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私たちは回遊している①

集合写真/©大洞博靖

(記事タイトルは内田春菊さん作『私たちは繁殖している』へのオマージュです)

2024年3月9日、10日。
さいたま芸術劇場で『埼玉回遊特大号! 風と土地のロマンス』が公演された。

舞台上には実に多様な人々が立ち、川越城に縁深い神楽師の方々や、日頃は建設の世界で働いているという方々(木遣)、竹間沢車人形を操る人形遣いの方々、エナジーと輝きに溢れたプロのダンサーの方々など、眩いご経歴の方々ばかりの中に、怪談師である私――北城椿貴の姿もあった。


さいたま芸術劇場は2024年現在、故蜷川幸雄氏の後任として、国内外で活躍するダンサーである近藤良平さんが芸術監督を務めており、私の今回の舞台出演も、埼玉回遊(近藤良平監督発案)という企画の回遊先に"怪談"を選んでいただいたことに端を発している。


私の怪談は歴史に纏わるものが多い。
語りの中では地域の民話や地名の由来も扱う。

つまり、"地域の歴史を広める活動"と見なし、温かい眼差しを注いでくれたのだろうと。


「埼玉には、私の怪談を文化として扱ってくれる人がいる!」

と――。


単純に物凄く嬉しかった。

だって、怪談を、である。

こんな光栄に預かれることが、この先数十年生きたとして何回も訪れるだろうか?

いいや、この1回きりだろうと。


劇場という形態の舞台に怪談師を乗せてみようと思いつき実行する近藤良平監督の勇気に驚かされつつも、こんなに有り難いことはないと思い「一生に一度のことと思って全身全霊でやる」と決めた。


〈1つ目の壁:プロのダンサーに混ざって踊る〉

踊っている自分を初めて動画で観たときの感想は、「ドラえもんがジタバタしてるみたい」だった。


せっかくなので怪談以外のことも、と。ダンスを踊ることになったのは良かったのだが、ダンスの経験はないに等しかった。

正確には、過去に何回か体験レッスン的なものを受けたことはあったが、それも20年近く前のことで、当時は何となく覚えることができていたステップも、とっくのとうに記憶の彼方へ消えていた。


何でダンサーの方々はみんな手足が長いのだろうか?


家でも必死に練習を重ね、着物を身に纏った状態でも踊り、その動画も見てみた。


動画の真ん中には、必死になって踊りらしきことをしようともがいている、赤いドラえもんのような私の姿があった。

「それでも踊り続ける」


何せ、踊り続けるしかなかったのだから。



結果、劇中のダンスはどれもこれもすこぶる評判が良かった。

プロのダンサー達は"教える達人"でもあった。私は彼等のアドバイスのおかげで、何だかんだで、ダンスを踊れるようになっていた。


私は舞台を終えた後も、実は毎日家で踊っている。スマホの動画配信上でやりとりしながら、友達と踊りの練習をすることもある。


ダンスという身体表現が怪談にどんな作用を及ぼすのか?


今はまだわからない。

未知数である。

今はただ「楽しいから」という理由で踊り続けている。

今わかっているのは、埼玉県在住の私のようなドラえもんにも踊る権利はある、ということくらいである。




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