由来らしい。
この歌では「十勝」や「大正金時」という固有名詞が、「ほたる火」と響き合って情緒を生みだしている。
「ほたる火」はガスの極弱火のことだが、「ほたる」を出したことで、おのずと十勝の夜の野に蛍が浮かぶ景色が想像される。
豆を煮たという、それだけの歌にも関わらず広がりのある奥深い一首として成立している。
作者の食への向き合い方や、暮らしぶりにも思いが及ぶ。


さざんくわの花の散りゆく一瞬を心の奥に赤はとどまる
/小川節三

p51

一首全体が比喩のようにも読める美しい一首。
山茶花が散り、落下してゆく一瞬が強く印象に残ったことが詠まれている。
三句目の「を」の使い方が特徴的で、その瞬間に映像が静止したかのように錯覚する。
下句の表現も魅力的で、散りゆく一瞬とその後の心に残る長い時間、二つの時間が詠み込まれている。


腕時計は動き続けて部屋にあり夫逝きてより六月(むつき)過ぎたり
/白井陽子

p53

この世を去って夫の生の時間は止まってしまった。
しかし部屋にはが使っていた腕時計は動き続けている。
その対比によって、作者の喪失感が強調される。
亡くなってすぐの悲しみと、六ヶ月経ってからではまた違う感情が芽生えてくるのかもしれない。
この「六月」が一首に深みをもたらしている。


小四が夕の電車に凭れ来て妙に懐かし頭の重み
/中野敦子

p55

「小四」は孫だと読んだ。
電車に並んで座っていると、その孫が頭を作者の肩に載せてきた場面。
「懐かし」と感じたのは遠い過去に同じ体験をしているからだ。
子育ての日々が思い出されたのだろう。
「妙に」がそれがぼんやりとしか思い出せない遠い過去であることを示している。
また、「頭の重み」が身体感覚と実感を表していて巧みな表現だ。


水道の蛇口を知らぬ一年生水が出ないと手を広げおり
/杜野泉

p57

一年生がわからない「水道の蛇口」とはは捻るタイプの蛇口のことだろう。
最近の水道の蛇口はレバー式のものがほとんどで、かつては主流だった捻るタイプの蛇口を見ることも少なくなった。
それゆえ子どもたちがそれを知らないのも無理はない。
このような変化は長い期間を経て移りかわりゆくので、渦中に生きる者はなかなか気づかないのだろう。
時代の流れにより、生活の様式も変化していくことや、世代の違いによってギャップがあることがわかる。


今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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