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弱い自分と向き合えば

先日、最後の出勤を終えた。働いていたのはとある個別指導塾。具体的な名前は言わないが、卵かけご飯が食べたくなる塾だ。

2年間、バイトを楽しいと思った事はなかった。バイトに行くのはいつも億劫だったし、自分の居場所もなかった。唯一得られたことと言えば、退勤の喜びと僅かばかりの金銭だ。

2年間働いても友達は1人も出来なかった。友達どころか、業務連絡以外の会話をした記憶がない。それもそのはずで「まあ別に友達作らなくてもいいか」と思って働いていたら、本当に1人も友達が出来ずに2年が経過してしまったのだ。こういう目標はたやすく達成してしまうのに、「毎日英語を勉強する」とか「物忘れをなくす」みたいな目標が一向に達成されないのはなぜなのだろう。兎にも角にも、そのような職場で過ごした2年間だった。

講師室で黙々と作業をしているとき、一人の講師が「今日で最後ですか?お疲れさまでした」と声をかけてきた。退職することは社員以外誰にも言っていない(というか、話す相手がいない)のに、どうしてそのことを知っているんだろう?と疑問に思ったが、「あ、あ…」とカオナシみたいな返事をするのが精一杯だった。もちろん社交辞令だというのはわかっているが、まさか人が自分に労りの言葉をかけてくれるなんて想像もしていなかったから、しばらく困惑してしまった。

挨拶して教室を出るとき教室長が「ありがとなー」と声をかけてくれた。大した働きはしていなかったから、そのように声をかけてくれるとは思っていなかった。振り返って受付を見ると、立ち上がって声をかけてくれている講師もいる。なんだかよく分からないまま教室を後にし、エレベーターに乗り込んだ。

思い込みというのは恐ろしいもので、何の根拠も持たないわりに自分の心をじわりじわりと蝕んでいく。働いている時、周りの講師は自分のことをを役立たずのお荷物だと思っているのではないかと勝手に感じていた。バイトに限った話ではない。何の根拠もない思い込みが、自分の首を絞める。

自分の行為に対してネガティブな想像をしてしまうことがよくある。もしかしたら迷惑な存在なのではないか、もしかしたら嫌な気分にさせてしまっているのではないか。他者への不信が心配を生み、心配は孤独となって自分に返ってくる。

何者でもない自分を慰める手段として採用したのが、世俗的なものから距離を取ることだった。多数派から離れ、意図的に少数派の人間となることで、なんでもない自分を有意味化することが出来た。自分は大衆に流されない、多数派が気づかないものに気づいている希有な人間である。そう思いこむことが出来た。

そうして得られた”独自性”は確かに自尊心を守ってくれた。しかし、それと引き換えに自分は普通から遠ざかり、素直になることもできなくなった。自分の弱さを隠すために設えた冷笑は、かえって自分を小さく卑屈な人間にしてしまった。

振り返ってみると、自分は他の講師に対する劣等感があった。労働が嫌いだと文句を並べて全然出勤しなかった自分と比べ、他の大勢の講師は何人もの担当生徒を持ち、週に何回も出勤していた。自分が選んだ行為なのにもかかわらず、そこに劣等感を覚えていた。

自分を貫く心の強さはないくせに、多数派に従属することを拒むプライドだけはあった。そんな両者の狭間で苦しむ自分が心底嫌いだった。

突出したものがないから、斜に構えた。自分の価値を見出せないから、普遍から離れた。そうして多数派と距離をとることによって自分を慰めていたのに、多数派になれない自分に引け目を感じていた。

個性。それは外部によってもたらされるものではなく、自分の内側から湧き出てくるものだ。自分の弱さから目を背けて取り繕った個性は結果的に自分を苦しめるものとして返ってくる。そうして「本当の自分」との乖離に耐えられなくなる。

自分を有意味化するために世俗的なものから距離を置いていた自分にとって、多数派になることは自己の喪失と同義だった。だから独自の規範を設けた。くだらない飲み会は金の無駄だとか、大学生たるもの学びに真摯に取り組むべきだ、などと口先ばかりの規範を唱えて、枠に入れない自分を正当化していた。独自の規範から逸脱した多数派を否定することで、自分を肯定することが出来た。

他人との違いを見出せないが故に選択した少数派への帰属は、それに対する過剰なまでの固執を導いた。「少数派である自分」を守らなければならなくなったのである。当然、少数派は孤独である。だが、それに耐えうる心の強さは持ち合わせていなかった。所詮は心の弱さを守るための少数派への帰属なのだ。

自分と向き合うことが出来ていないが故の問題だった。斜に構える自分の姿勢を改善し、自分と正対できる日は来るだろうか。

今はまだ、何かに期待したり心を預けたりすることが出来てない。そのような凝り固まった性格も徐々にほぐしていかなければならないのかもしれない。自分に、他人にもっと素直になりたいと思った。


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