毒親と離れたのに「寂しい」って!?

私はおかしいのかもしれない。
毒親と離れて穏やかな気持ちになれたと同時に、「寂しい」という気持ちも感じているから。
これは一種の気の迷いだと信じたい。
毒親のせいで、私は多くのものを失った。
大切な友人、時間、自分の本当の気持ち・・・
やりたい、やりたくない、しんどい、辛い、もう辞めたい…
私がいままで感じたすべての感情を毒親は否定した。
おかげさまで、「他者に対して不信感を持つ」ことしかできない人間に
なってしまった。
友人と呼べる人は少なく、長年仲良くしてきた友人とも縁を切ることに
なってしまった。
毒親の誤った教えである「何があっても耐えろ」を忠実に守ってきた私は、
強い人間ではなく、周囲から孤立する人間になってしまった。
挙句の果てに、「仕方ないから私は、お前を産んだ。」と毒親から言われた。
私が仕事の愚痴を言えば、
「仕事で必要とされるのが良いことだと思わないのか。」と全否定する。
しかし、毒親が仕事の愚痴を言うときは、傾聴すること、毒親が望む回答をすることを私に要求した。
…あれ?
文章を書いていくうちに、
「寂しい」と感じた理由が分からなくなってきた。
むしろ、ここまで私のことを人間扱いしなかった毒親と
離れられてよかったと「安堵」の気持ちを感じた。
こうして自分の感情を文章で明確化することによって、
客観的な思考を得られた結果だと考えられる。
自分の感情を明確化するためにまた記事を投稿していきたい。

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