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2024年2月18日(日) 第56回 青梅マラソン 10kmの部

下駄の仲間と7人で第56回 青梅マラソン 10kmの部に参加しました。全員完走です。ぼくは背の低い方の下駄 (ippon blade 1000 Zen) で完走してきました。

M さんからのお誘い

お誘いは前年の9月15日に M さんから。

けんさん、こんにちは!元気ですか。 2/18(日)青梅マラソン10キロにエントリーしました。ZENででます。 けんさんもいかがですか?

M さんとは 2022年9月に台風が東京を通過した日の下駄の試乗会で出会った。二人ともこの日、二種類の下駄の初体験をし、Zen を購入した。このときの主インストラクターが知る人ぞ知る高橋哲さん。哲さんのことは、彼を取り上げた Runners 誌の記事で知ったけれども、会うのはこのときが初めて。

2月は本業が立て込んでいることもあるけれど、下駄とすっかりお友達になったという M さんとは違って、下駄をさぼっていたので躊躇して:

お誘いくださってありがとうございます。ちょっと微妙な時期なので、考えさせて下さい。

参加の手続きは 9月17日になった。のちに哲さんも参加申し込みした。個人的な思いになるけれど、台風のなかで出会った三人が一緒に走ることになった。

目標タイムはどうする?

国内の大きな大会に出場するときは、目標タイムとオプションで陸連登録情報を記入する。基本的に出走順は目標タイムで決まる。実力以上の目標タイムを記入すると、ペースが合わなくて接触の危険性が高まるし、周囲のランナーに迷惑をかける。遅すぎる時間を設定すると危険は避けられるけれど、ペースが合わなくて走りづらい。

国内の多くのマラソン大会は、号砲が鳴ってからゴールするまでの時間を公式記録として採用する。しかし、号砲から2分経ってもスタートゲートの手前にいるランナーからすると釈然としない。このため実力以上の目標タイムを申告して、前の方での出走を希望するランナーも出てくる。

事情をさらにややこしくしているのが陸連登録枠だ。陸連に登録したランナーたちは優先的な出走枠を得られるらしい。そこで優位な位置取りのために陸連に登録する人もいる。陸連に登録する金銭的負担を避ける若手のランナーと、経済的な余裕があって陸連登録している高齢ランナーのあいだに実力の逆転現象が現れる一因になっている。あいまいな書き方になっているのは、前の方のブロックからの出走経験のないぼくが、人づてに聞いたことを書いているからだ。

とはいいながら、実はぼくは陸連登録をしている。ぼくの初マラソンにあたる前年 11 月に河口湖で開催された富士山マラソンは、ニコニコ完走を目標に設定した。このため陸連登録の権利を行使しなかったのだ。今回は
「ものは試しに」
陸連登録情報を申請書に書いてみた。下駄での記録が陸連に公式に記録されるのも痛快な気がして。

さて、まだ本格的に走ったことのない下駄の目標タイムを何分に定めるべきだろう?ぼくはこれまでに 10km のレースに 3 回出場したことがある。いずれも小さな大会だ。一番良い記録は 2023年2月4日の 49分16秒だ。平均 5min /km のペース。そのときの履物は MARUGO スポーツジョグ III、地下足袋屋さんが作ったランニングシューズだ。池井戸潤さんの「陸王」のようなシューズだ。

下駄だとせいぜい 2km しか走った経験がないけれど、7min/km はいけるだろう。このペースなら 70分。
もう少し頑張れるかな? 6.5min/km だったら 65分。60 分で申請する人は多くてブロックが混雑しているかも。それより速い目標はちょっと背伸びしすぎだろう。理由は思い出せないけれど、目標タイム: 1時間2分0秒で申請した。
陸連登録有無:あり、陸連登録都道府県:東京都、JAAF ID: 00200085590。

2月初旬、昼食から戻る道すがらスマホが鳴った。相手は千葉県佐倉市の健康育成課の職員。
(なにごと?)
3月に開催予定の佐倉市でのフルマラソンについて、ぼくのエントリー情報で確認できない点があるという。前述の JAAF ID が陸連のデータベースに見つからないのだそうだ。
(おかしい)
確かに陸連からのメールでもらった ID なのに。でも、陸連は申請状況が中途半端で回避の入金を確認できないという。どうりで、入会してもパンフレットの一つも送られてこないわけだ。健康育成課の職員は、週のうちに入金すれば、対応できるとは言っていたが、なんだかたったひとつの大会のために大枚をはたくことがばかばかしくなった。それに、こんなことで市職員に手間をかけるのも申し訳なくなって、陸連枠は辞退した。青梅マラソンからの連絡はなかったけれど、この旨をお伝えして、こちらも陸連枠を辞退した。

いろいろあったけれど、大会当日に受付でいただいたゼッケン番号が G1590。先頭の A ブロックから数えて、7番目の G ブロックが割り当てられた。

Gブロックの 1590 番。ここに至るまでに、いろいろあった。

こんなタグで計測するのかぁ

なにしろ、これまでに計測器を使った本格的な大会は前年の富士山マラソンしか体験していない新米ランナーだから、よくわからないことばかり。周囲のベテランたちによれば、今回計測タグは新しいらしい。

一見すると単なる紙に薄い金属片が張られている。金属片の大部分は路上のセンサーが発する信号を受信するアンテナだろうか。

運動靴の人は靴紐に、下駄の人は前紐に結わく。裸足で下駄をはく人は違和感を案じていたけれど、靴下を着用していた僕は存在を全く忘れるほどだった。さほど丈夫な素材ではないけれども、かといって破れる心配もなかった。

測定用のセンサー。

新聞に出た!

大会参加グッズにスポーツ報知の新聞が含まれていた。出走前はいろいろ忙しかったけれど、帰宅して読んでみると招待選手、スペシャルスターターの原辰徳さん、応援に来てくれている高橋尚子さんと福島和可菜さんのことなどがにぎやかに紹介されている。

妙に分厚い紙面の大部分を出走する全選手のリストが占めている。この個人名のリストは昭和レトロ。所属するランニングクラブ、勤務先企業、経営するお店、仲間と作ったと思われるチーム名などを掲載している選手も多い。ぼくも次の機会に備えて、なにか考えておこう。

スポーツ報知に全選手の名前が掲載されました。気の利いた所属チーム名を考えとかなくちゃ。

スタート

仲間の多くは H ブロックに割り当てられていた。目標タイムを控えめに 80 分で申請したのかな?

みんなと仲良く一緒に走ることには魅力を感じてはいた。出走ブロックをみんなと同じ H に変更する誘惑にかられた。記録への挑戦とのあいだで逡巡することになる。

下駄での走り込みができてなかったため、直前までは完走できれば良いと思っていたからだ。ところが、一週間前の練習でペースの感覚を身につけて挑戦的な気持ちが芽生えた。最後に背中を押してくれたのもレースに誘ってくれた M さんだった。
「それなら記録を目指さなくちゃ!」
「よし頑張る。60 分を切ってみる!」

交差点を挟んで、スタートラインに少し近い G ブロックの最後尾で号砲を待つことにした。勝負に徹するのなら、ブロックの先頭に陣取るべきだけど、初めての下駄レースに不安を覚えて。仲間たちが並ぶ H ブロックは交差点を挟んですぐ後ろだけど、仲間たちもブロックの後尾にいるのだろうか。派手な鬼太郎の扮装をしている Y さんの姿も見えない。

原辰徳さんのピストルが鳴っても、すぐに走り出すわけではない。大渋滞だからだ。歩みの遅い下駄でも楽に歩けるペースでゆったりとレースは始まった。それでも、ほかのランナーに突き飛ばされないか、それだけを気にして、周囲に目を配る余裕はほとんどなかった。端の方はなにかが起こりそうな気がして、コースの中央に位置した。沿道からの大きな声援ももやーっとした感じで受け止めていたような気がするのは残念。それでも江戸時代を思わせる家並みが沁みた。

号砲から二分ほどのち、ようやくスタートラインを超えた。高橋尚子さんがマイク越しに盛んに声援を送ってくれる。
ここでつまらないミスを犯した。ランニングウォッチのボタンを押し損ねたようだ。昨年 9月に 30km の大会に続けてまたしても。スタートラインを待たずに、号砲が鳴ったとたんに稼働させておけばよかったのかもしれないけれど、ネットタイムの記録を保存したくて失敗した。ほかのランナーはどうしているの。

ミスに気付いてようやくランニングウォッチ稼働させたのは 1km くらいの地点。心拍数を確認しようと思ったら、表示されていなかった。最後の 2km でペースを上げようとか、最後の 500m でスパートしようとか思っていたけれど、終始、沿道の距離表示と感覚に頼った展開となった。

みんながんばれ

コースの前半はなだらかな上り坂で、後半は同じところを逆向きに下る。前半は大渋滞に合わせた我慢の走りで、後半になって選手間の間隔が増えると下りの助けも得てペースが上がる。

家族なのだろうか、高齢ランナーを中年のランナーたちが守るようにした集団に囲まれた。最初は微笑ましく思っていたのだけど、何分も身動きができなくなってしまった。元気そうな人に声をかけて
「ちょっとすみませんけれど」
と声をかけて、開けてもらった隙間を抜けると、
「あっ、下駄だ下駄だ!すごーい!」

富士山マラソンはワラーチ(ランニング用のサンダル)で参加して、レース中もそれなりに声をかけてくれたり、しばらくおしゃべりしたひとたちもいるけれど、今回はそういうことはなかった。ペースの速い 10km は、みんな余裕がないのかな。声をかけられても、ぼくの方も対応が大変だったけれど。

スタートから 3.5km くらいだろうか。前方から韋駄天がやってきた。駒沢の紫のシャツだ。2位にかなりの距離を作っていた。沿道の人も、坂を上る市民ランナーも声を張り上げて応援した。

高速ランナーたちがぽつぽつと駆け抜けていくなか、ひときわ背の高いひとがやってきた。
「行っちゃってください!」
フルマラソンで「下駄の世界最速記録」を出したばかりの高橋哲さんだ。異次元のスピードにもかかわらず、いつものように背筋をピンと伸ばして、スゥーッと滑らかに走っている。

コース沿いには歴史を感じさせる、古い家が目立つ。きれいな街だ。今度ゆっくりと訪れてみたい。
それにしても梅の名所と聞くその梅はどこ?てっきり梅林に囲まれて走るものと思っていた。もしかして 30kmの部のコースなら梅林が見られるの?

想定よりもゆっくりとしたペースだったため、余裕をもって折り返すことができた。

折り返してしばらくして、5人の下駄仲間を見つけてエールを交わした。みんな元気そうだ。楽しそう。あそこにいたかったかも。

6km を過ぎた宮ノ平駅からゴール地点まではなだらかな下りとなる。脚が回転すればペースを稼げる。みんな勢いを得て、全体のペースが上がる。

ランニングウォッチのミスもあるうえに、心拍数しか表示していないウォッチ画面は頼りにならず、感覚のまま頑張る。下りの平均心拍は 175。過去 10か月間、スタミナ強化のために低心拍数トレーニングに努め、130 近辺で走っていたのだけど、レースとはいえ、よくこの高心拍を維持した。偉いぞ、自分。

レース前は 8km からペースを上げるつもりだった。実際のところ、長い下りの中で少しずつペースは上がり 8kmでは 5:15min/km まで上がっていた。足袋やワラーチならさほどのことはないけれども、下駄でこのペースを出したことはない。

「ゴール手前は全力を出すのよ!」

ゴールが近づくにつれて、自分としてはやり切った感覚があった。不慣れな下駄で、これといった故障もなく、紐のゆるみもなく、思いっきり走ることができた。

そのためかゴール近くで坂の傾斜が緩み、気が弱くなった。
(もうこれでいい?)
コース上には疲れ果てて脚がとまったランナーも出始めた。
「がんばです!」
彼らへの声援は半ば自分に対する叱咤でもある。

集中力が途切れそうになったときに、スタート前の M さんの言葉を思い出した。
「トライアスロンだと、どんなにきつくても最後は全力よ!」
はい、全力を尽くします!

残り 1kmの看板を見ながら
(あと 5分の辛抱!)
駅で応援していた女性の
「残り 500m、あとちょっとですよ」
には救われた。
(あと2分半!)
先にゴールしていた哲さんが声をかけてくださった。ここからは無理をする。

無理をしているうちに、なぜか前を行くランナーたちがコース中央から左右に分かれていく。
中央には女神。Qちゃんがレース直前のランナーたちにハイタッチしてくれていた。金メダリストと「ばっしぃー」とやりたい気もしたけど、2万人とのハイタッチで、掌が膨れ上がるんじゃないかと心配して、触れるようなタッチになった。暖かくて柔らかかった気がする。

ゴール!

ゴールにはスタートからの時間を刻む大きなデジタル時計もあったはずだけど、目に入ってこなかった。ゴール付近では公式カメラマンたちが写真を撮影してたはずだ。でも、疲労困憊して、カメラに視線を向ける余裕はなかった。そもそも彼らの存在は意識の外だった。ゴールタイムは気になっていたけれど、身体はふらふらとスポーツドリンクと栄養(おにぎりとから揚げのセット;おいしかった)を求めて大会テントに向かっていた。時刻からすると、ぎりぎりで目標タイムを突破した?

ゴール脇で仲間たちの到着を待ち、記念写真を取り合い、仲間の一人が出店しているマルシェで反省会。あー、楽しかった。今度は 30kmに挑戦しましょう!

暫定記録だけど、目標達成!

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